第10話「火星の女」
いつの間にか、ジョージ・ミュラーとして生きた時間の方が長くなったことに気が付いたのは、首都星ティアマトに帰還して改めて開かれた、帰還祝賀会の時である。
その惑星は、かつてはくじら座タウ星eという無機質な呼称を賜っていた、辺境のいち惑星であった。今では、自称唯一の人類勢力である協約連盟の首都星という特別な地位を授けられ、“ティアマト”という創世記の地母神の名へと変わっている。
そのティアマトへ、実に三ヶ月ぶりに足を下ろしたミュラーは、休む暇なく北半球大陸の国防総省本部ビルの宴会場へ招かれ、帰還祝賀会に参席した。地上一〇〇階建ての国防総省本部ビルは北方大陸の比較的南部に位置し、温暖な風が潮風を運んでくる。祝賀会の会場は、その一三階で行われるものだった。
本来は将官以上の高級士官による戦勝祝賀会を予定していたらしいが、あの戦術的大惨敗によって今ではその将官も数えるほどとなってしまい、ミュラー含む一部の佐官までもが招待されている始末だ。
予定外による混乱の痕跡は他にも目に付き、例えばステージ上に掲げられた横断幕には “
戦勝とは言い難い結果なのは、誰の目にも明らかだった。参加した五個艦隊のうち、三個艦隊は壊滅し、一個艦隊が司令部以外消滅、一個艦隊が半壊という惨憺たる有様を、どのようにして勝利であると誇る事が出来ようか。
「諸君!吾々は勝利したのだ!」
聞くこちらが恥ずかしくなるほどの厚顔ぶりでそう訴えるのは、連盟総会議長カール・フェリントンであった。彼はかつて俳優として世間を風靡した男であったが、三〇代の半ばに父親の地盤を継いで政治家へ転身し、その後四〇代半ばにして連盟の最高意思決定機関である総会評議会議長に登り詰めた男である。何故彼がその若さとスピードで出世できたかと言えば、やはり“選挙で勝てる顔”をしているからで、そして俳優として勤勉に台本を読み、時には往年の名監督をも唸らせるアドリブで演じた物語と役に深みを与える優れた演技力とが、悪魔的な合体を成し遂げた結果、彼に出世の上昇気流を齎したのだ。
「戦いの犠牲は大きかった。四〇八万六二三八名の、若く、将来有望で、心優しき戦士たちが死んだ。しかし!バルバトス星域を守り抜くために彼らが擲った命は、決して無駄ではない!“王鬼帝国”を自称する叛乱軍にソロモン回廊を抜かれる事があれば、吾々人類はたちまちのうちにあの“オグドアド戦役”と同じの虐殺の惨禍に晒され、絶滅の運命を強いられる結末となったであろう!
彼らは歴史を繰り返さぬために、銃後の弱者を守るために、その命を使ったのだ!」
本当にそうかな、とミュラーは思う。歴史を繰り返さないというなら、今すぐにでも帝国と外交チャンネルを開いて、停戦するよう働きかけるのが正解なのではないか。
そもそも、彼の云うオグドアド戦役は、亜人種族が自らの尊厳と、自決、独立を獲得する為に行った戦いだった。彼らは、あの時は確かに叛乱軍と呼ぶに相応しい、規律のない軍隊であったとしても、今や一国を形成するに至ってなおそれを維持しているという点では、真っ当な国家として扱っても良いのではないか。
オグドアド戦役を例に出すにしては余りに長い時間が過ぎた。長命のエルフ族でも、今やその時代を知る者はいないだろう。過去の戦争に囚われ続けて、現実と過去のボタンを掛け違えては、着込むシャツは型が崩れて使い物にならなくなる。大事なのは、その掛け違いをどう正すかではないのか。それは決して、戦争という名の裁断作業でどうにかなるものではない…………。
「諸君らの中には、この戦いで兄弟を、あるいは親友を、恋人を喪った者もいるだろう。だが、哀しみを乗り越え、明日の前身の為にも、まずは帰還を祝福してグラスを交わそうではないか!」
フェリントンが発し、将兵が乗っかった乾杯の号令が会場中に響き渡る中、ミュラーはひとりテラスの陰に逃げ込んで、味のしないシャンパンを流し込んで会場を後にした。
国防総省本部ビルからタクシーを呼んで、佐官用官舎街へ帰ると、夜というのもあって閑散とした寂しさを感じさせた。この街から一カ月以内に、一体何万世帯の、何万人の遺族が退去することになるのだろうか。戦死した佐官の数を諳んじて、それに五を掛ければおよそ計算が出来るだろう。この地で生活を営んできた夫人やその息子、娘、あるいは父母や兄弟は、ティアマト北方大陸の何処かへ、あるいは、この広大な宇宙の何処かへと散って行くのだろう。夫を、息子を、兄を喪った哀しみは、都落ちのそれに数倍する悲哀を生むのだろうが…………。
「ただいま」と声に出して、ちっぽけなアパートメントの一室の鍵を開けるが、当然、その声に返って来る反応はない。無音の響きだけがこだまするだけだ。
「ま、そうだよな…………」
大人しく、独り、晩酌でもするか、とリビングのソファーに身を沈め、コニャックのボトルを取り出す。向こう一週間ほどの休暇を得ていたが、上部組織である第七艦隊亡き今、パーシヴァル艦隊という仮の部署が一体どうなるか想像は出来ない。ひとつわかることは、上官であるユウリは、この戦いの活躍で中将への昇進が内定しているということだ。
中将と言えば、一個艦隊の副将となる立ち位置であるか、あるいは後方勤務の部門長クラスだ。しかし、ユウリがその地位をどう捉えるか。まず後方勤務の性格では、決してない。あの女は銀河を翔ける女戦士であり、艦を枕に死ぬことを善しと考えているだろう。決して畳の上で、否、ベッドの上で往生するつもりはないだろう。
しかし、副将の仕事と言えば、司令官の指示に唯々諾々と従って実務をひたすら行うことだ。ユウリはその独創性と独立性の強さから、実務はともかく、司令官との意思疎通という点では、難儀する面がある。故ケルビン大将…………厳密にはケルビン“元帥”とも、歩調を合わせることが出来なかったのをミュラーは間近に目撃している。
もしあそこで、ユウリがケルビンを説得出来ていたなら、あの後の悲劇は無かったのだろうか。
「いや、ないか」と即座に切り捨てた。
第七艦隊ひとつが立て直しても、やっぱりケルビン提督とパーヴェル子爵では、結局勝負にならなかった。名将と名高いオルフェウス提督でさえ、得手不得手の問題はあったにせよ、防戦一方に追い込まれたのだ。もしマーリェノフ大公が怯懦の逃避を決定していなければ、あのままパーヴェル子爵は、いや、帰還中に得た情報によれば伯爵に任じられたという彼は完全なる勝利を得て、いよいよ帝国の大英雄と成り仰せていただろう…………。
ミュラーの酒量は分毎に増えていく一方、その思考の小川は極めて緩やかな勢いと程よい水量を維持していた。
ミュラーは瞼に程よい重力を感じ始めていた時、深夜であるというのに、インターホンが来客を報せた。ディスプレイを見るのも面倒臭がって、不用心にもリモコンからドアの施錠を解除して、客人を迎え入れた。
入って来たのは、上官であるユウリ・パーシヴァルであった。帰還祝賀会をミュラーより遅く抜け出してきたのは間違いないようだが、私服に着替えての御登場である。しかしその服装は何とも色気がなく、洗いざらしのよれたTシャツにジーパンというつまらない格好だ。尤も、そんな服装でなければジョージ・ミュラーは再度の酩酊に浸るために、もう数杯のコニャックを必要としたことだろう。
「一人で随分楽しそうじゃない。祝賀会はあれだけつまらなそうにしていたのに」
「ペテン師フェリントンの顔を見てシャンパンに酔えるほど、肴を選ばない人間じゃないんですよ、俺は」
「私はあの後も、そのペテン師に散々持ち上げられて、大変だったんだけど」
「それが英雄の分ってヤツですよ。何てったって名実ともに、今や貴女は連盟の英雄だ」
連盟の英雄ね、と呆れたような溜息を吐きながら、ユウリはミュラーの手に先んじてコニャックの瓶を掴むと、グラスを勝手に拝借して窓際に置かれた丸椅子に座った。
「この私と飲むのは、嫌かしら」
青白い月光が差して、茶色の液体はオレンジにも似た影を床に落とした。その影を投影するグラスを、不思議そうに片手で回すユウリは、そこだけ切り取れば悪戯好きの学生にしか見えない。
「いえ、御相伴に与り恐悦至極…………」
元より、ジョージ・ミュラーにユウリの要求を断る気持ちは一切なかった。彼にとって、ユウリ・パーシヴァルは二度目の人生に於ける最大の恩人だったからだ。
しばらくの沈黙が流れた。酒精を纏ったユウリは、窓際で星を見ながら月光浴をし、ジョージ・ミュラーはその姿を眺めていた。彼女は今、何を考えているのだろうか、と思いを馳せる。判る筈もないことを、延々と考えてしまうのが彼の悪い癖だった。
「妹さんは、まだ見つからないの?」
ふと、ユウリは切り出した。どうやら、食卓の上に置かれた、ジョージ・ミュラーとしての家族写真が目に入って、そのことを思い出したらしい。
まだ壮健だった頃の両親と、二つ下の妹、そしてジョージ・ミュラー自身が、一〇年前の姿で映っていた。
(そうか、あれから、もう一〇年経つのか)
妙に冷えた頭で、温い蒸留酒で喉を湿らせた。
*
ジョージ・ミュラーとしての二度目の人生は、序盤は順風満帆であった。ティアマト東方大陸の資産家の家に生まれ、何不自由ない生活をさせてもらえていた。学業面は得意科目であった歴史学以外は可もなく不可もなしといった様子だったが、それでもそれなりに良い高等学校への進学が決まっていた。
その生活が崩壊したのは、ジョージ・ミュラーが一五歳の時の事である。父アルバート・ミュラーと母ローザが、亡命を企てたとして逮捕されたのだ。
アルバートの事業が破綻し、ミュラー家の借金は膨れ上がっていた。借金取りが押し寄せるのも時間の問題であるとして、王鬼帝国でも協約連盟でもない、銀河北方の中立国コンロンへ逃れようとしていた。それを国家保安委員会に嗅ぎ付けられ、拘束された。
ジョージと妹のイリヤも、父母の亡命計画への関与を疑われて拘束されたが、やがて全くの無関係であることが判ると釈放されたのである。しかしイリヤの方は兄と別のタイミングで釈放されたらしく、家へ戻ってみると全てが差し押さえられていて、ジョージの手元には家族も金も、そして将来も無くなっていた。
学業の方は実質的な放校処分となったことで進学は取り消しとなり、アルバイトをしようにも、亡命未遂者の身内という肩書がある以上、雇ってくれる先は何処にもなかった。
何でも良いから学業がしたい、そうでなければ二度目の人生の意味がない。はて、どうしたものか、と空腹に耐えながら、野草を噛みながら河原で寝ていた時、かつてのクラスメイトであったユウリ・パーシヴァルと再会したのである。
「ならアンタ、士官学校に行きなさいよ」
数日ぶりの食事を頬張りながら、その手があったか、と自分の見識の狭さを知る。
士官学校は無料で勉強が出来て、しかも完全寮制なので住居も食事も心配が要らない。学業の継続という点でも理想的な環境であった。唯一不満があるとすれば、将来軍人にならなければ、免除されていた学費を全額払わなければならないという点だ。
だが────亡命未遂犯の家族がいる以上、社会で自分が職にありつける保証は消え去っているのも理解できたので、ジョージ・ミュラーは誠に不本意なことに、軍人としての人生をここからスタートさせることとなった。
「軍人になれば、妹も探せると思ったんだがな。敵将の生い立ち知れど、身辺は何も知り得ず。皮肉なもんだよ。だがあの素寒貧が、今や佐官だ。大佐ぐらいにもなれば、まぁ、節約すれば老後は安泰だろうよ」
大佐と言えば、シュタインメッツを思い出して苦笑した。一番身近な大佐と言えば、あのウェアウォルフ族の巨漢だからだ。あれほどの武骨さを自分が持てるかは、甚だ疑問であった。
尤も、大佐になって引退して、軍人恩給で安穏と暮らすだけではいけない、とも思う。ジョージ・ミュラーとしての責務は、妹を見つけ出すこと。飽くまでも、三浦丈二はジョージ・ミュラーという人間の体を、勝手に借りているだけなのだ。借主への義務は果たす必要がある。二度目の人生を得た理由などは、その次で良い。三浦丈二としての使命は、そこからようやく始まるのだろう。
「なぁ、ユウリ」
旗艦の中であれば、このような呼び方など許されようはずもない。プライベートであればこその呼び方だ。
「何でお前は軍人になった。俺は食うために軍人になったが、お前は何でだ?」
「────」
ユウリはふと、目線を逸らした。目の火星はどこか虚ろに、しかし言葉を探して惑っている。惑星という固有名詞は、宛てなく惑うが如き挙動を示した星という意味だ。その昔、天体観測技術が未発達の頃は、惑星の円周運動は横目には不規則的に見えたのだ。今、ユウリの目には惑星が宿っていた。
「食べるためよ」
嘘だろうな、とミュラーは思った。ユウリの家は確かに決して裕福とは言い切れないが、無一文という訳ではなかったのを知っている。ユウリとは、それこそ小学校時代からの友人なのだ。
だから、そんな単調な事を言う時は、決まって隠し事をしている時だということも知っていた。ジョージ・ミュラーは未だユウリ・パーシヴァルの宸襟たりえず、と心の辞書に書き記してグラスの残りを食道へ投射すると、話題を変えることにした。
「そっちはいつまで休暇なんだ?俺は来週まで休みだが」
休暇を命じた本人に訊いてみたのは、この際軽い失敗だったかもしれない。
「上司への嫌味かしら。ま、明後日ってところかな。現状、私たちはパーシヴァル艦隊は臨時部隊だし、いつまでもそのままという訳にはいかない。今後の処置を上と話し合わなきゃね」
「ああ、それもそうか」
パーシヴァル艦隊は、各艦隊の残存艦を寄せ集めて編成されている。しかもそれは正規の手続きを踏んだものではなく、戦場における臨時編成だ。寄せ集めとはいえ半個艦隊強の戦力は、扱い難いものがある。中将が指揮するにはやや大きい戦力と言え、しかし大将が指揮するものとしては小さすぎる。
(そもそも、連盟軍は戦力単位が大雑把すぎる。帝国軍みたいに微細な単位を設けてくれれば、かなりやりやすい。そりゃあ警備隊感覚であればあれで正解なんだろうが、戦闘部隊はそうもいかん。何でこんな体制で三〇〇年も戦争してるんだよ)
…………などと、上層部への不満を語り出せば切りがないのがミュラーである。対して、ユウリはミュラーの思考の渦など興味もなさそうに、またグラスにコニャックを注ぐ。それから何を話したかは特に覚えていない。いよいよ眠りの
次にミュラーが起きた時は既にユウリの姿はなく、いつの間にか眠ってしまい上官であり客人であり友人である彼女を暇にさせた申し訳なさと、掛けられていた毛布のお陰で風邪を引かずに済んだことへ感謝を抱いたが、すぐに頭蓋骨の裏を金槌が小突くような痛みに襲われてソファーに突っ伏したのだった。
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