第4話「ふたつの勝利、ふたつの敗北」
「撤退だと!?何故退かねばならん!?」
パーヴェル中将の怒りは、まさに怒髪冠を衝くものであった、とアンナ・イヴァンスカヤ大佐は回想した。少なくともこの時、軍団司令官であったマーリェノフを擁護する記述が無いことから、パーヴェル師団全体としてもこの撤退命令は屈辱的だったのだろうと後世では考えられている。
実際、パーヴェル師団は勝利しつつあった。親衛師団が敵に急襲された時は既に重力渓谷を渡り切った頃で、反転すれば一挙に第九艦隊からのしたたかな逆撃を被る事が目に見えていた。それが敵の狙いだというのも理解していたので、パーヴェル師団と親衛師団の中間宙域に待機させていたイリーナ連隊の二〇〇〇隻を救援に向かわせたのだ。その数で敵一個艦隊相当の戦力に打ち勝てようはずもないが、トンストイの部隊が来援するまでの時間稼ぎには充分なはずだった。
そうしてパーヴェル師団本隊は正面の敵と交戦することに専念し、今や連盟軍第九艦隊を追い詰め、その本営に歯牙を伸ばしていた。少なからぬ犠牲は出たが、それでも損害比率で一対二・三を計上していて、数の劣勢はこの頃には優勢へと転じており、全面攻勢を行えば確実に勝利できるという所まで来ていた。
しかし、その準備が実行へ変化することはなかった。イリーナの報告によれば、マーリェノフは旗艦の直接の護衛艦隊を全て失い、孤立していたところをイリーナに救われたというが、たった一発の不幸な直撃を受けて撤退を決意したというのだ。
「怖気づいたというのか、豚の親類め!」
「閣下、お気持ちはお察しいたします」
通信スクリーンの向こうから、無機質な黒面の女士官が呼び掛けた。言葉とは裏腹に、感情の一切が籠っていないのが不気味に感じられた。
「イリーナ、卿はよく活躍した。今一つ勝利を得られぬは、あの皇太子が戦場で生疵を産むことを嫌ったが故であるぞ。このような結果では、此度失った我が師団の精兵たちの御霊が納得すまい…………!」
「閣下。お言葉ですが、その発想は皇太子殿下やトンストイ提督と同じ物差しであるかと。彼らは戦争を政治の具に使い、閣下は御霊を慰めんが為に戦争を行う。此処に一体、何の違いがありましょうや」
微細な電流が空気中に漂った。一瞬だけゲオルギーは頭を抱え、深く被っていた軍帽を取り去って、金細工の混じった赤銅色の髪を掻き上げた。
「…………すまなかったイリーナ。卿の言う通りだ。戦争とは飽くまでも手段、故に犠牲の為に結果を生むのではなく、結果に犠牲を見合わせる。そうだったな」
「左様です。であるからして、閣下はこの戦いの結果を別の角度から観察していただきますよう、重ね重ねお願い申し上げます。
我が軍は一・五倍の敵に対し、最小の損害でその過半数を葬り去る赫々たる大戦果を挙げた。これだけでも充分、閣下にとっては勝利になるかと思います」
「トンストイ提督とマーリェノフ殿下殿におかれては、それを誇示する訳にも行かぬものな。出兵の発起人が、作戦失敗を朗々と報せる訳にも行かぬ、か」
「その通りです」
帝国内で、皇太子マーリェノフとトンストイ公爵の評判は芳しいものではない。敵に流させた血を誇り、戦術的勝利を喧伝することは、結局バルバトス星域の完全制圧を断念し戦略的敗北を喫したことを認めるのと同義である。また事実と風聞の双方から、彼らは敗北者と看做されるだろう。怖気づき、逃げ帰ったという顛末は、参加した将兵全てに口封じでもしない限り必ず広まる。マーリェノフは戦争自体の戦略目標を達成できなかった上、父帝への譲位を迫る為の軍部の支持を得るという政治的目標もさえも失敗したのだ。
だが、ゲオルギー・パーヴェルは違う。彼は、マーリェノフに招聘された用兵顧問でしかなく、その下で考え得る最大限の戦果を挙げたのだ。この戦いで唯一勝利を誇る権利を持つのは、ゲオルギー・パーヴェルを於いて他に居ないと、イリーナは付け加えた。
そこに異を唱えたのは、そのゲオルギー・パーヴェルであった。
「親衛師団に突入した、敵艦隊が居たな。あの見事な用兵術と戦略眼がなければ、吾々は戦略的にも勝利していただろう…………」
その艦隊を指揮した者の名をイリーナに訊ねた。その艦隊と直接撃ち合ったイリーナならば、何か知っているだろう、という希望的観測だ。
希望的観測というのは前例があるからこそ発生する心理現象であって、今回もイリーナはその期待に応えてくれた。
「ユウリ・パーシヴァル。昨年の、第九次モラクス攻防戦で名を挙げた女提督だそうです」
「ほう、“勇将”か…………」
知らず知らずのうちに、自分は傑物と相対していたらしいことを悟ると、ゲオルギーは司令席に深く背を預けた。
「強かったか、“勇将”は」
「閣下にしてみれば、格下になるかと」
「買い被るな。卿は私より戦いは上手い。いずれ、卿に一個師団を預けて暴れさせてみたいものだ。
…………今しがた、夢が出来た。戦略上の必要と軍事的合理性が得られた上で、卿と私でユウリ・パーシヴァルの全力を迎え撃つのだ」
「その時は、連盟の最期となりましょうな────」
喜びも哀しみも、感慨の一端すらも感じさせぬ無機質な聲は、ゲオルギー・パーヴェルのロマンチシズムをたった一瞬で冷却させるには充分だった。ともすればロマンチシズムに傾倒しがちな天才児に凍土の冷水を浴びせ、リアリズムに引き戻すのは、この仮面の副官以外に存在し得なかった。
副官との通信を終えて、ゲーティア要塞を経由しての帰還の路に師団の残余を載せる作業は、何とも退屈極まるもので、いつもであれば進路上の連盟軍基地にちょっかいを掛けてしまいそうになっただろう。
しかしそうならなかったのはイリーナの毒物にも似た忠言と、そして腹の中で燃えるウォッカにも似た怒りが、彼の脳裏を灼いていたからだ。
ユウリ・パーシヴァルは良い。彼女は己に使命に従い、才覚によって吾々を撃退した。それはむしろ敵ながらにして天晴れと云うものである。しかし、彼女に名を為さしめたのは、味方の無能である。
戦いとは、より多く、より大きな失策を犯した側が負ける。連盟軍は事前偵察を欠かしたために戦術的に大惨敗し、帝国軍はマーリェノフ一人を脅かされたために戦略的大敗を喫した。有能な敵よりも、無能なる味方が恨めしいと感じるのは、果たしてゲオルギーただ独りだけであろうか。数百万将兵の血を無為に帰した上でも、あの味方を擁護できるであろうか!?
「奴らは株式投資でもするように、損害を値切りしたのだ…………!」
床へ投げ付けたティーカップが、美女の悲鳴にも似た音を上げて割れた。これが祝盃であるなら目出たいことを示すものになるが、今回の場合、ゲオルギー・パーヴェルという男の心に掛かっていた、ひとつの箍を破壊した音でもあった。
「兵である前に民であるのを忘れ、むざむざ死なせた上でふんぞり返るのが皇族だと、貴族だと!?ならば俺は、そんな国など…………!!!」
憎悪の炎が宇宙を灼き尽くす。それは、そう遠くない未来であった。
*
「これは勝ったのか、それとも負けたのか?」
通信スクリーン上に現れたオルフェウス大将は、赤目の少将へそう問い掛ける。第九艦隊旗艦『ブランデンブルク』に被弾があったのか、背後には俄かに白煙が立ち込めているし、オルフェウス自身も額に包帯を巻いている。その包帯も煤で汚れ、血が滲んでいた。
「勝ちました」
ユウリ・パーシヴァルは尖った胸を更に張って、力強く宣言した。
「我が軍はバルバトス星域に於いて帝国軍の基地建設を阻み、撤退に追い込みました。戦略目標を挫いたのです。これを勝利と言わずして、何と言いましょうや」
「その犠牲は、余りにも大きすぎたようだな…………」
帝国軍は潮が引くように、恒星の向こう側へと向かっている。帝国軍支配領域まではまだ数個の星域を挟まねばならないし、こちらが退いたと見るや一挙に反転してくる可能性もある。連盟軍第九艦隊とパーシヴァル艦隊は今しばらくバルバトス星域にその傷付いた身を揺蕩わせることになるのだろう。その分、壊滅した他艦隊の残余の収容などに時間を割けるので、結果としてはプラスになる
ジョージ・ミュラーはこの日一〇本目のエナジードリンクを飲み干すと、この戦いで観測した彼我の被害集計に取り掛かった。
帝国軍は艦艇数三万隻余、将兵にして三六〇万名余。連盟軍五万隻余、六〇〇万名余。
このうち、帝国軍は六〇〇〇隻強が撃沈され、少なくとも七二万名が戦死となった。対する連盟軍は三万五九六〇隻が撃沈、将兵は四〇〇万名を越す将兵が戦死した。
膨大な量の血と鉄屑を生み出して、連盟軍は辛うじてバルバトス星域を守り抜いたのだ。
「その価値はあったんだろうか…………」
医療用カプセルに乗せられて、
そして、このような悲劇が何万、あるいは何億と積み重ねられてきたことに、ミュラーは常々辟易すると共に、戦争を食い物にして俸禄を稼いでいる我が身の罪深さを改めて自覚するに至る。
「情報参謀の仕事が、ようやくわかったよ。つまるところ、敵を効率よく倒して、敵も味方もなるべく死なさないようにするんだな」
シュタインメッツは毛布のような首を大きく傾けてバーボンを流し込むと、「そうらしいな」と言葉少なげに肯定した。
「ゲオルギー・パーヴェルか…………」
戦勝祝杯────戦略目標を一応達成したのでと『コーンウォール』で催された、ささやかな祝賀会────の中で、喧騒に慣れないミュラーは独り敵の指揮官に思いを馳せた。
芸術家じみた艦隊運動は、他の誰にも真似できない代物であるだろう。彼の最も優れている点は、戦いの機会を見極める目に優れていることだ────。
この時、数光年隔てた距離にいる二人は、互いが後年の宿敵となる事をまだ知らない。
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