第2話「一万対五万」
「良い星々だ。あの光どもは、吾の為だけに数万年の時を駆けてきたのだ」
マーリェノフ・オルグドフ・ロシュトフ皇太子は、王鬼帝国内でも然して人気のない男であった。
一方文化人としてどうかと言えば、そちらの評価も芳しいとは言い切れない。というのも、皇太子として教育される過程に於いて、彼の文化精神の農場には徹底的な選民思想と帝王学が植え付けられ、その栄養を吸い取り尽くしていたのだ。マーリェノフの発表した詩は、どれもが専制政治の臭気を放ったプロパガンダ的なものであり、また軍務の合間に書き上げた────と主張している────小説も、やはり王鬼帝国皇太子としての主観の非常に強い作品ばかりであり、文学的価値にはやはり乏しかった。
だがこれをむしろ好意的に捉える者もいて、実のところ彼に最も似合っていた省庁は戦争省ではなく広告省のような機関ではなかったか、と後世の歴史家の幾人かは評価する。
そんなわけで、この巨漢が一個軍団を率いる総督として出征するのはこれが最初であったが、彼とトンストイ提督の見立てではこれがマーリェノフにとって最初で最後の出征になるはずであった。これはバルバトス星系が航行の難所であると同時に、ソロモン回廊の連盟側出口に程近い星系でありながら、大規模な艦隊を恒常的に駐留させることが出来る一大基地となり得る可能性を秘めた星域だったからだ。無論、その可能性については連盟も承知の上で、恒久基地を建設する為に何度となく相争ったものである。
よしんばこのバルバトス星系攻略、並びに基地建設に成功すれば、帝国軍内でのマーリェノフの地位は確固たるものとなり、それを膳立てたトンストイも上級大将への道が、その先の軍部三長官(宇宙軍総司令長官、戦争省大臣、軍令本部参謀総長)の地位も狙えるのである。
そういう訳で、一応の軍事的合理性と政治的深慮を兼ねたこの出征には、トンストイ大将が人事に口を出し、あるいは賄賂を用いてでも掻き集めた有能者と忠誠者で構成された三個師団三万隻が動員されたのだ。
「今宵は良い詩が書けそうだ。そうは思わんかね、パーヴェル中将?」
“親征軍団”の旗艦、親衛戦艦『インペラトリッツァ・ヨーセフ』に設けられた謁見の間で、マーリェノフが語り掛けるのは、この戦いで用兵顧問として参加しているゲオルギー・パーヴェル中将だった。
マーリェノフの横に控える
ゲオルギー自身も三個師団のひとつを率いているため、本当は自分の艦隊の指揮に専念したいところではあったが、皇太子と直属の上司(と、直前に決定されたばかりの)トンストイ大将の要請で、『インペラトリッツァ・ヨーセフ』に召喚されていたのだ。
「左様でございましょう、が、今はその衝動をお抑えになってください。戦はまだ始まっておりませぬし、また終わってもいません」
「しかし、卿の策略は完璧ではないか」
「理論上は、です。理屈を完璧にするのは、常に不断なる努力に他なりません」
言外に「こんな場所にいられるか」と吐き捨てたつもりだったが、上司二人はそれを解釈する国語的素養を持ち合わせてはいないようで、トンストイ大将に至っては「流石、帝国軍きっての用兵家だ。一流の将帥たる自覚があるようだな」と鼻を高くしている始末だ。その裏には「そんな将帥を部下にする自分は優秀だ」という意識が、皮膚の下から滲み出ていたのだった。
*
三個師団の一角を率いる、ゲオルギー・パーヴェル中将は、皇太子の元から予定を大きくオーバーランしてようやく自分の師団に戻った。彼にしてみればそのオーバーランすらも予定の内であったが、自分にしては随分と忍耐したものだと感心していた。大貴族と皇族のコンビなぞ、散文的で長いだけの無駄話になるに決まっていたのだ。あれならば、粛清を恐れ愚にもつかぬ冗句を飛ばすだけの宮廷道化師の方が、まだユーモアがあるというものだ…………。
余談ではあるが、彼も子爵の爵位を持つ貴族である。ただし、治めるべき領地は父祖の代で喪われており、彼自身は爵位以上の称号は軍の階級しか持ち得ない。
そんなゲオルギー・パーヴェルは、オーガにしては比較的小兵の部類に入るが、少なくとも
パーヴェル師団旗艦『ザーリャ』に戻った際、艦橋で出迎えたのは副官のイリーナ准将だった。イリーナ准将は「お帰りなさいませ、パーヴェル様」と、まるで侍従のように礼を以てゲオルギーを迎えた。
男尊女卑とまで言わぬが、男性優位社会が形成されている王鬼帝国、取り分け軍部に於いて、女性が佐官まで登り詰めることは極端に珍しい例であったが、ゲオルギーは有能と見るや、女性であろうが登用する、人材収集家であった。しかし、見る者全てはその階級や性別よりも、女の貌を覆い隠す漆黒の仮面に目を取られるだろう。それなりに大きく作ってあり、ちょうどオーク族の鼻頭がすっぽり収まるようなサイズ感なのでオーク族なのではないかと思わされるが、しかしオークにしては体格が貧相だ。オーガとして見るには、角らしき部位がない。帝国軍では職業規制により、オーガとオーク以外は軍隊に入れないので、そのいずれかの種族であるはずだったが、イリーナ准将の種族は一見だけで判別は付きそうになかった。
イリーナは機械にも似た無機質な声で司令席に坐したゲオルギーの幾つかの書類を手渡した。
「パーヴェル様がご不在の間に、各中隊に至るまでの艦隊運動計画の調整を行っておきました。後は、閣下が手を振るだけです」
「書類まで、わざわざご苦労。だが案ずるな、読まずともわかる。卿は万事、完璧な仕事をするからな」
「そうは参りません。後でもよろしいので、必ずお目を通し下さいませ」
「ふ。私がいつ読まぬと云った」
「これは失礼しました。小官の早計だったようです…………」
一礼してイリーナは引き下がった。うら若き子爵の付き人は、引き続き主人のすぐ傍で控え続けたが、再びパーヴェルが用に求めるまで、木像の如く沈黙を貫いた。
その沈黙が幸いしてか、ゲオルギーは再び瞑想に沈んだ。意識は“皇太子殿下殿”と“政治提督殿”に及んだ。彼らが今回の出兵に企図したものは、一見軍事的に明瞭で必要性すらあるものだが、早急に必要な戦略目標という訳でもない。
「軍事的勝利を前提とした、政治闘争の計画か…………」
ソロモン回廊深くに侵撃し、要衝を奪い取ることで永き戦争に一定の方向性を齎すことが出来れば、確かにマーリェノフ皇太子の名声は宇宙を席巻するだろう。だが、それには些か段階を跳躍し過ぎている。堅実かつ戦略性のある駒の打ち方があるというに、マーリェノフはそれを今や待てぬと煽り立てたのだ。
「戦争とは投機であってはならない。ましてや軍事的勝利を前提とした政治闘争の計画なぞ、絵に描いた餅にも満たぬ」
そう結論付けたとき、イリーナが艦橋への来客の存在を告げた。ゲオルギーはその目通りを許すと、オーガ族の女性士官が堂々とした足取りで入ってきた。
「師団長、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
師団の参謀長、アンナ・イヴァンスカヤ大佐の質問を、ゲオルギーは諾々と許可した。入室を許可した以上、発言を許さぬということはない。アンナはゲオルギーの傍らに控える、仮面を着けた女性士官の存在感に辟易としながら、疑問を口にした。
「作戦計画案を拝見したのですが、これではどうにも、我がパーヴェル師団のみが戦闘を行う形となってはおりませんか」
「そうだが?」
然も当然である、と言わんばかりにゲオルギーは答えた。
「はっきり言って、私は皇太子殿下“殿”もトンストイ大将の部隊も、当てにはならんと考えている。両人は確かに権謀術数に長けているが、実戦経験には乏しい。ましてや同規模の部隊と歩調を合わせての合戦など、そのノウハウすら頭に入ってはおるまい」
「つまり、味方として期待できないと」
「そうだ。だから実質、敵軍五個艦隊は私が手ずから葬る」
「五万隻の艦隊を、ですか」
「五万隻を相手にしなくとも良いのだ。“艦隊”と“兵力”は必ずしも同一ではない」
「それは、些か投機的に過ぎませぬか?」
「戦術の投機は、その結果に至るまでの時間を早めるために重要なものだ。最も大事なのは、戦略を誤らぬことだ。その点、この戦いは初めから勝っていると言えよう」
…………間もなく、師団の全艦が機関出力を最大に上げた。速度計が最大戦速を示した時、計画通り左への回頭が始まった。それはバルバトスⅥの表面近くで曲線を描くように機動しながらのものであった。
これが後に伝説となる、“パーヴェルの大回頭”であった。
*
ユウリ・パーシヴァルは早速行動の独立権を遺憾なく使用し、まず本隊から離れた小惑星帯にⅭ分艦隊の身を潜ませた。帝国軍別動隊の存在を危惧しても居たが、それ以上に、休息を必要としていたのだ…………と思っていたが、何やら別の意図があるようだった。
惑星バルバトスⅥによって動きが制限されているのはこちらだけではなく、あちらもそうなのだ。小さめの恒星にも匹敵する質量を持ったバルバトスⅥに迂闊に接近すれば、その巨大な引力に陣形が掻き乱される。それを恐れるなら、下手な急機動は取れないだろう、というのが第七艦隊司令部の見立てだった。
本当にそうだろうか、と自室のベッドで横たわりながら、ジョージ・ミュラーは思う。
歴史上、いわゆる“戦略の壁”というものはある一定のレベルに於いては有効に機能した。超古代では、地球のアルプス山脈がローマへの侵入を阻む壁として機能し、かの国家の富国化を大いに助けたことは疑いようもない。しかし、逆に、このアルプスを踏破されてからのローマの戦い方は精緻を欠いた。誰かがアルプスを越えてくることを予想していなかったし、そして踏破してきた者は須らく後世に名を残す戦争の天才だったのだ。
もし敵にその“戦争の天才”がいたならば、どうなるだろうか。軍事的に余りに非常識な、“敢えて姿を晒す”こと自体を囮に、何か仕掛けてくるのではないだろうか。そんな気がしてならなかった。
(あーあ、嫌だね戦争なんてものは。俺は家でゆっくり、歴史書でも読み漁りたいんだけどな)
陳腐な佐官用官舎でさえ、ジョージ・ミュラーには恋しい家だ。今のところ、彼が帰る家はそこにしかなく、故郷と呼べるものも存在しないのだから、これは郷愁というより鳥類学的な帰巣本能の類いかもしれなかった。
(それにしたって何をするつもりなんだ、ユウリは。こんな宙域じゃ他の艦隊と連携なんか取れやしないぞ。ましてや別動隊の可能性なんてゼロに等しい。居たとしても二五〇〇隻程度で迎え撃てるものか…………)
自らの上官である同期生に、怪訝な思いを抱いていた。ユウリはこの宙域で何をするつもりなのか。吾々に何を為させたいのか。そもそも、自分に思いつく程度の事をユウリが考え付いていないはずはないのではないか。
一体何を考えているのか、と心理学の領域に足を踏み入れようとした時、古い呼び出しベルが鳴って、ジョージ・ミュラーは惰眠の時を逸したことを悟る。
帝国軍が動いた、というのだ。
*
帝国軍の動向が変化したことを察知できたのは、第八艦隊E分艦隊だった。同分艦隊はユウリ・パーシヴァルの分艦隊同様、高速艦で編成された艦隊であり、連盟軍本隊の艦列から見て右側、惑星バルバトスⅥと恒星の中間宙域に遊弋していた。最初に敵艦隊を発見した第九艦隊B分艦隊は、本隊右側かつバルバトスⅥと
油断しきっている連盟軍本隊とは打って変わって、司令官のアルフレッド・ゴードン准将は敵艦発見の報に接して以降臨戦態勢を崩した瞬間は無かった。いずれ緩やかな軌道を描いての反航戦となるに思われるが、敵が一航過して反転、追いかけようとしてきた際は、ゴードンがまずその頭を押さえて進路を阻んでやろう、という魂胆だった。
その戦術計画はゴードンが飼う数多の脳細胞を総活性化させ、少ない兵力で有効に機能し得ると断言できるほど細部を緻密に編まれていたが、それが活かされる事はこの会戦では決してなかった。
「速度を上げただと?」
それは然も当然の事ではないか、とゴードンは当初判断していた。しかし事態が進展するにつれ、その認識は誤りであったと訂正せざるを得なくなった。
敵艦隊はバルバトスⅥの表面をなぞるような針路を取った後、連盟軍本隊目掛け“有り得ざる加速”をしたのだ。その速度は異常で、ゴードンが遊弋する自艦隊に前進を命じるも、速力差は二倍にもなっており、到底追いつき得ないという結論が出たのだ。
「艦隊司令部に緊急連絡!敵、突撃を開始せり!」
スクリーン越しの面会を求めるには余りにも時間が足りない。そうでなくても、あの速度では三〇分程度で味方を射程に収めてしまうだろう…………。
「我が艦隊はどうしますか?」
幕僚の一人がゴードンに訊いてくる。ゴードンは最悪の結末への想像で頭髪が禿げあがりそうなほどのストレスを覚えながら、「決まっているだろう!」と云った。
「逃げるんだよ!このままでは優勢な敵火力に正面から突っ込む事になるぞ!」
*
第七艦隊旗艦『バッファロー』では、敵の急変に接して混沌を来たしていた。敵が射程へ到達するまでに僅か三〇分しかなく、一時間は掛かると見られた艦列の調整にはまるで間に合わないことが判明したからである。
マクドネル・ケルビン大将は決して無能な軍人ではなかった。しかし、その能力は正面から敵と戦う際の細々とした指示など、戦術面の更に限定的局面にのみ発揮されるという類いのもので、「戦わせるだけなら“そこそこ”上手くやる」という程度のものだった。一応のところ、その“そこそこ”が相当に評価され、連盟軍では最高位の元帥から一つ下の大将の地位にまで登り詰めた訳であるが、実のところ、その階級を得たことで、内心である種の自己神格化を為してしまったのだ。
なのでこの時、混沌の原因の一端を彼は担う事となってしまったのだ。
「当初の予定に従い、戦艦部隊を前面に展開!数だけなら我が方が上なのだ。戦艦の装甲で敵を受け止め、砲艦で叩け!」
この場合、“そこそこ上手くやる”というのが完全に裏目に出てしまった。この指示でさえもやや状況に不適切だったのだが、そこに輪をかけ、小艦隊単位(一〇〇隻)に至るまでの指示をしたのだ。一個艦隊の司令官が小単位での戦力を緻密に把握していることは本来称賛されるべきことだったのだが、危急の際にはある程度の自由裁量が認められているはずの分艦隊司令部、戦隊司令部を通り越しているので、場合によっては相反する配置指示が積み重なり、混乱の拡大を助ける結果となった。
要するに、ケルビン大将は規定外の指示を無数に発してしまったので、多くの問題に対処するための時間的資源を自他共に空費させ、味方を昏迷の大渦に投げ込んでしまったのだ。
しかしこの混乱は第七艦隊のみではなかった。渋滞先頭の第二艦隊、次鋒の第八艦隊、そして予定外の闖入者であった第九艦隊と第一一艦隊に於いても全く同じ現象が起きており、酷いところでは味方艦同士の衝突事故さえ多発する始末であった。
そんな中、敵艦隊がミサイルを発射し始めたとの報告が上がった…………。
*
「馬鹿者め。時間が足りぬのだから大型の戦艦を前に出すのでなく、艦列の隙間から駆逐艦を展開して戦線を形成させ、戦艦を下げて火線と為すべきなのだ」
連盟軍の“後方”に構える巡航戦艦『コーン・ウォール』の司令席で、味方艦隊群の昏迷ぶりを観察していたユウリ・パーシヴァルは、ケルビンを始めとする各艦隊司令官の指揮の不味さに、まるで毒でも飲んだように顔をしかめた。
各偵察部隊を抜いたとはいえ、敵に対して数的優勢を確保できたであろう四万隻弱の兵力があるにも拘わらず、その大艦隊は今や烏合の衆と化していた。
「敵のあの加速、新兵器でしょうか」
「いや、違う」
シュタインメッツ参謀長の問い掛けをばっさりと切る。
「
ミュラーの言葉に幕僚たちが目を剥いた。宇宙にまだ畏怖と憧れを抱いていた旧時代の方法だ。当初、宇宙へ放たれていた天体探査機はサイズの制限から内燃機関を持たず、専らを
そんな中で
強力な核融合炉を搭載した有人宇宙船がメジャーなものと化した現在に於いては、もはや火薬式ライフル、石炭発電と並んで“忘れ去られた”技法であったのだ。
また、スイング・バイが主流であったのは宇宙が無謬の荒野であった時代であり、開拓され人類の領域と化した現在ではむしろ危険極まりない方法として認知されていた。スイング・バイで加速離脱する方向によっては他の宇宙船の航路に影響を及ぼす可能性や、天体の重力に引き摺り込まれ墜落する恐れがあり、実際に大小何百件もの事故が開闢暦の当初一〇〇年のうちに起こったために、原則禁止となったのだ。禁止となるうちに忘れ去られ、今では名を知るものの実務的運用方法が失われた。より安全な自己推進能力を獲得した以上、それに頼る必要性もなかったのだ。
「…………このように、スイング・バイの原理は非常に簡単で、しかも現行の宇宙艦船の推進力と、反重力機関、抗重力装置の稼働を複合させれば、効果は西暦時代とは比べ物にならないでしょう」
原理を説明したミュラーは、そう付け加えると思考の畑を今一度耕した。
「本当に脅威なのは、それを艦隊を率いて行ったこと。そうよね、ミュラー」
「ええ。スイング・バイは船団の航法には向いてません。ましてや一万隻の戦闘艦を率いて行う事ではない…………」
血の気が引くのを感じた。誰でも思い付くことというのは、その実行に多大な困難を伴う。艦船同士の間隔を緊密に保ち、戦闘に有効な隊形を維持しつつ加速する────一体どのような魔法を敵は使ったのだろうか!?
「ミュラー。敵はマーリェノフ皇太子だそうね」
「はい。まさか、皇太子がこれを考えたと?」
「かもしれない。軍事の素人なら考え付くだろう。だが、それだけで為し得る戦術ではない。考案と実行は別。敵の将帥に、ただならぬ才を持った者がいる…………」
慄然とした空気が『コーンウォール』の艦橋に流れた。
一年前、銀河暦二八一〇年一〇月に行われた“第九次モラクス攻防戦”にて、一個戦隊(五〇〇隻)の兵力で、自軍に倍する敵艦一〇〇〇隻を撃破したユウリ・パーシヴァルは紛れもなく非凡な才を持つ者だ。その彼女をして「ただならぬ」と形容されるという事を、敵の偉大さに未だピンと来ない他の幕僚も、ようやくその実感を肌に覚えたのだ。
「ミュラー!」
「は!」
薄氷のような空気を叩き割ると、ユウリはミュラーに敵将についての情報を調査室で集めてくるよう命令した。今のところ、ジョージ・ミュラーが戦局に寄与できる要素は見当たらず、当面はその命令が当然だと認識できたので、一切の反感もなく艦橋を辞した。
「シュタインメッツ、ムラタ!」
作戦参謀フェルディナンド・ムラタ中佐とエルネスト・シュタインメッツ大佐が雷に打ち据えられたように背筋を正す。
「他の偵察部隊と連携を緊に為せ。実務はムラタ中佐に、シュタインメッツは連絡役だ!」
「は!」
「了解しました」
短い敬礼の後、二人は作戦室へと去って行った。配下の四個戦隊を預かる四人の大佐たちをスクリーンに呼び集め、自身の策を伝える。その内の一人、ケレス・サンダース大佐が「そう上手く、事が運びますかね」と疑念を呈した。ユウリはそれに柔らかい声で、しかし冷然と応えた。
「上手く行かないときは、宇宙の藻屑になるだけだ」
*
この戦いを生き延びたある将校は、この時の様子を後にこう語る。
「十字のカミソリが、我々を切り刻んだのだ」…………と。
パーヴェル師団最初の目標は、最も混乱を来たしていると思われる連盟軍中央の艦隊、つまり第七艦隊であった。圧倒的速力により、ゲオルギー・パーヴェル中将は叩く敵の優先を決定できる立場を作れたのだ。
パーヴェル師団は当初の予定通り陣形を縦横に組み替え、この状況で破壊力を最大化できる立体十字架陣形を構築した。戦艦を十字の端に置き、砲艦をその内側に、十字の交差する中央部分には巡航艦や駆逐艦などを配置したのである。正面火力はやや不足するものの、超加速を衝撃力に変換するという一点に於いては、最強の突破力を生む陣形であったのだ。
そして、やや弱性となる火力に於いてもゲオルギー・パーヴェルは既に手を打っていた。
「
美貌の師団司令官の白手が振り下ろされた瞬間、一二〇〇隻の戦艦、砲艦の長射程ビーム砲が一斉に発射された。四〇光秒に渡る永遠の夜を裂いて連盟軍第七艦隊に殺到したビームの弾着は、二〇光秒前に放ったミサイル群の直撃に同期した。
超加速状態で各艦から放たれた数千発のミサイル群は、慣性の助けも借りて通常よりも速度と射程が向上していた。亜光速に匹敵する速度を得たミサイルは、迎撃不可能な死神の鎌となって第七艦隊を灼き尽くしたのだ。パーヴェル師団から放たれたビームは、ミサイルの目標選定に漏れた敵艦に指向されたものであり、減じた敵艦隊を相手する以上はもはや火力的弱性を気にする必要さえなかった。
宇宙に無数の華が咲く。殺戮という名の華である。その華が咲くごとに、一〇〇以上の命がそれまでの時間を無為なものへと帰せしめる。死ぬる以上は、その命を預かる指揮官は戦いに勝ち、彼らの失われた時間に値段を付けねばならなかったが、もはやその指揮官もこの世にない。
第七艦隊旗艦『バッファロー』は艦橋に第一撃のミサイルの直撃を受け、マクドネル・ケルビン大将以下第七艦隊司令部幕僚ごと爆散。艦橋を喪えど、優秀なダメージ・コントロールにより辛うじてその時の轟沈を回避した『バッファロー』だったが、やがてパーヴェル師団が中央戦列の高速部隊を送り込んで来た時、あっという間に敵に取り囲まれて艦腹に数条のビームを撃ち込まれ、今度こそ宇宙の華と化したのである。
*
まずは一個艦隊、とゲオルギー・パーヴェルは最初の関門を突破したことに安堵していた。
徹底的な偵察によって常に敵の位置を把握し続け、スイング・バイの軌道に入るギリギリまでその姿を巧みに伏せ続け、敵が偵察部隊を切り離した途端に見えやすい臨戦陣形へ移行する。艦列調整の意味も兼ねて、不自然なく可能な限り低速を演出して誤認を招き、敵の動きが緩慢になった段階で一気にスイング・バイを用いて方向転換と加速を為し、奇襲を成立させる。敵の戦列を分断したところで局所的な数の有利を作り出し、じわじわとその破孔を拡大していくのが、最終的な構想であった。
中央の敵艦隊は特に叩きやすげに見えたのでその通りにしてみれば、たった一撃で崩壊してしまったので、ゲオルギーは己の成した大戦果に寒気すら覚えた。ある種全能感にも似た高揚が精神に快楽的な昂ぶりを与えたが、それを慢心へと変換せしめるほどの肥大化した自我を持っていないのは、今しがた知らぬ間に斃したマクドネル・ケルビン大将との最も大きな差であっただろう。
「イリーナ。トンストイ師団、親衛師団の動向はどうか」
“お荷物”の二万隻の行方を尋ねる。副官はタブレット端末を操作しつつ答える。
「未だ後方五〇光秒程です。」
「そうだろうな」
わかり切っている、と言わんばかりであった。
「“皇太子殿下殿”と“あの”トンストイ提督では、スイング・バイは行えまい。むしろ通常航行でその距離まで追いつけている方をこそ称賛されるべきであろうな」
繰り返すが、ゲオルギーはトンストイとマーリェノフの兵力に些かの期待もしていなかった。かの率いる将兵たちは優秀である。その証拠が彼我の距離に現れている。問題は、それを統率する者は明らかに能力が足りていないことだ。しかも死なせるにはやや困る人間なので、せいぜい、“安全地帯”にいてほしいものだ…………。
「イリーナ、少し手間だが“殿下殿”と“提督殿”に、我が軍の左翼に展開するように丁重に“お願い”しろ。このまま吾らだけで五万隻全てを平らげても良いが、爾後、戦果を独り占めしたと謂われれば面倒だ。戦った“だけ”の実績程度は分けてやれ。だがもしもに備え、貴官は連隊に戻り予備兵力として控えよ」
「御意…………」
副官の退去を見送りつつ、ゲオルギーは配下の三個連隊六〇〇〇隻に新たな指令を下した。それは、接近戦に優れた小型艦艇を“重力の渓谷”に浸透させて敵を駆逐し、“渓谷”の外から戦艦などで援護せよというものだった。
再び、戦艦部隊の砲門が開かれた。未だ混乱から立ち直り切っていない左右の分断された敵艦隊群は渓谷の内外から攻め立てられる。
渓谷を脱しようとした連盟軍巡航艦はその重力圏の複雑さから脱出に手間取るうちに、接近してきた帝国軍駆逐艦にロケットを撃ち込まれて爆散させられた。
逃げ惑う連盟軍駆逐艦を、渓谷の外から戦艦の大口径ビーム砲が刺し貫き、一撃で真っ二つにへし折って戦火の贄と供する。
何とか小隊単位で立ち直れた連盟軍の戦艦隊は、果敢な抵抗を見せたが小型艦に翻弄されてエネルギーを浪費した挙句、巡航艦の集中砲火を浴びて大輪の白い華を開花させる。
特にパーヴェル師団で最も激しい攻撃を行ったのはロフヴィツキー連隊であった。カシマール・ロフヴィツキー少将は与えられた二〇〇隻の戦艦隊を、重力の渓谷に対し火力に隙間の生まれぬよう全周をぐるりと取り囲むように配置し、突入させた五〇〇隻の駆逐艦部隊のすぐ目の前を徹底的に掃討した。無論迎撃に上がる連盟軍艦艇も居たが、局所的な数的不利と指揮系統の崩壊は、その勇敢を蛮勇という語彙に変換せしめた。
「
…………傲岸不遜に言い放つ彼だが、事実、ロフヴィツキー連隊の後には連盟軍第一一艦隊の残骸が虚しく浮遊するのみだった。反対側の左翼側でも、マレンコフ連隊が第八艦隊を蹂躙し、いち早く混乱を収束させた先頭の第二艦隊は、敵の手がまだ自分たちに及んでいないと見るや脱出を図ったが、パーヴェル師団の左翼を固める親衛師団、トンストイ師団の猛火を受け、やはり消滅していくのだった。
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