2品目 焼かない玉子焼き
「さぁて、と」
マルガネータは荒れた店内を気にする素振りも見せず、入口から一番奥にあるテーブル席にどかりと腰を下ろした。勝手に水差しを引き寄せ、コップに注いで一息つく。
「あ、あの、姐さん、オレたち……」
子分の一人が恐る恐る声をかけてきた。マルガネータはジロリと一瞥すると、
「その辺に散らかってるテーブルやらなんやらを片付けたら、あたしが呼ぶまで店の前にでも突っ立ってな」
「へ、へいっ!」
子分たちがドタドタと動き始める。従順でそこそこ腕の立つ舎弟ではあるものの、勘どころが鈍いのがいただけない。マルガネータは内心でため息をついた。
(――おっ、なにやら作り始めたみたいだね)
店の奥から漂ってきた匂いに、鼻をヒクヒクと動かす。グーグーが買い取った店は、潰れた喫茶店を改装したものだ。今では三つのボックス席と、五つのテーブル席があるこじんまりとした内装になっている。厨房の様子は暖簾が隠していて、中の様子はうかがえない。
(ガキのおままごとなんざ、普段ならまっっったく気にも留めやしないもんだけど……)
煙管に火を入れ、紫煙をくゆらせる。マルガネータは自分の目利きに絶対の自信があった。金貸しは人を見る目がないと務まらない。その勘が騒いでいるのだ。あの少年、ただのガキじゃない。腕っぷしもクソ度胸も大したものだが、それ以上に――何か、とんでもないものを隠しているような気がする。
「ああ、楽しみだね」
つぶやくと、一息に水を飲みほした。
(さてさて、あの坊やが
煙管を指でコンコンと叩きながら、マルガネータはぼんやりと考えこむ。
「
独り言のように呟いた。
「普通の鶏卵とは全く違う代物だ。まず、白身と黄身の比率が逆転してる。黄身が全体の七割を占めていて、濃厚な味わいが特徴だ。でも問題は火加減さね」
煙を吐きながら、遠い昔の記憶に思いをはせる。
「ちょっとでも火を通しすぎると、中身が一気に固まって、まるで石ころみたいにカチカチになっちまう。かといって火が弱すぎれば生焼けで腹を壊す。その絶妙な温度管理が、素人には絶対に無理な代物さ」
マルガネータは煙管をくわえ直した。煙の刺激に、丸眼鏡の奥で目をしばたかせる。
「プロの料理人ならいざ知らず、
口元に不敵な笑みを浮かべる。
「さぁて、あの坊やはこの難題をどう切り抜けるのか、とっくりと見せてもらおうじゃないか」
そうして待つこと15分――
「おう、待たせたな。ホレ、こいつが
少年が皿を手に、ヨタヨタと給仕してくる。グーグーは落とさないか、はらはらした様子で見守っていた。
ことり、とテーブルの上に置かれた料理を見て、マルガネータは怪訝な表情を浮かべる。
「……あぁん? なんだいこりゃあ」
皿の上にあるのは、出来上がった状態のまま、切られてすらいないただの玉子焼きだった。マルガネータは膳志朗をジロリと睨みつけると、
「なぁ、坊や? あたしゃ
「ちょいと失敬」
イタズラ小僧のような笑みを浮かべたまま、膳志朗が包丁で手早くカットしていく。
「ちょっ、待ちなっ! あたしの話を聞けって………………んん?」
切った瞬間、漂う香気を吸い込んだマルガネータの目が見開かれた。
断面から立ち上る湯気が、まるで黄金色の霧のように輝いている。濃厚な卵の香りが、いつまでも鼻腔にとどまり続けるような錯覚すら感じられた。
「な、なんだいこりゃ……」
前のめりになって皿の上にあるものを凝視する。ぱっと見はただの玉子焼き。それは間違いない。だが、その断面はどうだ? 玉子焼き特有の層がまったく見られず、まるでカスタードプリンのように、つるりと艶やかな光沢を放っているではないか。
「マルガネータ、これはね、シローくん特製の『焼かない玉子焼き』なんだって! 騙されたと思って食べてみなよ! なんていうか、もう…………っ! 今まで体験したことのない味だからさっ!!」
グーグーが尻尾をぶんぶんと振りながら、割りばしを渡してくる。
(焼かない玉子焼き? なんだいそりゃあ……)
マルガネータは疑り深い目で玉子焼きを睨む。箸でそっと触れてみると――
ぷるりんっ
「は?」
箸が触れただけで、玉子焼き全体がぷるんぷるんと波打つように揺れている。まるで乙女の柔肌のような弾力。だが表面にはしっかりと焼き色がついている。
「ありえないだろ、なんだいこの柔らかさは……」
そっと一口分を箸でつまむ。持ち上げた瞬間、「えっ!?」と、その重みに驚いた。見た目よりもずっしりと重い。これは水分が完全に閉じ込められているからなのだろうか。それとも卵液の火入れが甘いのか――
「ちょっと待ちな、坊や。
「おいおい姐さん、疑うのは一口
膳志朗が朗らかにに笑う。そのあどけない態度に、マルガネータはかえって警戒心を強めた。
「ふん、いいだろう。だがもし変な味だったら――」
ごくり、と生唾を飲むと、震える手でゆっくりと口へ運んだ。
唇が触れた瞬間――
ふつり
「!!!」
唇だけで噛み切れるほどの柔らかさ。歯なんて必要ない。舌で押しただけで、とろけるように崩れていく。
次の瞬間、口内で旨味の爆発が巻き起こった。
「こ、こいつは……!」
濃厚な黄身の味わいが、まるで洪水のように押し寄せてくる。それは単なる卵の味ではない。
(くっ……、この舌の上で踊る、なめらかな食感――――っ!!)
咀嚼すると、中から熱々の汁気がとどまることなく溢れ出す。出汁の優しい旨味と、ほんのりとした甘み。香気が鼻腔を突き抜け、脳天まで一気に駆け上がっていく。
がたり、と椅子を鳴らして、マルガネータが思わずのけぞった。
「美味いっ! 美味いじゃないか、坊や!!」
じんわりと額に汗が浮かぶ。箸が勝手に動いて、次の一切れを口に運ぶ。
「違うっ! あたしの知っている玉子焼きとは――いや、卵料理って概念からして、ぜんっぜん違うっっっ!!」
隣でグーグーが「でしょー!?」と、まるで自分が作ったかのように自慢げに鼻を高くしているのが腹立たしいが、味は本物だ。認めざるを得ない。
「なんで……どうしたらこんな味わいになるんだ……?」
震える声で呟きながら、マルガネータは疑り深い表情で玉子焼きを凝視する。冷静さを取り戻そうとして、煙管に手を伸ばしかけたが、結局箸を離せなかった。
「だが待てよ……こんな味、
「混ぜモンなんて使ってねぇよ。疑うなら作り方を見せてやろうか?」
呆れた様子の膳志朗の提案に、マルガネータは鋭い目で頷いた。
「当然さね。だが坊や、もしインチキを見つけたら――」
「はいはい、わかってるって。しょうがねえ姐さんだなぁ、さっさと厨房に来な」
◆◇◆
三人は厨房に入っていく。調理台の前に立った膳志朗は、さっきまでの子供っぽさが嘘のように、きりっとした顔つきになっていた。
「あの玉子焼きはな、ちょっくら火入れの仕方が変わってるだけで、別段たいしたことをやってるわけじゃねぇんだよ」
そう言いながら、膳志朗は余っていた
「まず下準備だが――」
膳志朗は手早く卵液を混ぜ、調味料を加えていく。途中で「こっちの世界にも醤油ってあるんだな……」などと意味不明なことを呟いてはいたものの、その手つきに迷いはなく、まるで何百回もこの作業をしてきたかのようにスムーズなものだった。
「嬢ちゃん、耐熱容器に油塗っといてくれるか」
「はーい!」
グーグーが嬉しそうに手伝う間に、膳志朗は深めのフライパンに水を入れて火にかけた。
「ここからが違うんだが、姐さんはわかるかね」
マルガネータが身を乗りだす。ほっそりとした顎に指を添わせながら、
「湯煎ってやつかい?」
当てずっぽうだったものの、どうやら正解だったらしい。膳志朗がにやりと口角をあげる。
「そう。だが、ただの湯煎じゃねぇぞ。ここに布巾を沈めて、その上に容器を置く。こうすることで、温度を一定に保てるんだ」
水が小さな泡を立て始めると、膳志朗はすぐに火を弱火に落とした。
「さぁて、こっからが肝心だ。
容器に卵液を流し込み、布巾を敷いた湯煎鍋にそっと置く。蓋をして、あとは待つだけだった。
「はぁ~ん、なるほどねぇ。つまり、焼くんじゃなくて蒸すってわけかい」
「その通りだぜ。これなら温度管理が楽だし、均一に火が通るしよ。水分も逃げねぇから、あのジューシーさが生まれるんだ」
マルガネータは感心したように頷いた。確かに理にかなっている。
そうして15分後――
「ほい、出来上がりっと」
蓋を開けると、湯気と共に濃厚な卵の香りが調理場いっぱいに広がった。容器をひっくり返すと、表面にうっすら焦げ目のついた玉子焼きが、ぽんと皿に落ちる。その瞬間、全体がぷるんと揺れた。
「はぁー、こりゃ見事なモンだねぇ」
マルガネータは指でツンツンとつつく。ぷるんぷると揺れる弾力は、先ほど食べたものとまったく同じだった。
「これって、茶わん蒸しとかプリンみたいな作り方だよね?」
グーグーが興味深そうに覗きこみながら、膳志朗へ質問する。
「おう、その通りだぜ。だから『焼かない玉子焼き』って訳よ」
マルガネータが一切れつまんで口に入れると、
「……参った。完全に同じ味だ」
悔しそうに、でも満足そうに呟いた。
「坊や、アンタ本当に初めて
「ん? ああ、初めてだぜ。だが卵ってのは大体似たようなもんだろ? 中身が固まる温度さえ分かりゃあ、あとは応用でなんとかすんのが腕ってモンよ」
マルガネータが何か言いかけたが、こみ上げる笑いをガマンできなくなって大爆笑した。
「あーあ、参ったねこりゃ。完敗だよ、完敗。あたしの負けだっ!」
◆◇◆
マルガネータが指をパチリと鳴らす。すると、マルガネータと膳志朗の身体が青白く光った。
「おおっ」
膳志朗がびっくりしたように自分の身体を見る。光はすぐに消え、白い煙のような残滓が溶けるように室内へ広がっていった。
「盟約はここに成就せり――ほい、魔法はこれで解呪しといたよ」
「えっ? えっ!? じゃあさ、じゃあさ! アタシの借金も約束どおりチャラってことで――」
グーグーが尻尾をぶんぶんさせながら期待に目を輝かせるも、
「あたしゃ待つだけって言ったんだよ。アンタの魔法までは解呪してないからね、このスカタン」
「嬢ちゃん。ケジメはちゃんと付けるモンだぜ」
「……はぅ~、そ、そうですよねぇ」
グーグーは耳と尻尾をへんにゃりさせながら、悲し気にうなだれた。
「でもぉ、待ってもらったところで、どうやってお金を工面すればいいか……」
「んなモン、この坊やとコンビを組んで店を再開すりゃいいだけじゃないか」
ワシと? とばかりに膳志朗が自分を指さす。
「なあ、坊や。アンタ行くとこなくて困ってるだろ?」
「なんでマルガネータがそんなこと知ってんのよ」
「見りゃわかるからに決まってんだろ。ただの迷子がボロボロの服を着て、こんな裏町に近い場所を裸足で徘徊してるわきゃないだろーが」
マルガネータに見つめられた膳志朗は、困ったように頭をポリポリとかいた。
「……ま、そうだな。これからどうすっか、ちっとばかり難儀してたとこだぜ」
マルガネータがタバコを煙管につめながら、ニヤリと笑う。
「じゃあ話は簡単だ。このバカ――」
アタシのこと? とグーグーが首をかしげる。その様子があざとくて、マルガネータを軽くイラつかせた。
「――このクソボンクラは、飯屋を開いたはいいものの、商いってのがまるでわかっちゃいなくてね。雇う予定だった料理人にも愛想つかされて、オープン前にトンズラされちまう始末さ。せっかく店はあるってのに、このままじゃ宝の持ち腐れってもんだろ? だから――」
ぱん、と膳志朗とグーグーの肩に手をあてる。
「坊やは寝泊りさせてもらうかわりに、メシを作る。グーグーは今度こそ店を繁盛させて、借金をあたしに返す。どうだい? カンペキな筋書きだろ?」
膳志朗とグーグーは顔を見合わせた。
「ワシはまぁ助かるが、嬢ちゃんはそれでいいのかい?」
「へっ? あ、うん! ぜんぜんっ! むしろドンと来いだけど!?」
その様子を見て、マルガネータは満足そうに頷いた。
「んじゃ、あたしはそろそろ退散するとしようかね――――おい、グーグー。店の再開祝いだ。借金の返済期限をどーするかなんて、しみったれたことは言わないどいてやるよ」
「えっ! ほんとっ!?」
「待たされた分は、利子につけとくからね」
ぎろりと睨まれたグーグーは、「ですよねー」と冷や汗をたらした。
「あ、そうそう坊や。一つ忠告だ」
店を出る間際、マルガネータが振り返る。
「アンタみたいな『腕のたつ料理人』の噂は、この街じゃあすぐに広まるもんさ。いろんな連中が寄ってくるかもしれないけど、気をつけるんだよ」
真意は伝わってはいないのだろうが、賢そうな少年だ。こちらの表情を読んで冗談ではないと理解したのだろう。膳志朗は意味深な表情でこくんと頷いた。
「んじゃ、そいうことで……また来るよ。坊や、ごっそさん」
「おうよ。姐さんもありがとな」
ふっと笑い返して店を出たマルガネータに、どっと子分が詰め寄る。
「いいんですか、姐さん!? あんなこと言って……」
どうやら聞き耳を立てていたらしい様子に、マルガネータは心底呆れながら、
「問題ないよ、親分にはあたしから言っとくから」
「でも……」
言いよどむ子分たちを、上目遣いで睨む。
「いいかい? より儲かって恩が売れるほうに賭ける。それがあたしら金貸しの醍醐味――いや、矜持ってもんだろうが。大丈夫だよ、親分だってきっと分かってくれるから」
マルガネータは、かっかっかと笑いながら歩き始める。
(それに、あの坊や……ただのガキじゃない。いったい何者なんだろうね)
空には月が上り始めたころ。夜のメシ時を迎えるためか、いたるところから食材を仕込む匂いが漂ってきた。
次はどんなメシを喰わせてもらおうかね、マルガネータはこの街に新しい楽しみができたことに、静かに満足していた。
あとがき
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は1/6(火)に更新します。 週3回(火・木・土)の更新予定です。
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