第4話 古代の守護者

 アリスと名乗った銀髪の少女は、深紅の瞳で俺を直視したまま表情一つ変えずにマスターとしての認証完了を告げると、俺の返事を待つこともなく自身のシステムチェックを開始し、その華奢な身体からは想像もつかないほどの高密度の魔力が放出され、周囲の空間がビリビリと震え始めた。


 俺は突然の事態に言葉を失いながらも、彼女の動作の一つ一つに見入ってしまったが、それは彼女が単に美しいからというだけではなく、俺が【修復】によって組み上げた彼女の内部構造が驚くほど精密に稼働し、数千年のブランクを感じさせない完璧な連携を見せていることに、職人としての感動を覚えていたからに他ならなかった。


 彼女は空中に複雑な幾何学模様を描く投影ウィンドウを展開し、高速で流れる古代文字の羅列を目で追っていたが、やがて満足げに頷くと、ふわりとスカートを翻して俺の方に向き直り、人間と変わらない滑らかな所作で恭しく一礼した。


「機体ステータスオールグリーン、動力炉出力安定、武装システムのリンク確立。マスターの卓越した修復技術により、本機は製造時以上のパフォーマンスを発揮可能な状態にあります」


 その声は鈴を転がすように可憐でありながらも、どこか事務的な冷たさを帯びており、彼女が感情を持つ人間ではなく、あくまで与えられた役割を遂行するために作られた機械であることを再認識させられたが、俺に向けられる視線には、プログラムされた忠誠心以上の熱量が含まれているようにも感じられた。


 俺は彼女にどう接すべきか迷いながらも、おずおずと手を差し伸べると、彼女は躊躇うことなくその手を取り、ひんやりとした人工皮膚の感触と共に、彼女の体温とも言える魔力の温もりが伝わってきて、俺たちは奇妙な信頼関係で結ばれたパートナーとしての一歩を踏み出した。


「とりあえずここを出よう。俺の拠点はもう少し戻ったところにあるんだ」


 俺がそう告げると、アリスは即座に護衛ポジションにつき、俺の斜め後方に控えるようにして歩き出したが、その足音は全くせず、まるで幽霊のように気配を消して移動する技術は、彼女が戦闘だけでなく隠密行動にも特化した機体であることを物語っていた。


 遺跡エリアを抜けて元の自然洞窟エリアに戻ると、先ほど聖剣の気配に怯えて逃げ出していた魔物たちが、俺の気配が薄れたと勘違いしたのか、あるいは新たな獲物の匂いを嗅ぎつけたのか、再び通路の奥からぞろぞろと姿を現し始めた。


 Sランクの冒険者ですら苦戦する凶悪なキラーマンティスやアシッドスライムの群れが、殺気を撒き散らしながらこちらに向かってくるのを見て、俺は反射的に腰の聖剣に手を伸ばそうとしたが、それよりも早くアリスが動いた。


「排除します」


 短く告げられた言葉が終わるよりも早く、彼女の姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間には先頭を走っていたキラーマンティスの首が胴体から離れ宙を舞っており、その断面からは血飛沫すら上がらないほどの神速の斬撃が放たれていた。


 アリスはスカートの中に隠されていた極薄の振動ブレードを両手に構え、魔物の群れの中に単身で飛び込むと、それはまるで舞踏会で踊るかのような優雅な動きで次々と敵を解体していき、硬質の甲殻も粘液の防御も、彼女の刃の前では紙切れ同然に切り裂かれていった。


 俺はその光景をただ呆然と見守ることしかできず、彼女が繰り出す剣技の鋭さと無駄のない足運びに見惚れてしまい、自分が加勢する必要など微塵もないことを痛感させられたが、同時にこれほどの戦力があれば、ダンジョンのどこへ行こうとも命の危険はないだろうという絶対的な安心感を得た。


 物理攻撃が効きにくいスライム種に対しては、アリスは掌を向けて掌底打ちのような構えを取り、そこから圧縮された魔力砲を至近距離で炸裂させることで核ごと蒸発させるという荒技を見せつけ、彼女が近接戦闘だけでなく、魔法戦においても規格外の性能を誇っていることを証明してみせた。


 わずか数分もしないうちに、数十体はいたはずの魔物の群れは全滅し、通路には魔石とドロップアイテムだけが転がる凄惨な光景が広がっていたが、その中心に立つアリスのメイド服には返り血ひとつ付いておらず、彼女は涼しい顔でブレードを収納すると、何事もなかったかのように俺の元へと戻ってきた。


「戦闘終了。周辺の脅威レベルは低下しました。マスター、お怪我はありませんか」


「あ、ああ。すごいなアリス、まさかこれほど強いとは」


「恐縮です。ですが、本機の出力の三十パーセント程度しか使用しておりませんので、強敵との戦闘においてはさらなる殲滅力を提供可能です」


 三十パーセントでこれなのかと、俺は心の中で突っ込みを入れたが、彼女にとってはこれが当たり前の基準なのだろうと思い直し、改めて自分がとんでもない化け物を直してしまったという事実に戦慄しつつも、頼もしさを感じずにはいられなかった。


 俺たちはドロップアイテムを回収しながら拠点へと戻り、そこには俺がで作り上げた石壁の部屋と第3話で手に入れた聖剣、そして今や最強の護衛となったアリスが揃っており、かつてゴミ捨て場だった場所は、今や世界で最も安全な要塞へと変貌を遂げていた。


 拠点に入ると、アリスは即座に室内のスキャンを行い、居住環境としての不備がないかを確認し始めると、埃一つ落ちていない床を見て満足げに頷いたかと思えば、今度は俺の着ている服が泥と血で汚れていることに気づき、眉をひそめた。


「マスター、その服装は衛生的に推奨できません。直ちに着替えを用意し洗濯を行うべきですが、予備の衣類は所持されていますか」


「いや、全部リサたちに持っていかれたから着の身着のままなんだ。でも【修復】を使えば汚れを落とすくらいはできるはずだ」


 俺は自分自身に【修復】をかけ、服の繊維に染み込んだ汚れや破損を「汚れる前の状態」に戻すことで新品同様の清潔さを取り戻したが、アリスはその様子を見て目を丸くし、初めて感情らしい驚きの色を見せた。


 物質的な洗浄ではなく時間的な逆行によるクリーニングなど、彼女のデータベースにも存在しない未知の技術だったらしく、彼女は俺の周りをぐるぐると回りながら興味深そうに観察を続けていた。


「マスターの能力は魔法というよりは事象改変に近いものです。理論上はこの能力を応用すれば、物資の補給や設備の維持にかかるコストをゼロにすることが可能であり、ダンジョン内での永続的な生存が確約されたも同然です」


「そうだな。食料だって腐ったものを直せばいいし、水もなんとかなる。ここなら地上よりも快適に暮らせるかもしれない」


 俺はふと地上での生活を思い出し、Sランクパーティの雑用係としてこき使われていた日々や、狭い安宿で泥のように眠るだけだった毎日と比較してみたが、どう考えても今の状況の方が精神的にも物質的にも満たされている。 ここには俺を罵る奴はいないし、俺の技術を評価し必要としてくれるアリスがいるし、何より自分の力で世界を作り変えていくという全能感と自由があった。


 俺は拠点の中に転がっていた平らな岩を【修復】して座り心地の良い石の椅子に変え、そこに腰を下ろすと、アリスが自然な動作で俺の肩を揉み始め、その絶妙な力加減に思わず声が漏れた。


「アリス、そんな機能まであるのか」


「本機は戦闘用オートマタですが、マスターの心身のケアを行うことも重要任務の一つとしてプログラムされています。マッサージ、調理、清掃……あらゆる奉仕活動に対応可能です」


「それは助かる。まさかダンジョンの底でこんな贅沢ができるとは思わなかったよ」


 アリスの冷たい指先が凝り固まった筋肉をほぐしていく感覚に身を委ねながら、俺はこれから始まるダンジョンライフの計画を頭の中で描き始めた。 まずはこの殺風景な拠点を拡張し、寝室や風呂場を作りもっと快適な居住空間にする必要があるし、食料の安定供給のために魔物を狩るだけでなく、ダンジョン内に自生している植物を採取して栽培することも考えられる。


 俺の【修復】とアリスの戦闘力があれば不可能なことなど何一つないように思え、絶望から始まったこの物語が、いつの間にか希望に満ちた開拓記へと変わりつつあることを実感した。


 しかし、アリスの手がふと止まり、彼女の視線が拠点の入り口の方へと向けられた時、俺もまた微かな異変を感じ取り、空気が震えるような圧力が遠くから近づいてきていることに気づいた。 それは魔物の気配ではなく、もっと異質で強大なエネルギーの波動であり、ダンジョンの深層という閉ざされた空間の均衡を乱す何かが発生しつつある予兆だった。


「マスター、高エネルギー反応を検知。この階層の環境マナが乱れています」


「またドラゴンか、いや、もっと違う何かか」


 俺たちは顔を見合わせ警戒態勢に入ったが、その脅威が俺たちの平穏な生活を脅かすものであるならば、全力で排除し直すまでだという決意を共有していた。 俺の手には聖剣があり、隣にはアリスがいて、そして俺自身には万物を修復する力があるのだから、どんな理不尽が訪れようとも恐れる必要はどこにもなかった。


 俺は立ち上がり、アリスと共に異変の発生源へと向かう準備を始めたが、その時、俺の腹が盛大に鳴り響き、緊張感が一気に緩む音がして、アリスが無表情のまま少しだけ口角を上げたような気がした。

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