病名のない難病もちですが、第二の人生を満喫してます~作家志望11年目の本音~
花 千世子
病名のない難病もちですが、第二の人生を満喫してます~作家志望11年目の本音~
病院の待合室。
私は診察を待つ間、ぼんやりとしている。
今日も今日とて脳神経内科はガラガラだ。
人類滅んだのか? ってぐらい人がいない。
つまりこの調子だと、10分以内には診察室に呼ばれる。
スマホで暇つぶしするよりも、小説のネタを考えていたほうがいい。
神経内科とは、かれこれ20年以上のお付き合いである。
それ以前はずっと小児科だったので、病院とのお付き合いも30年ぐらいになるだろうか。
脳神経内科にかかっているというと
なんの病気ですか? と聞かれることがたまにある。
でも、答えにとても困ってしまうんだよ。
だって病名ついてないんだよね……。
病名がついてないと本当に困る。
問診表とか健康診断とか書くとき。
あと、別の病院で口頭で説明するときに困る。
もう私が適当に病名つけたろか!
おまけに原因不明、治療法不明。
似たような症例が、国内で恐らくあと1人、国外にも2人いるかどうか、と医者。
フルコンボだドン
これは、そんな病名のない難病と幼いころから付き合っている
花千世子(44)の、闘病だか作家志望のぼやきだかよく分からないエッセイである。
私は4年前にポプラキミノベルで大賞をいただき、3年前に書籍化している。
シリーズは4作続いたが、その後に実質打ち切り。
それ以降は企画書を通せず、公募勢に戻って今に至る。
今年の7月で書籍デビュー4年目だが、水面下で動いている作業なし。
応募しているコンテストは軒並み落選。
人生こんなものである。
嘆いているわけではなく、楽しくやっているので問題なし。
私の人生で
受賞→書籍化→4冊も出してもらえるという幸運が続いたので
これ以上に幸運が続くと、反動でどんな不幸が訪れるかハラハラしていた。
だけど、現状になって結構ホッとしている自分もいるのだ。
つまり現在は、運が通常営業に戻っただけである。
とはいえ、現状を不幸だと嘆いているわけでもない。
創作では、かなりラッキー寄りの人間だと思っている。
しかし、健康運はあまりラッキーなほうではないだろう。
私は昭和56年4月の午後4時頃に生まれた。
やや低体重気味なことと、生まれた直後に黄疸が出たので
母より少し長く入院したこと以外は
特に何も問題のない赤子だったそうだ。
最初に私の異変に気付いたのは、保育士さんだった。
保育園の夏まつりで、ヨーヨー釣りをしていたとき。4歳頃だろうか。
私の手がかすかに震えていたらしい。
それを見ていた保育士さんが、母に念のため伝えてくれたそうだ。
さすがプロ。よく見てる。
それからすぐに母は私を病院へ連れて行った。
かっぱえびせんをスプーンで、おちゃわんから別のおちゃわんに移すという作業をさせられたことは、ぼんやりと覚えている。
そしてお医者さんに、「かっぱえびせん、もう使わないから食べていいよ」といわれ、むしゃむしゃ食べながら、母とお医者さんの話を聞いていた。
難しい言葉はよく分からなかったが。
「問題ありませんよ」というようなことを、お医者さんが言っていた気がする。
でも、問題なくはなかった。
しかしお医者さんは悪くない。
このあと、私はいくつも母に病院に連れて行かれたが。
結果的に大学病院で検査入院して、徹底機に調べてもらって、ようやく「病気」ということが分かったのだ。
分かったのは概念のみである。
とはいえ、病気かどうかさえわからなかったことが
ようやく医者により「病気です」と証明されたのだ。
あと、以前よりは効果のある薬も処方されるようになった。
私の病気は、大脳だか小脳だかが原因らしい。
どっちか忘れた……。
ざっくりいうと、脳の信号が体にうまく伝わらないらしい。
そのうえ、自分の意思とは関係なく体が勝手に動く、という非常に厄介なものである。
そのため、日常生活では支障もある。
歩行、食事、家事(主に調理、買い物)など、スムーズにできない。
脳の信号が体にうまく伝わらないうえに、余計な動きはするので……。
わかりやすいイメージを伝えるならば。
常にくしゃみをしているような動きがある、と考えてくれるとありがたい。
そして、その動きが全身に出る。
おまけに特定の動きになると、今後は体が硬くなるという……。
伝わるだろうか、これ。説明やっぱ難しい。
とにかく生きてるだけでカロリー消費はんぱねえ!
そのわりにここ数年で体重増えたのはなぜ?!
日常生活に支障は出るものの、家事は一人でできている。
工夫すればなんとかなるものだなあと実感している。
40年以上この持病と付き合ってきたので、扱いもまあ分かって来たし。
そしてありがたいことに(ありがたいことに?)
パソコンのキーボードを打つのは問題ない。
10年のライターの仕事でタイピング速度はかなり上がった。
そんな私は、家の外にあまり出ない。
病気とか色々と事情はあるが。
今は熊が怖い……。山が近い田舎なので。
歩いていると小説のアイデアがまとまりやすいので
歩きたいけど、やはり熊との遭遇が怖い。
私は病気で走ることができない。
そのため、熊に出会ったら逃げられなくて詰む。
とはいえ、熊ってすごい足が速いらしいので、私が走れたとて……。
私が自分の足で走れたのは、小学三年生までだろうか。
それ以降、なにがきっかけなのか分からないが走れなくなり
運動会はすべて見学していた。
もともと運動音痴なので、堂々と見学できるのはラッキーであった。
自分の席でクラスメイトのリレーを見ているのは、気楽すぎて思わず笑顔になるほど。
小学六年生の時に、急に歩けなくなった。
歩けなくなるのはとても困る。
小学校は片道1キロだが、中学校は片道2キロである。
それなのに許されていない自転車通学……!
歩こうとしても、うまく足が出ない。
しかし、医者もこればっかりはどうしようもない。
治療法がないのである。
しかし、本当になぜなのかわからないが。
スキップだけはできた。
なので、下校中は堂々とスキップで帰った。
うきうきで下校する小学生にしか見えなかっただろう。
歩くことが難しくなって、もう私は中学はスキップで通うしかないのか。
そうあきらめていたときだった。
「歩けないはずがない。だって前は歩けたんだから!」
母はそういって、あきらめなかった。
母は私の歩き方を徹底機に分析してくれた。
そして、コルセットを巻けば背中が伸びて、姿勢が安定する。
そうなると病気で無駄な動きをする余地がなくなる。
そう判断し、半信半疑で制服の下にコルセットを巻いてみた。
歩けるようになった。
母の観察力、すごい。
歩けるようにはなったが、やはり少し支障はある。
足がうまくついてこないので、片足を引きづるようになってしまう。
まあ、だから歩くと、すごい運動になるんだよね。
そのせいか、当時はガリガリだった。
今は……おかしいな、なんでだろうな?
そんなふうに、小学校高学年ぐらいから病気の症状が顕著に出始めた。
今までできていたことが、できなくなっていく。
それは怖いことのはずだ。おそらく。
しかし、私はあまり深く考えない子どもだった。
この先どうなるか、ということはあまり考えない。
とはいえ、それまでできていたことができなくなるのはショックではあった。
だけど考えてもどうにもならない。
そういうときは、よく妄想の中に逃げ込んだ。
妄想の中では、私は名刑事にだってなれるし、海外だって行けてしまうのだ。
私は病気で現実を直視できなくなるたびに、妄想の中へ逃避するようになった。
その妄想は、創作活動に活きているのではないかなあと思う。
あと、暇つぶしアイテム(スマホなど)を忘れたときに、2時間でも3時間でも妄想に浸れる。そこだけは鍛えられた。
さて、そんな私は現在は無職である。
無職というか、専業主婦のはずだが。
専業主婦といえるほどに、ちゃんと家事をしていない。
病気だからできないのではなく、強い意思を持ってサボっている。
それに夫婦ふたり、猫1匹の家事って少ないものだ。
あと、私がサボっているのも大きい。
本当のところ、ライターに復帰したい。
完全在宅でライターの仕事だけをさせてくれる会社が良い。
前職はライター応募をしたはずが、仕事内容はちがったので
あと、お給料をちゃんとくれ……小学生のお小遣いですらない……いえ、なんでもないです。
通勤するタイプのライターは無理である。
通勤も困難というのもあるが。
病気の症状で、椅子に座ってパソコン作業できないから。
椅子に座ると、足が自由になるため、病気の症状で足が勝手に動くのだ。
それを押さえるために、地べた族という選択肢しかない。
こたつやローテーブルにパソコンを置いて作業をする。
地べた族、とても快適である。
さて、完全在宅のライターの求人。
私の探した方悪いのかもしれないが、昔よりも……11年前にライターを始めた当初よりは断然、求人は減っている気がする。
あと、単価が安いところが増えてる!
1日6000文字以上のノルマで、1文字0.5円はちょっと……。
しかも、それ以下の単価もゴロゴロある。
花千世子は激怒した。
単価が異様に安い仕事はロクなものではないので応募しないと決意した。
花千世子は算数がわからぬ。算数は分数で挫折した。
しかし単価には人一倍敏感であった。
正直なところ。
小説で再受賞→爆売れ!
これがいい!
そんなルートをたどりたいところだが、そんなルートなぞ存在しない!
再受賞できても、ライターの仕事をやっているほうが安全である。
だっていつまた、お仕事がなくなる(小説もライターもどっちかがなくなるかも)可能性はあるわけで……。
どっちもなくなる可能性もあるわけで。
しかし、そんなことを言いだせばキリがない。
むしろ私がこうして、お金を稼ぐ手段があることが奇跡なのである。
小学生の頃、病気でどんどんできることが減っていく中
焦ったのは、当の私ではなく母である。
まだ病気だと医者に診断されなかった頃だ。
あらかたの病院は行ったが、どこの病院でも「よくわからないですねえ」と医者に言われた。
そのうち、母は私を整体や気功へ連れて行くようになる。
どれも治らない。
母は、とうとう霊媒師の元へ私を連れて行った。
霊媒師の元へ行ったとき、なんかすごい祭壇?を前に
大げさにお経を唱えられつつ思った。
これはちがうやろ(似非関西弁)
おそらく、これではない。
霊媒師でなんとかなるやつではない。
逆にお祓いをしてもらって治ったら、それはそれで怖い!
なにが憑いてたんだよ!
霊媒師にお祓いをしてもらったあと、もちろん治っていなかった。
ホッとしたような、予想通りのような……。
それを見た母がポツリと言った。
「さすがにちがうか」
母は正気であった。よかった!
だってめちゃくちゃ心配していたのだ。
このまま母が、「仏教がダメなら別の」とか言って変な宗教に走らなくて、本当によかった!
母は焦ってはいたが、常識はあった。
そうして私は、中学1年生の時に大学病院で1カ月の検査入院。
本当は夏休みまるっと検査入院したので1カ月以上だが、細かいな。
病名も原因も治し方もわからないが、病気であることがわかった、というわけだ。
退院後、母が病気を治そうとさまざまなところへ私を連れて行くことはなくなった。
そして母は、私を病気の人間として特別扱いをすることはなかった。
人に迷惑かけたり、本当に困ったりしたとき以外は、誰かに頼ってはいけない。
自分でなんとか工夫して乗り切れ、何もできなくなったら病気も治らない。
母は私にそう教えてきた。
そのため、私は持病があるからとあきらめず、出来る限りのことは自分だけでしている。
夫は熱心に私の日常をサポートしてくれる、とてもありがたい存在だ。
しかし私は持病があっても、できるかぎりのことを自分でやりたい。
たとえ失敗しても、時間がかかっても、不格好でも。
他人に迷惑をかけたり自分がケガしたりしないなら、やはり自分の体で動きたい。
あと、夫に頼むと時間のロスができてしまうから、自分でやっほうが早い(せっかち)
仕事もそうだ。
本当のところ、なんでもやってみたい。
気になった職業はいくつもあるけど、病気があるのでできない。
中学生の時は、さまざまな仕事にあこがれた。
看護師、警察……ぜんぶ漫画とドラマの影響だけど。
でも、これらの仕事はできない。病気の症状から無理だ。
一番、あこがれたのは映画の脚本家の仕事。
ハリウッド映画の脚本家になりたいとか思っていたが(中学生なので許して)
中3の時に英語がぜんぜんできなくて無理だと悟った。
むしろ英語ができたらいける、と思っていた自分はある意味すごい。
高校生になって、私はいよいよ自分の将来というものが暗いということに気づく。
中学三年生ぐらいから、字を書くことができなくなっていった。
最初は書くのが大変だった。
それが年々、手が動きにくくなっていった。
できないと自覚すればするほど、私の脳みそは「できないかも」とブレーキをかけるようになる。
脳、お前ふだん言うことを聞かずに勝手に動くくせに……。
ブレーキだけはちゃんとかけるんだな……。
ちなみに私の病気は進行するタイプではない。
恐らく、病気は悪くなっているのではなく、本来の症状が出ているだけなのだ。
しかも病気の症状が出てきた時期は、思春期の頃。
周囲と違うというだけで、なんだかそこに居づらい気がしていた。
現状はやはり字が書けないままだ。
頑張れば、問診票を埋められるのだが。
動きにくい手で無理やり書くので、めちゃくちゃ読みずらい。
そのため、選挙なんかは代筆を頼んでいる。
ありがたいね、代筆してくれるの。
小学6年生の頃から、趣味で漫画を描いていた。
しかし、字が書けなくなれば絵だって描けなくなる。
高校生の途中ぐらいで描くのをやめた。
こんな状態で、私は将来、どんな仕事ができるんだろうか。
字も書けない、走れない、立っているのもフラフラする、細かい作業はできないことも多い。
これじゃあ、なんの仕事もできないのでは?
そんな不安が襲う。
実際に、高校生の頃に何度かバイトの面接に行ったが(軽作業系)
すべて不採用であった。
まあ、それはそうだろう。
高校を卒業し、専門学校へ入学した。
専門的な何かをやりたいわけではない。
ただただ社会人になるのを先延ばししたいだけだったのだ。
そして、専門学校では、命の危機を感じるほどのいじめに遭った。
とはいえ小、中、高とイジメには遭った。
病気があると、そして目立つような症状があると
どれだけ周囲に迷惑をかけていなくても、いじめてくる人間はいる。
私は、周囲に迷惑がかからないよう生きてきた。
少なくとも、いじめてくる人間とは関わったことはない。
しかし、向こうから関わってくるのだ。心底うざい。
専門学校はそれが酷かった。
暴力を振るわれることこそなかったが、体のデカい男子が「殺す」と言ってきたら、警察案件でよかったのでは?
先生までいっしょになって私をいじめてきたので、二年生の夏休みで退学した。
専門学校は行かなくても良かったな、と思った。
私は人生に無駄な時間はないと思っている派だ。
しかしあの専門学校だけは無駄の塊だった。
両親にだいぶ無駄なお金を使わせてしまった……。
そのあとは、車の免許取ったり(運転は大丈夫なんだよ)
パソコン教室に通ったり、唯一採用された掃除の掃除をしたりした。
そして、掃除のバイトでまたも病気があるからとおばちゃんたちにイジメられ、辞める。
病気があると、ものすごく良い人に出会うことがある反面。
ものすごく悪い人間が絡んでくることもある。
わたしは、世間でいうところの弱者らしいので、色々な人が見られるのは
創作の上では役に立つかもしれない。キャラを書くのは今も苦手だけど。
そこから、正社員として雇ってもらおうと動き出す。
しかし、私がとったパソコンの検定の1級は、通っていたパソコン教室でしか通用しないものだと後から分かった。
つまり……無意味な資格ってコト?
無意味な資格と持病持ち。必要のないものしか持ってない。
おまけに時代は就職氷河期である。
どんな大学を出ていようが、どんなに専門分野にと特化していようが、就職が難しい時代。
当時の担当医に、薬をもらいにいくたびに現状を報告した。
母も担当医の話を聞くために診察室までについてきた。
仕事がなかなか決まらない、病気があるとできることも限られてしまう。
そんなことを私が話すと、担当医は言った。
「千世子さん、障がい者手帳を取得してもいいかもしれませんね」
つまり障がい者枠で雇ってもらうのが一番、可能性があるということだ。
しかし、母は障害者手帳の取得には絶対に反対だった。
母は見栄を気にする人だ。
周囲に娘が名前のない難病がある、とすら話していない。母の実の姉妹にすら話していない。
ちなみに、私には弟が二人いる。
一番下の弟は、重度の自閉所だ。意思疎通もままならない。
母はこれ以上、健常者の我が子を減らしたくなかったのだろう。
私は少なくとも健常者ではないんだが。まあ、気持ちの問題だよね。
母としては、私が治るという選択肢を捨てたくなかったのだろう。
別に障がい者手帳をもったからといって、治らないとは限らないが。
そこからなんやかんやあって。
私の持病をわかったうえで、バイトとして雇ってくれる店で働いた。
ちょうどその時、私には趣味があった。
小説を書くことである。
実家には私が高校二年生ぐらいの頃に、ワープロがあった。
年賀状を作るためだけに購入された代物である。
19歳の頃、ワープロで文章が書けることに気づいた。
そういう機能があることすら知らなかったのだ。年賀状以外で触らなかったから……。
私はワープロで文章を書けると知ると、あれこれと物語を書いてみた。
当時ハマっていた、レオンとか踊る大捜査線の二次創作。
でも、冒頭だけ書いて飽きてやめていた。
そのうち、片思いの人と自分が両想いになる妄想を小説として書くようになる。
20歳で一次創作にハマった。
これが相当な沼だということは、当時は知る由もない。
22歳ぐらいの頃、「作家になりたいな」と漠然と思った。
でも、どうやったらなれるのかよく分からなかった。
だけど、なりたいと思った。やはり漠然としている。
まさかその20数年後に、本当になれるとは思わなかったが。
24歳の時に結婚した。
夫とはFF11(オンラインゲーム)で出会った。そのエッセイはカクヨムにあるはず。
こうして私は、愛知から栃木へ。
持病で外で働くことは難しいので、専業主婦となった。
5年専業主婦をしたのち。
夫が脱サラして自営業に。
私も仕事をしたほうがいいなと思い、最初に夫に提案されたのは
障がい者手帳の取得であった。
もし、夫が働けない状態になったとしても、障がい者枠で働ける可能性がある。
私は納得して、担当医に障がい者手帳を取得したいと伝えた。
検査などをして、障が者手帳を取得。
予想よりも少し級が重かった。
正直なところ、複雑な心境だった。
障がい者手帳をもらうと、重みが違う。
これを持つと、自分が病気だということを真正面から受け止めないといけない。
むしろ今まで目を逸らし過ぎていたのだろう。
仕事で必要になるかもしれないとはいえ、母にはなんていおう。
とりあえず黙っておくか! 実家が離れてるとこういうとき便利!
結局、仕事では障がい者手帳を活用することなく在宅ライターになった。
とはいえ、障がい者手帳は色々な割引をしてもらえる。
とてつもなくありがたい。ありがたすぎる。
こんなに元気なのに申し訳ない、とすら思う。
障がい者手帳を取得したことは、数年後に母にも伝えた。
どう反応されると思えば……。
「へー! いろいろと割引されるでしょ!」
あ、うん。そうね。
母は現在はだいぶ吹っ切れていた。
でも、よかった、ショック受けてなさそうで。
ライターになったと同時に心境に変化が訪れた。
本気で作家になりたいと強く思うようになったのだ。
それまで、小説を書くといっても趣味の域を出なかった。
一次創作をコンスタントに書き始めたのは21歳の頃。
公募などは存在すら知らなかった。
結婚後は、年1で公募に応募するだけで、その間は何も書かなかった。
たまに思い出したようにブログに短編小説を書く程度(原稿用紙20枚ぐらい)
それも年に2~3回ほど。いや、そんなになかったかも。
だからこの期間は作家志望ではないな、と思っている。
私が本当の意味で作家志望になったのは、11年前だ。
コバルト短編に毎回出そう、ノベルも出そう、そうやって書く量を増やしていった。
応募する回数が増えれば、落選も回数も増えていく。
しかし、良い結果もたまーーにあった。
小説の方は落選ばかりでも、ライターの仕事は順調だった。
ライターの仕事は、月に書ける文字数が増えれば増えるほど
仕事も定期的にもらえる。
私はライターといってもコラムを書くライターではない。
別に職業をいうなと言われていないので、ここでは書こう。
占いの結果文を書く仕事である。
ちなみに私は占い師でもなんでもない。占いの知識はない。
この辺の説明は省こう。関わった会社はここまで読んでいないと思うが。
とにかく心を無にして、想像力を働かせて、たくさんの文字数を書くことが
正解とされる仕事であった。
これは前職ではなく、前前職のことだ。
前々職まではちゃんとライターだった。
しかし、この占いライターの仕事。
とてもメンタルが辛い。
何が辛いって、「毎月毎月、同じようなことを書いている気がする」という恐怖である。
なので、ライターとして働いていたころは、3カ月に1回くらい「うわああああ」と叫びたくなり、無気力で本も漫画も何も摂取できないという時期があった。
月10万文字を書くようになると、発狂する暇さえなくなった。
その間も小説の応募は続けた。
私のメンタルを支え続けたのは、小説の公募だったのだ。
本気で作家志望児を決意してから5年ぐらいが経過した頃。
児童文庫に応募するようになった。
すると大人向けより断然、成績が良かった。
ビギナーズラックかもしれないが、デビューも児童文庫なので
児童文庫に向いていると思いたい。
3年前の書籍化デビューと同時に、書籍化作業を優先するため
ライターの月の文字数を減らしたら、仕事がこなくなった。
それ以来、ライターの仕事はまともにしていない。
さらに書籍化作業で公募からも離れた。
そして公募勢に2年ほど前に復帰して、現在に至る。
復帰後は、とにかくあちこち応募して、落選しかしていない。
去年10月の、みらい文庫の1章だけ大賞の最終選考が
直近で一番良い結果である。
だから、私は次のみらい文庫大賞に全身全霊を注いでいる。
これ、落選のフラグになりそうで怖い……。気合いれたときに限って落ちるんだよ。
落選がきついとき、「書かなければショックも受けないのでは?」
そう思ったことは一度や二度ではない。
自分が書かないことで困る人は誰もいないのだ。
作家志望は決意であり、はたから見れば趣味と大して変わらない。
しかも私は、趣味だと割り切って書けるほどマメな人間ではない。
というか、小説家になる理由は
小説を書くことで、お金を得られること。
ここが大事である。
お金を得ることで、堂々と「仕事だから書いていい」と思えるのだ。
作家志望だと、「わたしは1円もお金にならないことをずっとしている」という罪悪感にかられるが、そこでお金を稼げるようになればそれは労働だ。
私は小説を労働にしたい。
趣味のままはキツイ。私はそこまで小説を書くことを愛していないのかもしれない。
とはいえ、作家になるという夢を持てた。
成功を夢見るのは最高の希望だ。
あの頃、あきらめた夢と希望が詰まっている。
中学の頃に「私の人生に希望はないのか」と思った。
高校生になると自分の将来から目を逸らし続けた。
そんな自分に、今は追いかける夢という最高のものができたのだ。
その夢を簡単に手放したくはない。
だから、落選に怯えずに淡々と書いて応募するのみ!
でも落選したら、めちゃくちゃ落ち込むけどね!
今、私は創作を通してたくさんの経験をしている。
不自由な体で、なかなか思うように外に出られず、遠出なんて相当の覚悟が必要だが。
今は便利なもので、東京の出版社の人とZOOMで打ち合わせができる。
創作仲間もたくさんできたし、悩みをきいてくれる先輩作家さんもいる。
創作は、私にとっての生きがいだ。
それと同時に、10代の頃にうまくいかなかった青春のやり直しをさせてくれている。
だから私は何度も落選しようと、結局は小説を書くのだろう。
病名のない難病もちですが、第二の人生を満喫してます~作家志望11年目の本音~ 花 千世子 @hanachoco
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