第六試合 怨霊力士vsゴリラ力士

「第六試合開始」


 武道館の空調設備が完全に停止したわけではない。にもかかわらず、場内の気温が氷点下まで急降下し、観客の吐く息が白く染まる。


 行司・虚空之守は震える手でマイクを握り、片手には数珠を持っていた。


 もはやスポーツの実況席ではない。怪談の語り部だ。


「ひ、東ィ……怨嗟の集合体、血死吹……血死吹……」


「西ィ……ジャングルの賢者、猩々山……猩々山……」


 ズズズ……。


 東の花道から湿った音と共に黒いシミが広がっていく。


 その中心から、長い黒髪を振り乱した血死吹が這い出してきた。


 足はない。半透明の霊体が、恨めしそうに宙を漂っている。


「……呪……殺……。み、みんな……不幸に……なァれ……」


 その声を聞いただけで、最前列の観客数名が「明日会社行きたくない」と泣き崩れた。精神汚染攻撃だ。


 対して西側からは、野生の熱気が吹き荒れる。


 ドシッ、ドシッ。


 四足歩行で現れたのは、筋肉の鎧を纏ったマウンテンゴリラ、猩々山だ。


 彼は霊的な瘴気をものともせず、つぶらな瞳で対戦相手を見据えた。


「ウホ。(霊魂の存在証明か。形而上学的な問いかけとしては興味深いが、物理的実体を持たぬ者と相撲は成立するのか? 否、私が成立させよう)」


 行司が涙目でお祓い棒を振るう。


「待ったなし! 憑依厳禁! はっけよォォォイ……のこったァ!!」


 ヒュオオオオオッ!!


 開始と同時に、血死吹の髪の毛が槍のように伸び、猩々山に襲いかかった。


「……死ネ……苦シメ……肉ノ器ヲ……捨テロォォ……!」


 物理攻撃無効の霊体攻撃。猩々山の剛腕でも、幽霊を殴ることはできないはずだ。


 髪の毛が彼の巨体に絡みつき、締め上げる。


 しかし、猩々山は動じない。彼は静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


「ウホッ。(恐怖とは、未知への敗北だ。私は己の筋肉(マッスル)を知り尽くしている。ゆえに恐怖はない)」


 ブチブチブチィッ!!


 猩々山が全身の筋肉を一瞬で膨張させ、絡みついた呪いの髪を物理的に引きちぎった!


 筋肉の密度が高すぎて霊的干渉を弾き返したのだ!


「……ア、アガ……ッ!? ナ、ナゼ……効カナイ……!?」


 血死吹が狼狽する。彼(?)の計算では生物は本能的に死を恐れるはずだった。


 だが、目の前の霊長類は生命エネルギーの塊すぎて「死」という概念が滑っている。


「ウホオオオオオオオ!!(生命の鼓動を聞け! これぞ野生のレクイエム!)」


 ドンドンドンドンドンドンッ!!


 猩々山が胸を叩く。ドラミングだ。


 だが、それはただの威嚇ではない。


 鍛え上げられた大胸筋が生み出す衝撃波は空気を震わせ、武道館のドーム状の天井に反響し、特殊な周波数のソニックブームとなって血死吹を直撃した。


「ギャアアアアアッ!! ウ、ウルサイ! 波動ガ! 除霊サレルゥゥゥ!!」


 血死吹の輪郭がブレる。


 ゴリラのドラミングには、悪霊を退散させるポジティブなバイブス(生命力)が含まれていたのだ!


「……消エル……! ワタシノ……怨ミガ……バナナノ……匂イデ……上書キサレルゥゥ……!」


 猩々山は、苦しむ血死吹に歩み寄る。そしてあろうことか、実体のないはずの霊体の胸ぐら(?)を、その極太の指でガシッと掴んだ。


「ウホ。(質量保存の法則を超え、君の魂(ソウル)を掴んだぞ)」


 なぜ掴めるのか? ゴリラだからだ。細かい理屈は野生の前では無力。


 猩々山はそのまま血死吹を高々と持ち上げ、太陽のように輝く照明に向かって投げ捨てようと構えた。


「ウホ、ウホホ。(成仏したまえ。来世ではもっと筋肉をつけることだ)」


 ブンッ!!


 豪快な上手投げ。


 血死吹は断末魔と共に光の中へと吸い込まれ、キラキラとした光の粒子となって霧散した。


「……アリガ……トウ……」


 最後に聞こえたのは、感謝の声だったかもしれない。


 土俵には、清々しいジャングルの朝のような空気が満ちていた。


 行司が数珠を投げ捨て、軍配を上げる。

「しょォォォ負ゥありィ!! 決まり手ェ、決まり手はァ!!」


 「金剛成仏(コング・ゴ・ヘブン)! 金剛成仏ゥ!!」


「ウホ。(強さとは、優しさだ)」


 猩々山は一礼すると、四足歩行で静かに去っていった。その背中は、哲学者(フィロソファー)の孤独と威厳を漂わせていた。

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