第8話「底知れぬ器」

 そのまま大通りへ足を踏み入れ、行き交う人々の間を抜けながら歩くと、周囲の建物が少しずつ落ち着いた雰囲気に変わっていく。

 賑やかな露店街の喧騒が遠のき、代わりにしっかりとした店構えの商家や、街の施設らしき建物が並び始めた。


 通りの先に、ひときわ大きな木造の建物が見えてくる。

横に長く伸びる二階建てで、四角い外枠に三角屋根が載った素朴な造りだが、人の出入りが多く、前を通る者たちの視線が自然とそこへ向かうほど存在感がある。


 近づくと、入口上部の木製プレートに大きく文字が刻まれていた。

 文字は読みやすく彫られ、金属の縁取りが施されている。無闇に飾りすぎず、それでいて目を引く――そんな看板だ。


 《職業ギルド》


 アリシアは扉の前に立ち、静かに見上げた。


 「ここね、職業ギルド……」


 アリシアは扉にそっと手をかけ、深く息を吸い込んだ。

「……よし」


 小さく呟き、そのまま扉を押し開く。


 ――ギイ、と木製の扉が控えめに鳴いた。


 中は想像以上に活気に満ちていた。広い空間には木の香りが満ち、人々の笑い声や談笑が入り混じっている。正面に伸びる通路の両脇には、冒険者たちが食事をしながらにぎやかに語り合っていた。


 奥の受付スペースでは数名が相談をしていたが、ひとつだけ手が空いている場所があった。そこで茶髪の若い受付嬢がアリシアに気づき、ぱっと手を振る。


 茶色を基調にした、簡素だが清潔感のあるメイド服風のギルド制服を揺らしながら、明るい声で呼びかける。


「職をお探しでしたら、こちらになりまーす!」


 アリシアはその声に気づき、静かに歩き出す。


 その足音に交ざるように、横のテーブルからひそひそと声が上がる。


『……おい、今歩いてきた子……』

『可愛くねぇか?』

『見ねぇ顔だな……旅人か?』


 視線が集まり、周囲がわずかにざわつき始める。


 アリシアはその空気を感じ取り、小さく肩をすくめ身を縮めた。落ち着かない気配に押されるように、歩幅をわずかに早める。


 ざわつきから逃れるように通路を進むと、やがて目の前に先ほど手を振っていた受付嬢の姿が近づいてきた。


 木製のカウンター越しに、彼女がにこやかに立っている。その柔らかな笑みに迎えられるように、アリシアはそっと足を止めた。


「こんにちは〜。本日は、どんなお仕事をお探しですか?」


 受付のお姉さんが明るく声をかけてきた。


 アリシアは少し戸惑いながらも、眉を下げて答える。


「すみません! まだ、これっていうお仕事が決まってなくて……」


「あ、そうでしたか! それは申し訳ございません!

 それでしたら、まずは魔力測定からはじめていきましょう!

 魔力量が分かれば、私の方でおすすめのお仕事をご紹介できますので!」


「はい! ありがとうございます!」


 そう言うと、受付の女性は紫の小さなクッションに載せられた水晶玉のような物をカウンターへそっと置いた。


「こちらが魔力を測定する感知水晶となっております!

……ではこちらの上に、手をかざしてみてください!」


「わかりました!」


 アリシアは明るく返事をすると、右手を水晶の上にそっとかざす。


 一瞬の静寂――

 次の瞬間、水晶が眩しい光を放ち、激しく震え出した。


「っ!?」


 受付の女性が息を呑む。


 そして――


 パリンッ!!


 鋭い音を立てて水晶は砕け散った。


 ざわついていたギルド内が、一瞬で静まり返る。


『お、おい……』

『あんなの初めて見たぞ……』

『割れるもんなのか、あれって……?』


 男たちがざわざわと再び騒ぎ出した。


 アリシアは不安そうに顔を上げる。


「あ、あの……」


 受付の女性は驚愕のまま、それでもなんとか口を開いた。


「はい……結果は、測定不能……ですね」


「すみません! 感知水晶、割ってしまって……!」


 アリシアは勢いよく頭を下げた。


「い、いえ! 謝らないでください!

 それほどあなたの魔力が強大だったということです!

 ……わ、私も、感知水晶が割れるのは初めて見ましたが……」


 アリシアは小さく首を傾ける。


「は、はい……でもどうして?

 今の私の魔力は、ほとんど無いはずなのに……」


「実はこれ、今ある魔力量じゃなくて、溜めておける魔力――その“貯蔵量”を測る水晶なんです」


「貯蔵量……ですか?」


「はい。そしてこれが割れたということは……

 あなたは、我がルミナリア王国、宮廷魔導師が筆頭、

ルシアス=ヘイゼル様をも凌ぐ数値……ということになります」


「……な、なるほど。そういうこと、ですか……

 じゃ、じゃあ……その……」


「もちろん! **この魔力量でしたら**お仕事はいくらでもございます!

 そこで私からひとつ提案なのですが――

 王立学院の“教師”になられてみては、いかがでしょうか?」


「わ、私が教師にですか!?」


「はい! 以前からルシアス様より、素質ある者がいたら回してくれと頼まれておりまして!

水晶を割るほどの器です。適任だと思います!」


「本当に……私なんかに務まるのでしょうか?」


「もちろんです! ご安心ください。

このお仕事に問題がなければ、そのまま試験の手続きを進めさせていただきますね」


 アリシアは小さく息をのみ、そして頷いた。


「……わかりました。では、それでお願いします!」


「かしこまりました!

 試験の方ですが、少し早いものの――明日を予定しております。

ですので本日は、当ギルドの二階にございますお部屋をご利用ください。


 お部屋には、木製の囲いで仕切った簡易シャワーもございますので、

道中の疲れを流して、ゆっくりお休みくださいね。


……それと、後ほどパンと温かいスープをお持ちします。

ささやかですが、今夜の軽い夕食としてお召し上がりください!」


「はい! ありがとうございます!

ちょうど今夜泊まる宿を探していたので、助かりました!」


 アリシアが二階へ向かおうと歩き出した、そのとき――


「あ、すみません! 最後にお名前だけお聞きしても?」


 アリシアは振り返り、軽く胸の前で手を重ねる。


「アリシアと申します!」


「アリシアさんですね! ありがとうございます!」


 ぺこっと頭を下げ、アリシアは階段を上っていく。


彼女はその背を見つめながら、小さく呟いた。


「アリシア……? どこかで……」


はっと目を見開く。


「ま、まさか……あなたは――」


呼び止めようと顔を上げたが、もうそこにアリシアの姿はなかった。


「さすがに、気のせい……よね」


胸に残った小さな戸惑いを抱えながら、彼女はそっと息をついた。



 二階の廊下は一階よりも静かで、木の香りがほんのりと漂っていた。


アリシアは案内された部屋の扉に手をかけ、そっと開く。


「……わぁ」


思わず声が漏れる。


質素だが清潔な部屋だった。窓際には柔らかな布団の敷かれたベッド。

隅には木製の囲いで仕切られた簡易シャワー。

そして窓に向かって、小さな机がひとつ置かれている。


アリシアは大切に携えていた《氷華》を机の上へそっと置いた。


「……つ、疲れた……!」


思わずそのままベッドへと飛び込み、ふわりと揺れる布団に顔を埋める。


「お仕事、見つかってよかった……

今夜の宿も……はぁ……」


ごろりと寝返りを打ちながら、ぽつりと呟く。


「明日に備えて、早く寝ないとな……

試験って、なにするんだろう……

魔法の先生なんて……本当に、私にできるかな……」


不安が胸をくすぐる。だが――


「……ううん。やるしか、ないよね。頑張らないと」


ぎゅっと布団を抱きしめ、小さく笑う。


その後、アリシアはシャワーで身体を流し、届けられたパンと温かいスープを静かに食べ、明日に備えてゆっくりと目を閉じた。


やがて、柔らかな安らぎの中で、少女は眠りへと落ちていく――。

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