第2話

「いやー悪いね、勉強で忙しいのに色々教えてくれてさ。」

 勧誘を受けてからしばらく経って、卓球部設立の申請が正式に受理された。田舎の公立高校のイメージに反して拍子抜けなくらいに手続きは進んで、卓球部の活動が始まった。卓球部はその競技の関係上、体育館のスペースが無ければどうにもならない。この高校の体育館は2ヶ所あるけど、その片方は放課後なぎなた部が使っている。剣道部が無い代わりになぎなた部が活動している珍しさはさておき、そのなぎなた部も最近は部員数が減少しているようで、体育館のスペースの全てが使えなくなくてもそこまで困らない。ということで、特に衝突も無く体育館のスペースを確保することができた。

 卓球部の活動日初日はお互いの顔合わせと既存の設備のチェックから始まった。現在の部員は5人。最低5人が部活動として認められる為に必要な人数だそうだ。ここから1人でも減れば廃部の恐れがある。メンバーは僕と大井さん、幽霊希望が2人と普通に活動予定の女子が1人という状態。

 こんな状態だから広いスペースも必要としないという訳だ。迷惑にならなければ体育館の備品も自由に使って構わないそう。卓球台とか使えなくちゃ困る。部活の予算なんて1円も出てないんだから。あれは高校生のお小遣いで買える物じゃない。何か必要な物があれば、その都度部員の自腹で購入しなければならない。予算が無いこと前提だから部の設立も大して苦労しなかったのだろうか?体育館にあった卓球用品は、ボロくて黒い卓球台が3台、それに使うネット類、ラバーがカッチカチでスベスベのラケットとボールが幾つか…。

「あれ?このラケット両方赤いね。」

 それはラケットに貼るラバーがまだ2色に分かれる前の時代のラケットだ。ただ劣化しているだけではなく相当に古い品物であることが窺える。卓球台の方も、最近の物なら青を基調としたカラーリングになっている。あ、ボールの方も確か素材が変わったんだったっけ。旧来の素材の方のボールは公式戦では使用不可になっているはずだ。流石に最新のルールに合わせた備品を用意しておいた方が良いとは思うが…その分の更新にはお金がかかる。そのお金は誰かの自腹になる。ただでさえ各々専用のラケットなどを用意しなければならない訳だし。

「結局、私たちは何を買えばいいの?」

 卓球台は古い物でも機能していればそのまま使うことができる。一番高額な卓球台の心配をする必要はなさそうだ。あと、練習でボールが遠くに行かないように適当な仕切りになる物も拝借するとしよう。新しく買うのは…それ以外の全てになるだろうか。ラケットはそもそも普通の卓球部でも個人が自腹で用意する物。ボールも壊れること前提で使う消耗品。普通の卓球部なら練習用のボールを大量に買って贅沢に使い潰す物だ。授業で使う物を部活で使い潰すわけには行かない。あとユニフォーム類も公式大会に出場するなら必要にはなるけど…当分の間はいいか。学校のジャージを着よう。要はラケットとボールを数個。メンテナンス用品は僕のを使い回せば良いだろう。

「ラケットって…どんなの買えば良いの?」

 まず、卓球のラケットは初心者向けの扱い安い物ならラバー含めて1万円辺りからかな。更に費用を抑えるなら、既に貼られたラバーからの張り替えが不可能ではあるものの公式戦でも使える物が存在している。そういうタイプのラケットなら3000円台だろうか。

「そっちも大事だろうけど、まずはラケットの種類とかを教えてほしいかな。」

「ラケットって、上向きに持つやつと下向きに持つやつがあるよね?」

 意外とお金に糸目をつけないものなんだな。うーん、純粋に卓球に興味を持ってくれたということなんだろうか?女性は真っ先にお金の心配をするイメージがあったんだけど。いや、単純に自分の感覚のほうがおかしいだけかもしれない。現にラケットを3つも保有しているんだから。両親がお金を出すのを渋るのも仕方なかっただろう。あの頃は強さとかお金とか大して考えず、色々試していた。それが楽しかったはずなのに、いつの間にか相手に通用する手を何度も打ち続けるだけになってしまった。まあ、今ラケットの事について説明するには丁度良い。今保有している3つのラケットを見せる。

 一つ目のラケットはシェークハンドのフレアにラバーは両面に裏ソフト。現在の卓球では最も一般的な攻撃寄りの構成だろう。シェークハンドはブレードを上に向け、握手するような感覚で持つ形状だ。使用者の懐に飛んできたボールには弱いものの、全体的にクセが少なく扱いやすい。フレアは握りやすいようグリップ部分が放射状に広がっていくような形のことだ。ラケットが手からすっぽ抜けづらくなり、スマッシュやドライブといった激しい振り方がやりやすい。初心者は大抵こういうラケットから卓球への入門を始める。

 裏ソフトは真っ平らな表面のラバーで、現代ではほとんどのラケットに装着されている。裏ソフトが無ければ戦術に大幅な制限がかかると言っても過言では無いだろう。大抵の場合、自分から協力な回転をかけることが難しくなるからだ。ボールの回転を強い打球によって上書きする。それが攻撃寄りの戦術と相性が良いんだろう。球速が重要視され、スマッシュやドライブの応酬となっている現在の卓球では、振り回しやすいフレアグリップ、球速重視の裏ソフトラバーの組み合わせが採用されることが最も多いだろう。

 二つ目のラケットはシェークハンドのストレートで赤面に裏ソフト、黒面に粒高。こちらは防御寄りの構成だ。これに貼られている裏ソフトは一つ目のラケットとは違って球速よりもコントロールのしやすさを重視した物。この手のラバーは価格も安いし、初心者が使うべき物であって慣れたらさっさと球速に優れたラバーに変えるべきって風潮があるように感じられる。中でも過激派は、いつまで経ってもコントロール系のラバーや粒高を使っているのはそんなスピード競走についていけない格下であると思っている節がある。実際、守備寄りの戦術だって極めれば強いと思うんだけど、そういう意見が流される程にスピード狂で溢れかえっているているのが現代の卓球。テレビで映されているような卓球では粒高が使われている場面なんかほとんど無い。素人に見せるほど上澄の世界ではマイナー扱いだ。

 それと、粒高はその名の通りツブが規則的に並んでいるような見た目と、回転の変化が特徴だ。正確に言うなら、ボールの回転をそのままにして打ち返すことで相手からは回転が変化しているように感じる…というものだけれど。例えば、時計の針は右半分は上から下に向かって動く。逆に左半分は下から上に向かう。それを利用したのが粒高だ。粒高で打ち返されたボールは、最初に打ったボールとはラバーにこすれる角度が異なる。それが打ち返された側からすれば回転が変わっているように感じるというものだ。それが本格的に卓球を始める時に重大な初見殺しにもなる。粒高の性質を知らなければなす術もなくミスを連発することになる。一方で、実力者相手になると対策されて粒高が生み出すの変化が意味を為さなくなっている。攻めに攻めまくる戦術にそれ以外の戦術で対抗するなら、相応の戦い方を考える必要がある。策士が使えばとことん強い組み合わせだ。その代表例がカットマン。カットと呼ばれる打ち方を多用する人たちだ。彼らが愛用するのがストレートというグリップで、コントロールのしやすさに優れている。

 三つ目のラケットは日本式ペンに表ソフトの片面。ペンあるいはペンホルダーというのはラケットを下向きに、ペンでも握るかのような感じで扱うラケットだ。シェークハンドとは違って、懐に飛んでくるボールに強いけどコートの外に飛んで行ったボールへの対処を苦手とする。主な種類は日本式ペンと中国式ペン。日本式ペンは角ばったブレードが特徴で、ラバーを片面にしか貼らずに軽量化に振り切った組み合わせが主流。このラケットはまさにそれだ。卓球のルール上、一度自身のコートに着地したボールを打ち返さないといけないし、コートに着地せずに床に落ちても相手の得点になる。つまり、軽いラケットでボールをコートに出る前、コートに着地した瞬間に素早く打ち返し、チャンスが来たら即刻攻勢に転じる…というのが日本式ペンの一般的な戦い方だ。

  表ソフトは裏ソフトと粒高の中間のような見た目のラバーだ。歴史的には実質標準装備の裏ソフトよりも歴史が長いし、表ソフトだけを用いるレギュレーションもあるけど…それは置いておこう。直線的なボール軌道になりやすく、ボールの初速が最も出やすい。裏ソフトより回転はかけづらいけど、その分ボールの回転に左右されにくいということでもある。粒高よりドライブを打ちやすいし、物にもよるだろうけど部分的に粒高のような変化も生み出せる。回転力は裏ソフトに劣るけど、別の方面で戦術の幅が広いラバーだ。

 …とまあ、実際のラケットとカタログを見せて、初心者にもわかりやすくするため脳内のように詳しく語りたい欲求を抑えて簡潔に説明していった。果たして2人はどういうラケットに興味を示すだろうか?

「これとかどうかな?」

 反転式ペン…!?

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