第3話「反攻、反抗、反航」

 バルバトス星域にて、今や健在な連盟軍の兵力は、渋滞最後尾の第九艦隊とユウリ・パーシヴァルの第七艦隊C分艦隊。そして他の第二、第八、第一一艦隊それぞれが偵察に分派した合計三個の分艦隊のみである。厳密には、第二艦隊は壊滅したわけではなかったのだが、先刻から司令部との連絡が途絶えがちになっている。旗艦『イゾルデ』の通信処理能力が飽和しているとの予測がミュラーから上げられて、ユウリ・パーシヴァルはいよいよと腹を括った。

 連盟軍本隊が崩壊状態にある中、ユウリは重力の渓谷右側の小惑星帯に身を潜め、自分の分艦隊の周囲に、上位組織を喪った各艦隊の偵察部隊を集め、“臨時集成艦隊”を編成していた。もし闇雲に彼らが自艦隊への合流を図っていれば、今頃はあの優秀なる敵部隊に叩きのめされていたに違いない。


「皆聞いてくれ。戦線は完全崩壊し、当初保有していた優位は完全に消え去っている。このままでは、我々さえ撤退できるか怪しいだろう。我々の唯一の活路は、敵に”見逃してもらう”ことだ────」


 …………間もなく、臨時集成艦隊一万隻余は、進路を銀河標準方角にして北西へ取った。赤色矮星バルバトス。寿命を迎え、かつて存在した巨大恒星の残骸がとろ火のように燃えるだけの天体が、艦隊の里程標であった。



 第七艦隊C分艦隊に所属する空母『イシュタール』の格納庫は暇を極めていた。戦闘機も攻撃機も発進する機会が得られないので、パイロットも整備士たちも、伴食を食らうだけの存在となっていたのだ。かと言って何もしないという訳にはいかず、整備班は先刻から機体のチェックを繰り返し、パイロットは体力の温存に努めていた。


「他の艦隊は全滅したそうだぜ」


『イシュタール』に所属する三〇〇機の戦闘機戦隊の一員であるエリオット・フレイ中尉は、同じく二〇〇機の攻撃機戦隊に所属するコーネリアス・ゴルドー中尉から食堂でその噂話を聞かされて、特に不思議に感じなかった。


「そりゃそうだろうよ。何せあんな、莫迦みたいに仲良く渋滞してたんだもの。むしろあれで勝つ方が変だってもんだろうよ」

「あそこから偵察の為に脱していなかったらと思うと、ゾッとしないな」

「違いない。願わくば拾ったお命、負け戦の為に使い捨てたくはないが、うちの大将と来たらやる気満々なご様子だそうで…………」

「勝つ算段があるのか?」

「わからん。だがユウリ・パーシヴァルって女は、勝つ見込みのない戦いは絶対やらんと評判だ。算段は着けてあんだろうよ…………」


 その時、食堂でパイロットたちが一斉に起立する音が聞こえた。それは高位階級者か、直接の上官がやって来た時に鳴らされる効果音であった。遅れて反応した二人が立ち上がって敬礼すると、起立したパイロットたちの林の隙間から、少佐の階級章を着けた航空戦隊隊長二人の存在をその視界に入れたようだった。

 バリントン少佐はフレイとゴルドーの前まで来ると、任務を告げた。


「貴官らはこれより第九艦隊旗艦『ブランデンブルク』へ向かい、この秘匿回線装置を届けよ」


 フレイに手渡されたのは、小さな金属の筒だった。まるで忍者の巻物にも似ているそれは、通信機器に取り付けることで通信波を滅茶苦茶なものに書き換えて傍受を防ぐ、あるいは傍受されても解読、再現が出来なくするというものだが、特定のコードを有する装置を取り付けたコンピューターであれば正常にやり取りが出来るというモノだ。“糸電話装置”とも呼ばれている。

 それが用いられるということの意味を、フレイもゴルフォーもよく知っていた。


「来たようだぜ、勝つ算段ってやつが」



 連盟軍第九艦隊は、渋滞の最後尾にいることや接敵から交戦開始までの時間に開きがあったことで、パーヴェル師団の血濡れた牙が向けられる頃に至っては混乱から回復していた。とはいえ、この艦隊も当初は恐慌状態に在ったことは間違いなく、それを立て直し、かつ送り出した偵察部隊の情報もあって第七艦隊を始めとする四個艦隊敗亡の致命的要因となった”重力の渓谷”から脱出し、艦列を整えるに至っていた。

 旗艦『ブランデンブルク』に座上するハズバンド・オルフェウス第九艦隊司令官は、重厚な体躯に立派な顎髭を備えた如何にもな武人気風の男であったが、その見た目に反して意外なほどに柔軟性を持った男だった。その柔軟性が発揮されたのは、『ブランデンブルク』に若いパイロットがファランクス攻撃機に“糸電話装置”を運んできた時からだった。


「なに、敵に一杯食わせてやるだと」


 厚みのある声を高く上ずらせながら、立体スクリーンの向こうにいる女提督の赤い目を覗き込む。


「我が艦隊はこの戦域に於いて唯一無傷の兵力だ。その兵力を用いて味方を救援せねばならんだろう」

「もう間に合いません。第二艦隊は司令部こそ健在ですが、当方の情報参謀によれば六七パーセントに及ぶ兵力を喪失し、なおも半包囲状態から脱出できていません。他の第八、第七、第一一艦隊に至っては、合わせても二〇〇〇隻にすら届かぬほど打ち減らされております」

「すると貴官は、味方を見捨てよというのか」

「より多くの味方を救う為です。この戦域にいる全ての味方を救う手段はオルフェウス提督、貴方の決断に懸かっています」


 感情のない声で、ユウリ・パーシヴァルは言い切った。オルフェウス大将はその分厚い胸の奥で、溶鉱炉にも似た熱を感じ取る。諦めるからと見捨てるのではない。必ず救う為に、今は合理を優先させるしかないのだ、と。

 思考を巡らせる。六〇の齢を越えてなお激しい労働を一切拒まない闊達な脳は、少し前まで彼の中にあった若干の名誉欲、多少の出世意欲を完全に削除し、その代わりに、柔軟性というプログラムソフトに多くの権限を与えた。


「相分かった…………パーシヴァル提督。貴官の第七艦隊C分艦隊を臨時に第九艦隊の指揮下に編入する。

 また司令部を喪った他艦隊の分艦隊三個についても我が艦隊に一時編入とするが、これらはパーシヴァル提督の指揮下に置くものとして、依然行動を供にしてもらおう。

 そうなると貴官は一個艦隊相当の兵力を擁することになるし、”臨時集成艦隊”は長いな…………うむ、臨時集成艦隊は只今より”パーシヴァル艦隊”に改称せよ。それで良いかな?」


 ユウリの目が俄かに見開かれた。無能で旧時代的思想の大将の代表格と目していたこの男が、その実、非常に柔軟な思考力を持っているとは思っていなかったのだ。無論、実は当の本人にしてみれば、「俺にはよくわからん作戦案がパーシヴァル提督にはあるようだから、丸投げしてしまおう」という無責任さから来る権限構築でもあったとされるが、その真意は誰にとっても不明確であった。しかし、ともあれ、この老提督の決断がなければ、後の歴史はあれほどの激変を迎えることはなかっただろう…………。



「敵の最右翼部隊は、連盟軍第九艦隊と思われます」

「”圧砕のオルフェウス”か…………」


 アンナ・イヴァンスカヤ参謀長の報告に、ゲオルギー・パーヴェルは慄然としたものを覚えた。連盟軍きっての名将とされ、彼に斃された帝国軍将官の数は両手の指を用いても数え足りぬほどである。そんな猛将が迎撃に来ていたとは、いやはや、もし自分がこの親征に参加していなかったとしたら、ここで帝国の歴史は変わったかもしれない。戦場で戦死した初の皇太子として、マーリェノフの名が墓碑に刻まれたやもしれない。

 そうはならぬということを除いて、これらは事実であった。


「ロフヴィツキー、カラシニコフ、マレンコフ!」

 指揮下の連隊を預かる二名の少将と一名の准将を立体スクリーンで呼び出す。

「最後の敵はあの”圧砕のオルフェウス”だ」


 三名の連隊指揮官は瞬時に顔を強張らせ、肩に怒りの硬直を見せた。生唾を飲み下す音さえあった。しかしその反応はむしろゲオルギーの期待通りであり、言い換えるなら、彼らが有能な者であることの証左と言えた。


「卿らの能力を疑ったことはないが、相手があの”圧砕”では荷が重い。既に敵の布陣が整っている以上、私も直属連隊を連れ直接指揮する。よいな!?」

「は…………!」



 午後六時二二分、第三次バルバトス星域会戦は新たな展開を迎えた。帝国軍パーヴェル師団は、重力の渓谷を挟んだ向こう側で防御陣を敷く連盟軍第九艦隊に対し、総攻撃を開始したのである。


撃てスティリヤーチ!」

撃てファイヤ!」


 弱冠二五歳の俊英師団長と、六四と半年の老提督は、殆ど同時に言語の違う同じ指示を、配下の艦艇に対して命令した。戦いは平凡極まる砲撃戦に始まったが、双方共に巧妙な艦列配置によって砲火に隙が無く、また重力の渓谷を挟んでの撃ち合いとなったため決定打を欠いた。


「妙だな…………」


 旗艦を前面に押し出したゲオルギーは、妙なものを感じて顎を撫でた。戦況は、機動とは程遠い凡庸な射撃戦に終始するだろう。損害ペースはパーヴェル師団が一に対して、第九艦隊は一・八と計算され、間もなく致命的な差が現れる。ゲオルギーは機動戦も静止戦も得意であったが、あの第九艦隊を率いるのは“圧砕のオルフェウス”だ。攻撃を旨とする戦術を得手とし、その突撃に何名もの名将が葬られてきた。


(自分の土俵に敵を引き摺り込む努力をしない者が、名を為さしめるはずがはない。何を考えている…………)


 その不気味さに口の中が冷えて渇くのを感じ取る。ジャムを口に含んで紅茶を啜り、一旦の安心を糖分とカフェインに求めた。



 連盟軍第二艦隊は必死の奮戦も帝国軍トンストイ師団と親衛師団によって虚しく殲滅されつつあった。戦力の半ば以上を喪った艦隊は、中破しつつも健在な旗艦『イゾルデ』のレーダーが新たな反応を見出した時、状況は変転を見せた。

 それは一個艦隊に相当する反応数であったが、その方角は今しがた第二艦隊を半包囲する敵部隊二個のうち、戦線中央側に位置している部隊の後方。マーリェノフ皇太子が指揮する親衛師団が後背であった。


「何!?敵の別動隊であると!?」


 親衛戦艦『インペラトリッツァ・ヨーセフ』に飛び込んだ急報は、皇太子にして上級大将の地位を占めるオーガの心臓を過冷却させるに充分であった。何せ、敵第二艦隊は虫の息であり、パーヴェル子爵はともかく、トンストイ如きと手柄を半々に分けて堪るかという将兵らの声を容れて、今まさに全面攻勢に打って出る準備を終えたところだったのだ。

 最も無防備なる瞬間に現れた敵は、しかも異様な速力で迫っていた。決断の時はもはや三〇分とないだろう。しかし三〇分もの猶予があれば、決断の大抵は凡作に中るとしても然して愚策と呼べるものにはならないであろうが、マーリェノフ皇太子にしてはそうはならなかった。それは軍事的才能の完全なる欠如と、軍人としての経験の欠落が駆け落ちして生まれた、動揺という名の奇形児であった。


「ど、どうすれば…………トンストイに救援を求めれば、奴に貸しを作ることになる。しかしパーヴェル子爵はそれ以上に高い利子を要求しかねんぞ…………!」


 …………ここに至って、マーリェノフは盲目的な勝利妄想を抱いていた。確かに戦局は勝利寸前に及んでいたのには違いないが、窮鼠に噛みつかれた猫のように跳ね回ろうにも身体と共に脂肪の載り過ぎた脳にその活動は難しかった。

 間もなく、マーリェノフは決断らしい決断を下すに至る。それは総攻撃準備に入っている指揮下の五個連隊のうち四個を一斉に反転させ、迎撃させると言うものだった。

 この指示は出来損ないの軍人擬き皇族にしては思い切りが良く、しかも合理的であった。この後に後背となることになる連盟軍第二艦隊はもはや風前の灯火であり、反撃してきたとしても一個連隊(二〇〇〇隻)程度の兵力で充分に対応可能とみられたからだ。

 しかし、命令が合理を伴うからと言って、適切とは限らない。敵がマーリェノフの親衛師団とその本営たる『インペラトリッツァ・ヨーセフ』を射程に捉えるまで、残すところ五分を切っていたのだから…………。



 マーリェノフの後背に現れたパーシヴァル艦隊一万二八五隻は、確かに突然現れたものの魔法を使って移動した訳ではなかった。小惑星帯に隠れ潜みつつ艦隊を編成した事や、赤色矮星バルバトスの微細な減光の脈動に併せて移動しつつ、恒星表面をなぞり、充分な加速を着けて砲火を開いたのだ。敵が行ったように、天体重力推進スイング・バイによる超加速を用いる案もあったが、火力と速力を重視した一万隻の高速艦艇はその際に発生する遠心力に耐えられないだろう、という計算結果が出た為、エネルギー探知の回避の為にのみ天体重力推進スイング・バイは用いられた。

 生き残った帝国軍親衛師団の将兵は、これを“魔の二〇分”と呼んだ。パーシヴァル艦隊は上部組織を喪った恨みを叩き付けるかの如くビームやミサイルを乱射し、親衛師団の戦列に大穴を穿ったのだ。親衛師団の悲劇は、この直前にマーリェノフが下した艦列の反転命令に拠るところも大であった。彼らの知らぬ話ではあるが、マーリェノフは連盟軍のケルビン(元)大将と同じ過ちを犯したのである。


「前衛隊は最大戦速で敵戦線の穴に突っ込んで広げろ!空母部隊は攻撃隊を発進、前衛を直接援護。後衛隊の砲艦は敵火力の排除!観測機も出せ、後の事は考えるな。徹底的に打撃を与えろ!」


 ユウリ・パーシヴァルは矢継ぎ早に的確な指示を飛ばした。彼女の赤い戦術眼は、コンピューターの親類縁者にも似た正確さを以て結果を出力している。ただし、それぞれの部隊に細々とした指示は出さなかった。部下を信用していたからである。


「司令官!」


 通信スクリーンにミュラーの顔が現れた。背後に見える情報収集室は戦場の最前線にも似た喧騒で、戦果確認や敵情報の捜索などで、二〇名未満の部署はパンク寸前なようだった。


「敵軍団旗艦の座標を割り出しました!奴ら大慌てで逆探阻害も出来てません!」

「でかした!」


 快哉を叫ぶと、上がってきた座標情報を打ち込む。その座標へセンサーを向けると、確かに、異様な艦影が佇んでいた。

 戦艦というより、移動する宮殿。そう形容できるであろう巨艦は、随伴する帝国軍ボロジノ級量産型戦艦は全長四〇〇メートルを超す大型艦であるが、その艦は優に二〇〇〇メートルはあるだろう。

 親衛戦艦。王鬼帝国の皇族や高級貴族に下賜され、数万隻の艦隊を指揮する通信能力と要塞に匹敵するという防御力、火力を持つという。存在自体は知られているし、何度かの目撃例はあるものの、直接戦闘に参加する事態は珍しいため、その実力は未知数である。


「本当にそうなのか、確かめてやろうじゃないか」


 しなった鞭のように口端を歪めると、各部隊にその持ち場を任せて、若き女提督は皇太子殿下殿が居座る船の方へ、『コーンウォール』の舳先を向けた。パーシヴァル艦隊直属部隊こと、旧第七艦隊Ⅽ分艦隊。それがユウリの最後の予備兵力だった。

 ユウリ・パーシヴァルの構想はこうだ。有力な敵師団を、不得手は承知で第九艦隊に引き付けてもらうことで、指揮能力に乏しい皇太子の親衛師団を後背から奇襲する。優位な速力を活かした一撃離脱を以て敵戦列を破壊しつつ、存在するであろう親征軍団旗艦を叩く事で戦局に決定打を打つ。ただし────。


「敵旗艦の護衛を排除する!当てるなよ、沈んだら奴らを撤退させる術が無くなるからな。

 全艦、射撃用意…………!」


 シュタインメッツはその指示に長い舌を巻いた。


(権力者は、自分の身が直接脅かされる状況になると、途端に弱腰になる。戦域の帝国軍全軍を率いるマーリェノフに撤退を決意させれば、この戦いは終わる…………逆にここでマーリェノフを斃してしまえば、敵は復讐戦に躍起になってこちらを数で押し潰しに来る、か…………)

ぇっ!」


 間もなく、『コーンウォール』以下、パーシヴァル艦隊直属部隊(旧第七艦隊C分艦隊)は砲門を開いた。五〇〇隻の帝国軍護衛艦隊は果敢に抵抗したが、速度を活かして有利なポイントを常に占めたパーシヴァル艦隊は彼らの悉くを撃沈し、有機的、あるいは無機的な小隕石を無数に生産した。

 死神の視線を向けられたのを悟ってか、マーリェノフ皇太子は玉座に座りながら狼狽していた。戦線は完全に崩壊し、各方面で親衛師団は敗退を重ねている。損耗率はたった二〇分足らずで全体の三〇パーセントにも達する勢いで、特に艦列の中央に穿たれた破孔は修復できる見込みはない。更にそこから侵入した敵艦隊の一部は、どういう訳かマーリェノフが座上する親衛戦艦『インペラトリッツァ・ヨーセフ』を特定し、しかも随伴の護衛艦のみを執拗に狙うのだ。

 ゲオルギーはこの数倍の規模で連盟軍を散々に斃したが、マーリェノフはその数分の一の被害を耐える心臓を持っていなかった。遅きに失した命令を参謀長に伝える。


「トンストイに救援を要請しろ!」


 参謀長の答えは残酷だった。


「駄目です。我が師団に最も近いトンストイ師団の部隊でも、到着まで一時間掛かります。その頃には、我が艦は…………」


 凡人であれば、ここで親衛戦艦の所以たるを見せてやろう、と意気を張り、むしろここで逆上するように死守・撤退禁止命令を下しただろう。その点はマーリェノフも同じことを考えていて、救援が叶わぬならせめて一歩も下がらず持ち場を守れ、と命令するつもりであった。実際、パーシヴァル艦隊は攻撃力と速力に重きを置いた艦船ばかりなので、一撃目を持ち堪えられてしまうと貧弱な防御が祟って逆転負けを喫する可能性さえあった。とはいえ、如何に堅牢な『インペラトリッツァ・ヨーセフ』であっても、二〇〇〇隻を超す敵艦隊と戦うのは無理があった。なのでこの場合、マーリェノフの命令はやけくそと同義の意思決定だったのだ。

 そのやけくその命令を下さずに済んだのは、通信士官からもたらされた、新たな艦影報告だった。


「援軍です!パーヴェル師団の…………!」


 親衛戦艦『インペラトリッツァ・ヨーセフ』の周囲に駆け付けたのは、真っ黒に塗装された、パーヴェル師団配下のイリーナ准将の一個連隊二〇〇〇隻であった。

 イリーナ連隊はパーシヴァル艦隊直属部隊に比べ数的劣勢にあったが、殊に勝利条件というものをよく理解しているようで、素早くパーシヴァル艦隊直属部隊と『インペラトリッツァ・ヨーセフ』の間に割り込むと、そこに重厚な防御陣を素早く構築したのだ。


「よく守るじゃないか…………!」


 ユウリ・パーシヴァルは相手の増援部隊の華麗な手並みに、苦い感服を覚えていた。まさか、連盟軍本隊を散々に打ち破ったあの敵将の直率しているのではないか、と錯覚するほど巧妙に艦が配置されており、五〇〇隻弱程度の数の優位もしばらくすると均衡なものとなった。損害ペースの天秤は、今やパーシヴァル艦隊に偏りつつあったのだ。


「弾薬やエネルギーは、ここで費い果たして行け!後に取って置く理由はない!」


 ユウリはそれでも攻勢を緩めなかった。損害を重ねてはいたが、それでも敵陣を僅かずつだが押し込んでいた。むしろ、ここで退けば敵は勢いを盛り返し、逆撃に出て此方を殲滅するだろう…………。

 戦況全体の天秤も、偏りを見せていた。パーヴェル師団本隊八〇〇〇隻は少なからぬ被害を出しながらも連盟軍第九艦隊を重力の渓谷の対岸より駆逐し、今まさに渓谷を超えて全面攻勢に出ようとしていた。トンストイ提督も連盟軍第二艦隊への総攻撃を中止し、親衛師団を救援するべく戦場へ急行していた。

 またその親衛師団でも小さからぬ巻き返しが起きつつあった。皇太子に指揮能力がないことを悟り、見切りを着けた親衛師団各部隊が、それぞれ独自に反撃を始めたのだ。本来脅威とはなり得ないはずの各艦による個別の反撃だが、曲がりなりにも将兵は皇太子の率いる部隊に選ばれるだけあって練度が高く、更にパーシヴァル艦隊の弱点である守勢に弱いという点も徐々に判明して、やがて戦況は互角のものへなっていた。


 ここまでか、とシュタインメッツ参謀長は牙を撫でた。単なる上官と部下の関係でなく、シュタインメッツの個人的感情として、彼はユウリ・パーシヴァルという若き将官を“主君”として認めて無二の忠誠を誓っていた。それはウェアウォルフ族特有の社会本能に依る習性であったが、それだけに強固なものだった。


 此処で死ぬるならば、それも良い。尊ぶべき主君と、戦場を寝床に共に天へ召されるのは、むしろ本能とするところだ────言い聞かせるように運命を受け入れた。

 シュタインメッツは気づかわしげに上官の横顔を見て、氷を飲んだように体が冷えるのを感じた────彼女は、嗤っていたのだから。


「艦長。照準を敵旗艦へ向けろ。ただし、防御の最も厚いと思われる区画を狙え。一発だけだぞ」

「御意」


 淡々と命令を承諾したペドロ艦長は、間もなく『コーンウォール』の主砲に発射を命じた。

 三六センチ中性粒子ビーム砲は、果たして狙いを過つことなく、親衛戦艦『インペラトリッツァ・ヨーセフ』の左舷中央主砲を破壊した。それ以上の被害にならなかったのは、ペドロ艦長の抜群なコントロールにより、ビームの減衰ギリギリのエネルギーで発射したからであった。


「勝ったぞ」


 間もなく、眼前の黒い艦隊は、球形陣を組んで帝国軍の親衛戦艦を囲って同じく後退していった。

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