第3話 朽ちた剣とオートマタ

 指先から放たれた黄金の粒子は、錆びついた鉄塊の表面を舐めるように覆い尽くし、数千年の歳月によって蓄積された腐食と汚濁を瞬く間に剥がれ落ちさせていく。と同時に、その内側に眠っていた本来の物質構造を原子レベルで再構成していき、周囲の闇を切り裂くほどの強烈な光の柱となって天井を貫いた。 俺はその圧倒的な光量に思わず目を細めそうになったが、目の前で起きている奇跡の一部始終を見逃してはならないという職人としての本能が、瞼を閉じさせることを拒絶し、涙が滲むほどの眩しさに耐えながら、剣の再生プロセスを網膜に焼き付けていた。 ボロボロに欠けていた刃は溶けた飴細工のように滑らかに修復され、鈍い鉛色だった刀身は鏡のように透き通った白銀へと変貌し、柄の部分に埋め込まれていた宝石は、砕け散っていた破片が宙を舞って集結し、深淵を覗き込むような蒼穹の輝きを取り戻していった。 光が収束し静寂が戻った時、そこには先ほどまでの薄汚れた鉄屑の面影は微塵もなく、ただ圧倒的な存在感と神々しいまでの美しさを纏った一振りの直剣が、地面に突き刺さった状態で鎮座しており、その刀身からは揺らめくような魔力の残滓が立ち上っていた。


 俺は震える手を伸ばしてその剣の柄に触れた瞬間に、掌から全身へと雷に打たれたような衝撃が走り抜け、それは痛みではなく、剣そのものが持つ膨大な情報量と意思のようなものが、俺の魂に直接流れ込んできたことによる強烈な共鳴現象だった。 『我が名は救世の聖剣グラディウス。永き眠りより我を呼び覚まし、真なる輝きを取り戻せし者よ。汝を新たなる主と認め、ここに契約を結ばん』 脳内に直接響いてきた声は、性別を感じさせない無機質ながらも威厳に満ちたものであり、俺は自分が手にしたのがただの強力な武器などではなく、意思を持ち自ら使い手を選ぶとされる伝説のインテリジェンス・ウェポンであることを悟った。 かつてお伽噺の中で聞いたことがある神々が作りし武具の一つが、こんなダンジョンの最深部で朽ち果てていたという事実に驚愕すると同時に、それを完全な状態で復活させてしまった自分の能力のデタラメさに、改めて戦慄せずにはいられなかった。


 俺は意を決して地面に突き刺さった聖剣を引き抜くと、その重量は見た目の重厚さに反して驚くほど軽く、まるで自分の腕が延長されたかのように身体の一部として馴染んでいく感覚があり、試しに軽く振ってみただけで空気が悲鳴を上げるような鋭い風切り音が周囲に響き渡った。 試し斬りの対象を探して視線を巡らせると、先ほどの戦闘で崩れ落ちた巨大な岩塊が目に入り、俺は無造作に剣を振り下ろしてみたが、手応えらしい手応えは一切なく、まるで水面を撫でたかのような滑らかな感触と共に、岩塊は音もなく真っ二つに切断されていた。 切断面は鏡のように平滑で摩擦熱によってわずかに溶融しており、この剣が単に物理的な切れ味が鋭いだけでなく、刀身に纏わせた高密度の魔力によって対象の分子結合を強制的に切断しているのだということが、直感的に理解できた。 Sランクパーティのリーダーだったアレクが持っていた国宝級の魔剣ですら、岩を斬れば多少の刃こぼれや衝撃があったはずだが、この聖剣は岩を豆腐のように切り裂いてもなお刃先には一点の曇りもなく、むしろ魔力を吸ってさらに輝きを増しているようにさえ見えた。


「とんでもないものを手に入れてしまったな」


 俺は苦笑交じりに独り言を漏らしながらも、心の奥底から湧き上がってくる高揚感を抑えることができず、薄暗いダンジョンの中で白銀に輝く刀身を見つめながら、この剣があればどんな強敵が相手でも決して遅れを取ることはないだろうという、絶対的な自信が芽生え始めていた。 かつて俺を追放した連中は俺のことを戦えない能無しだと蔑んでいたが、今の俺はこの世界最強の剣と万物を修復し改変する規格外のスキルを持っており、もはや彼らが束になっても敵わないほどの力を手に入れているのではないかという考えが頭をよぎった。 しかしそんな復讐心よりも今の俺を突き動かしているのは、この未知の力を秘めたダンジョンの深層には、まだ俺の知らない「壊れた宝」が眠っているのではないかという、探究心と期待感だった。 俺は聖剣グラディウスを腰のベルトに差すと、先ほど作り上げた拠点を一時的に離れ、ダンジョンの更なる奥地へと足を踏み入れることにしたが、その道中はかつて恐怖の対象でしかなかった魔物たちが、俺の気配を感じ取っただけで蜘蛛の子を散らすように逃げ出していくという異常な状況になっていた。


 聖剣から放たれる聖なる覇気は邪悪な魔物たちにとって天敵そのものであり、俺は一度も剣を抜くことなく、ただ歩くだけで安全に探索を進めることができたが、それは同時にこの階層の生態系ピラミッドの頂点に俺が君臨してしまったことを意味していた。 迷路のように入り組んだ通路を抜け、地図にも載っていない未踏破エリアへと進んでいくと、空気の流れが変わり、湿り気を帯びていた風が乾燥した冷気へと変化し、壁面の材質も自然の岩肌から人工的に切り出された石積みへと移り変わっていった。 どうやらこのダンジョンの深層には自然にできた洞窟だけでなく、古代文明の遺跡が埋まっているらしいということは冒険者たちの間でも噂されていたが、実際にその遺跡を目にするのはこれが初めてであり、俺は壁画に描かれた幾何学模様や正体不明の文字に目を奪われながら慎重に歩を進めた。 遺跡の通路には至る所に罠が仕掛けられていた痕跡があったが、その大半は経年劣化によって作動しなくなっており、たまに作動する矢の罠や落とし穴も、俺の強化された知覚と聖剣による自動防御の前では何の意味もなさなかった。


 通路の突き当たりには巨大な金属製の扉が立ちはだかっており、その表面は錆とカビで覆われ完全に固着していたが、俺は躊躇うことなく扉に手を触れて【修復】を発動し、数千年前の開閉機構がスムーズに動作していた状態へと時間を巻き戻した。 重厚な金属音が響き渡り扉がゆっくりと左右に開くと、その向こうには広大なドーム状の空間が広がっており、天井には星空を模したような発光石が埋め込まれ、床には複雑な魔方陣が刻まれた祭壇のような場所が現れた。 そしてその祭壇の中央には、一人の少女が力なくもたれかかるようにして座り込んでおり、その肌は陶器のように白く、美しい髪は銀糸のように輝いていたが、その瞳は閉じられたままでピクリとも動く気配がなかった。 俺は警戒しながらその少女に近づいていったが、すぐに彼女が生身の人間ではないことに気づき、その身体の関節部分に見える球体関節や皮膚の継ぎ目から、彼女が失われた古代技術によって作られた自律型魔導人形(オートマタ)であることを理解した。


 彼女の胸部には大きな亀裂が走っており、そこから動力源と思われる魔石が砕け散っているのが見え、彼女の機能が完全に停止してからすでに途方もない時間が経過していることは明らかだった。 本来であればただの美しい残骸として博物館にでも飾られるべき存在なのだろうが、俺の目には彼女がまだ完全に死んでいないことが視えており、その壊れた動力炉の奥底に微かに残る自我の欠片が、助けを求めて明滅しているのを感じ取ることができた。 俺は聖剣を手に入れた時と同じように職人としての血が騒ぐのを感じ、彼女の前に膝をつくと、その冷たい頬に手を触れて彼女の構造と破損箇所を瞬時に解析し、その複雑怪奇な内部機構の美しさに思わず息を呑んだ。 現代の魔道具技術とは比較にならないほど高度な論理回路と魔力伝達網が全身に張り巡らされており、そのすべてを修復するには膨大な魔力と集中力が必要になることが予想されたが、今の俺にならそれができるという確信があった。


「待ってろ、今すぐ直してやるからな」


 俺は優しく語りかけながら両手にありったけの魔力を込め、【修復】の光を彼女の胸の亀裂へと注ぎ込むと、砕け散っていた動力魔石の破片が光の渦の中で再結合し、失われていたパーツが虚空から生成されるかのように、次々と定位置へと収まっていった。 それは単なる修理作業というよりは、止まっていた命の時計を再び動かすための儀式のような荘厳さを帯びており、俺の額には玉のような汗が浮かび上がったが、それでも俺は光を注ぐことをやめなかった。 やがて胸の亀裂が完全に塞がり、動力炉から規則正しい鼓動のような駆動音が聞こえ始めると、彼女の全身を巡る魔力回路に光が走り、指先が微かに痙攣するように動いた。 俺が固唾を飲んで見守る中、長いまつ毛が震え彼女の瞳がゆっくりと開かれると、そこには深い知性と無垢な感情を宿した真紅の瞳が宝石のように輝いており、彼女は焦点を合わせるように何度か瞬きをしてから、俺の顔をじっと見つめた。 機械的な起動音と共に彼女の唇が開き、鈴を転がすような可憐な声が静寂な空間に響き渡った。


「システム再起動完了。マスター認証を確認しました。おはようございます、マスター」


 彼女は流れるような動作で立ち上がると、スカートの裾を摘んで優雅にカーテシーを行い、その仕草は王宮に仕える侍女のように洗練されていたが、その身体から放たれている魔力は、先ほどの聖剣に匹敵するほどの凄まじいものだった。

 アリスと名乗ることになる彼女との出会いが、俺のダンジョン生活、いやこの世界の運命そのものを大きく変えていくことになるのだが、今の俺はまだこの出会いの本当の意味を知る由もなかった。

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