第16話「向けられた不信」

「……セリア嬢。なぜそのような質問を?」


 穏やかな声音でありながら、その問いにはわずかな警戒と探る色が含まれていた。


「……はい。


 当家は代々、九天の家系として王家にお仕えしてまいりました。

 他の八家の方々についても幼い頃より学んでおり、

 貴族として名を持たれる方であれば、存じ上げぬということはまずありません。


 ですが先生は、ご服装も立ち居振る舞いも、どう見ても高位のご令嬢そのもの。

 にもかかわらず、“アリシア”というお名前にも、姓を名乗られないことにも覚えがなく……

 貴族の礼としては、不自然に思えました。


 いくらかつての剣聖と同じお名前でも、

 名だけを用いることはございません。


 ゆえに……差し支えなければ、先生がどちらの家の方なのか、

 お伺いしたいと考えました」


 その答えを聞き、ルシアスは「ほぅ……。素晴らしい洞察力です」と静かに感嘆した。

 だが、そこで言葉を切り、わずかに目を細める。


「……が。まあ、その話は後ほどお伝えいたします。今はその疑問までに留めておいてください」


 声音は穏やかなままなのに、空気が一変した。

 教室の温度が一段下がったかのような圧が、確かにそこにあった。


 セリアは、その変化を敏感に察したのだろう。

 触れてはならない領域があると気づいたように、苦渋の色を浮かべながら、


「……分かりました」


 一拍置いてから、深く頭を下げる。


「失礼いたしました」


 そう言って席へ戻った。


 ルシアスはそれを確認すると、ぱん、と軽く手を叩き、


「では、質問はこれまで」


 と場の空気を切り替えるように宣言した。

 ひと呼吸置き、にこりと明るく笑って、


「それでは皆さん! 早速、アリシア先生の魔法講義を受けていただきまーす!」


 教室の重い気配は一瞬でかき消え、生徒たちは慌てて教材を取り出し、

 先ほどまでの緊張を隠すように準備を始める。


 ただ一人、アリシアだけはまだ心の奥にさっきの問いの余韻が残っていた。

 講義を始めなくてはならないのに、思考がまとまらない。


 そんなアリシアを見て、ルシアスはそっと目を細め、柔らかく微笑む。


「――では、アリシア先生。お願いしますね」


 その声音は、 “今は忘れていい。導くべきことを優先してください”

 と告げるような、優しい導きだった。


 アリシアは、はっと息を呑む。


「……はい。取り乱してしまい、すみませんでした」


 そう頭を下げると、ルシアスは小さく首を振り、


「いえいえ」


 と穏やかな笑みを返しながらアリシアのそばへ歩み寄る。

 彼女の前を通り過ぎる瞬間、小さく囁いた。


「――あとは、頼みます」


 その言葉を最後に、ルシアスは静かに教室を後にした。


 生徒たちは分厚い辞書のような教典と、ノートを机一面に広げ、

 期待と緊張を混ぜながら、講義開始を待ちわびている。


 アリシアは一度、深く深呼吸をした。


「……みなさん。お待たせしました。では、講義を始めましょう!」


 明るく響く声が、教室の空気を一気に前へと動かした。

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白銀のアリシア 朝霧 露 @tsuyu_asagiri

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