第2章【パーヴェル伯爵領】
第5話「廃嫡」
王鬼帝国第二〇五代皇帝、グリゴリー二世は、若い頃は勇壮で鳴らした益荒男であった。その頃はソロモン回廊戦線が小康を保っていたこともあって、彼が皇太子であった時代に、後のマーリェノフのように親征を行う事もなかったが、軍務に対し誠実に取り組み、汚職や不正を許さない男として国内で人気を集め、望まれつつ皇帝の地位に就いたのが齢三五の時であった。
“始祖帝ヨーセフ”の再来として“公正帝”との通称が有名だが、しかしその治世後半も初代皇帝と全く同じだった。彼は不正を忌み嫌う余り、有能な側近と無能な奸臣との見分けが出来なくなり、今では帝都ペルーンの“永遠の
マーリェノフ皇太子はそんな父グリゴリー二世の栄盛と退嬰とを同時に俯瞰する時間に生まれ、いつしか彼は父の名を呼ぶとき、心の中でその頭に「偉大だった」と彼なりの敬称を着けるようになる。彼が帝位を望むようになった時、思いの外長寿で、皇帝としてはともかく、生物としては未だ隆盛の中にある父は、自らの栄達を妨害する障害物の様に思えるようになった。
時間が経つごとにその欲求は強まる一方、マーリェノフは思考に精彩を持つことはついぞなかった。
「トンストイ。俺は皇帝になりたい」
「であれば殿下、私めに策がございます…………」
軍団を率いて軍事的投機に及んだのは、このような経緯からだった。
*
バルバトス星系の激戦を経て帝都・惑星ペルーンへ到着した帝国軍マーリェノフ親征軍団は、歓迎を以て迎えられた。この数十年、小競り合いのような細々とした戦闘が続いたことで、久方ぶりの大勝利は貴族たちを大いに喜ばせるものだった。帝国予算の凡そ半分以上を戦費に費やしながら、なかなか結果を出せない帝国軍に貴族は不満を抱いてきていた。戦費は兵備税という名で臣民、貴族から等しく取り立てられ、また民は領主の命によって戦場へ送り出される。前線で戦うのは専ら平民の仕事で、貴族は後方で踏ん反り返って机上の空論じみた有り得ざる戦争計画を立て合って、その完成度に優劣を着けるだけの会議ばかり開く始末であり、彼らはまさしく、ゲオルギー・パーヴェル子爵が云った通り「投資感覚で」戦争をしていたのである。
ところで、そのパーヴェル子爵はペルーンに到着して早々、皇帝グリゴリー二世の召喚を受けた。“永遠の春宮殿”の謁見の間へ、貴族としての正装をして入ると、そこには痩せ細った小枝のようなオーガが玉座に居た。それが現皇帝であったのだが、ゲオルギー・パーヴェルは心臓が弾け飛ぶような衝撃を覚えた。謁見の間で自らが待つことはあれど、玉座の主を待たせることなど有り得ない。今後はどうあれ、今は臣下である自分が先に入室し、皇帝の行幸を待つのが通常というものはずだった。
出し抜かれた、と直感するまで、一秒となかった。不信と不興を買えば、この男はすぐにでも粛清を行おうとするだろう…………。
「大変お待たせしてしまったようで、申し訳ございません、陛下」
下げたくもない頭と曲げたくない膝を、見えざる腕で押し込んで見せると、不思議な事に忠臣という言葉を具象化したフィギュアーツが完成してしまった。ゲオルギーは自らが晒しているだろう恰好に無様と屈辱を覚えて、しかし自嘲する事も欠かさず、自分に “面従腹背”という銘を刻んだものである。しかしその作品の存在時間は短く、皇帝から顔を上げるように言われた時点で解体されてしまった。
「パーヴェル子爵は此度の戦役にて、多大な戦功を挙げたと聞き及んでいる。余に軍事はわからぬが、これまで余に仕えた数多の将が為し得なかった成果であることは存じておる。吾がマーリェノフの面倒を見させてしまった詫びも込めて、そなたの爵位を伯爵と改めたい」
簡潔ながら、しかしそれが皇帝にとって多くの意味を持つ文言であったことは疑いようがなかった。自他共に認める人間不信者が、若造の功を認めるというのだ。
「畏れ多いことながら、私の軍功は偏にマーリェノフ皇太子殿下とトンストイ提督の御協力なくば為し得なかったものです。また、吾々に付き従ってくれた数百万将兵の献身もお忘れなきよう、お願いしたく存じます」
「うむ」
皇帝は短く返すと、玉座を発ってその場を後にしようとした。人間不信の皇帝は、人前に自らの姿を晒すというだけで多大な勇気が要ったのだろう。そのこめかみに汗が滲んでいるのをゲオルギーは見取っていた。何と無様なのだろう、と。
その時であった。謁見の間の扉が乱暴に開け放たれ、かつてゲオルギーが“豚の親類”と評した男が躍り込んできたのは!
「父上!お尋ねしたき事が御座います!」
息を上げ、肩を上下させながら、マーリェノフ皇太子は今しがた玉座を辞した父帝、グリゴリー二世に質問を発した。その背後には近衛兵が続いており、どうやら、乱入しようとするマーリェノフと揉み合いになっていたらしかった。
「何故私を廃嫡としたのですか!」
「そなたが余への弑逆と叛乱を企てていたからだ」
「叛乱!?叛乱ですと!?そのようなことは一切企んでおりませぬ!」
「ほう、捕えたトンストイは既に吐いたぞよ」
「な…………!あやつ、余計な事を…………!」
マーリェノフは絶句した。口をぱくぱくと開閉し、顔中に漲っていた血液が引っ込んで、土気の色を醸していた。その様子を見て皇帝はせせら笑った。ゲオルギーは何が起きたかを瞬時に悟る。皇帝は皇太子を罠に嵌めたのだ。
「何が、何が可笑しいのです!?」
(馬鹿め。トンストイは捕まっておらぬのだ。それも見抜けんのか)
ゲオルギーが肩越しにマーリェノフを見やると、既に近衛兵団長チェルホフ少将が彼の背後に立っているのが見えた。
「近衛兵!マーリェノフを逮捕しろ!こやつはやはり叛逆を企んでおった!」
ようやく事態を悟ったマーリェノフだったが、後ろからチェルホフに羽交い締めにされ、両手に手錠を填められたマーリェノフは言葉にもならぬ言葉を吐き散らしながら、廊下の向こうへ消えて行った。きっと、歴史からも姿を消すのだろうと思えば、ゲオルギーは僅かな同情を禁じ得なかった。
尤も、同情するべき点はない。軍部の支持を得られぬと判って、グリゴリー二世を殺害することで帝位の簒奪せしめんとした時点で、この男には皇帝たる資格は無かった。最初から最後まで、マーリェノフは全ての事象を投機的にしか考えられず、当たりか、外れかの博打で当たり以外を想像することの出来ない、夢想的空想家だったのだ。至高の冠とは、空へ思いを馳せるに無限の夢想を湛えた、しかし地面は地面であるとの前提を決して崩さない現実主義者こそが戴くべきものなのだ。
皇帝の行動は迅速であった。その日の内に宇宙軍大将ヴァシーリー・トンストイ公爵の逮捕と領地、爵位の没収を命じると、近衛兵団は完全武装して二隊に分かれて行動を開始した。
宇宙港に停泊していたトンストイ師団旗艦『プローホル』を制圧して師団の逃亡を防止し、そして当のオーク族の師団長は三番街の高級クラブで商談に花を咲かせていたところを近衛兵団に襲撃された。彼の反射神経は鈍く、隠れる暇もなくソファーを兵士に囲まれて銃口を突き付けられた。“政治提督”と揶揄されたこの男がこの後どうなったのか、それはどの記録にも残っていない。連行される際に然して抵抗もしなかったというが、文句だけは放っていたようであり、付近にいた市民に曰く「皇帝への怨嗟をぶちまけていた」という。
それら一連の処理を皇帝の宸襟で観察することを許されたゲオルギーは、グリゴリー二世のその辣腕を見るに、この皇帝は愚帝とは程遠い男であることを骨の髄から理解させられた。彼が永遠の春宮殿から出ないのは、その非凡ゆえに誰も着いていけず、また、本人は宮殿の外に出る必要を感じていないからだろう。
だがその事実が、ひとつの疑問と推測を誘った。
(王鬼帝国は既に連盟に匹敵する国土を得ている。それをただの宮殿から統治するなど不可能だ。今回の件にしてもそうだ、どうやってトンストイの居場所を瞬時に把握し得たのだ?…………
皇宮政治委員局とは、皇帝直属の秘密警察の事である。無論、その存在はまことしやかに囁かれる程度であり、正体も明らかになっていない。だが、これまで逮捕された政治犯たちの末路が杳として知れぬことと、あるいは政治的疑惑のあった者が全て“不幸な事故”による不本意な最期を遂げていることを知れば、その存在を否定するのはよほど学がない者でない限りは出来かねるだろう。
まことしやかに囁かれる存在であっても、畏怖の象徴にはなる。帝国に生まれた幼子は、種族を問わず躾けられる際には「
ゲオルギーは皇帝に、やや挑発的な質問を投げ掛けることで、己の疑問への反証を得ようと試みた。
「…………私の事は逮捕しなくてもよろしいのですかな。私は皇太子殿下の部下となって働いておりましたが」
グリゴリー二世は僅かな顎髭を触りながら、その疑問に答えを示した。
「マーリェノフが怒鳴り込んできたのが、そなたの忠誠の証であろう。余がマーリェノフであるなら、そなたを使って余を弑逆し、トンストイの兵力でペルーンを占拠し至高の冠位に就くことを考えるであろう。政治の力学から言えば、そなたは何の力もないから、消えても構わぬという訳だ…………」
別に、お前をついでに消しても良いのだぞ────痩身の皇帝は、灰色の目に幽かな冷気を湛えて、言下の脅迫を突き付けた。それが回答と言えぬものであっても、回答として受け取らざるを得ないのだ。ゲオルギー・パーヴェルの疑問は消えてはいなかった。だが、この皇帝の猜疑を刺激することの危険性に比べれば、疑問を疑問のままとする方が遥かに安全であることを鑑みれば、引き下がるべくして他の択を欠いた。
数日後、ゲオルギー・パーヴェルにグリゴリー二世より領地を下賜された。トンストイが治めていた四つの恒星系から成る“旧トンストイ伯領”であった。
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