第48話 私たちの連携(コンボ)、あなたのための時間稼ぎ

「――効かないなら、効くまでやるだけよ!」


 リリアの絶望を吹き飛ばすような声が、凍りついた工房の空気を震わせた。

 その瞳に宿るのは、諦めを知らない、不屈の闘志。

 レオルドさんが息を呑むのが分かった。物理法則を超越した呪いの化身を前にして、なおも戦意を失わないAランク冒険者の魂の輝きに、彼は目を見張っていた。


「……そうですわね」


 セナさんが、リリアの言葉に応えるように、杖を強く握り直した。その顔から、先ほどまでの無力感は消え去っている。


「クロエ」

「……うん」


 リリアの短い呼びかけに、クロエが力強く頷いた。

 三人の視線が交錯する。言葉はいらない。何百、何千と繰り返してきた連携。魂で繋がったパーティーの絆が、今、再びその真価を発揮しようとしていた。


「作戦変更! こいつは倒すんじゃない! 『足止め』するのよ!」

 リリアが叫ぶ。

「クロエは徹底的にヘイトを稼いで! あたしとセナで動きを縛る!」


「……了解」


 クロエが、怨霊――『アークライトの宿痾』に向き直った。

 そして、神護の大盾の縁を、右手の拳で力強く叩いた。


 ゴォンッ!


 重く、鈍い音が響き渡る。それは、ただの音ではなかった。クロエの闘志そのものが乗った、魂の挑発。


「……こっちを見ろ」


 今まで無防備な俺にしか興味を示さなかった怨霊の兜の奥で燃える憎悪の炎が、初めてクロエへと向けられた。

 ギギ……と、首が軋む音を立てて回る。

 その巨大な呪詛の大剣が、クロエめがけて振り下ろされた。


「クロエッ!」


 リリアの叫びも意に介さず、クロエは微動だにしない。

 ただ、完璧な角度で盾を構え、その一撃を受け流す。


 キィィィンッ!


 金属音ではない、魂が擦れ合うような不快な音が響く。

 クロエの体はびくともしない。だが、その顔は苦悶に歪んでいる。それでも、彼女は一歩も引かなかった。


「今よ、セナ!」

「はいっ! 《サンライト》!」


 クロエに注意が向いた、ほんの一瞬の隙。

 セナさんが放った光の球が、怨霊の体を包み込む。先ほどのように通り抜けることはない。聖なる光が、霧のような怨霊の体を、まるで檻のように捕らえ、その場に縫い付けようとする。


 怨霊が、苛立ったように身じろぎした。光の檻を、力尽くで引きちぎろうとしている。


「逃がさないわよッ! 《フレイム・ソード》!」


 そこへ、リリアの炎の剣が突き込まれた。

 剣はやはり手応えなく体を通り抜ける。だが、その目的はダメージを与えることではない。

 紅蓮の炎が、怨霊の霧状の体を内側から炙り、その動きをわずかに、しかし確実に鈍らせていく。


「馬鹿な……」


 その光景を見ていたレオルドさんが、呆然と呟いた。

「怨念の化身相手に……連携で、時間を稼いでいるだと……? あの者たちは、一体……」


 倒せはしない。

 だが、確実に、俺への攻撃を遅らせている。

 クロエが受け、セナが縛り、リリアが焼く。

 Aランクパーティー『クリムゾン・エッジ』。彼女たちが、どん底から這い上がる過程で築き上げてきた、鉄壁の連携。

 その全てが、今、俺一人を守るためだけに、完璧に機能していた。


 だが、相手はあまりに強大すぎた。

 怨霊が、初めて声にならない咆哮を上げた。

 ブワリ、と。

 その体から、これまでとは比較にならないほどの黒い怨念が溢れ出し、セナさんの光の檻を弾き飛ばし、リリアの炎をかき消す。


「きゃっ!?」

「くっ……!」


 連携が、崩れる。

 怨霊は、再びその憎悪の瞳を、工房の奥でぐったりしている俺へと向けた。

 もう、これまでだ。

 誰もがそう思った、その時。


「アラタッ!」


 リリアが、喉が張り裂けんばかりに、俺の名を叫んだ。

 その声は、震えていなかった。

 一点の曇りもない、絶対的な信頼に満ちていた。


「あんたの『洗い物』が終わるまで、あたしたちが絶対に時間を稼いでみせる! だから、信じてるわよ!」


「そうですわ、アラタ様!」


 セナさんも、杖を構え直しながら叫ぶ。

「あなた様を、信じております!」


「……アラタ、信じてる」


 クロエもまた、盾を構え直し、短く、しかし力強く呟いた。

 彼女たちの声。

 彼女たちの想い。

 そして、リリアが放つ炎の『情熱』が。

 セナが放つ光の『信頼』が。

 クロエが放つ守護の『覚悟』が。


 見えない力となって、工房の中を満たし――。


 ◇


 ――暗く、冷たい精神の川底。

 俺は、全ての始まりである黒い『染み』を前に、膝をついていた。

 もう、指一本動かす気力も残っていない。

 精神力が、完全に枯渇していた。


(……もう、無理だ……)


 心が、折れる。

 最高の『汚れ』を目の前にして、何もできない。

 職人として、これ以上の屈辱はない。

 俺の意識が、永遠の闇に溶けていこうとした、その時だった。


 どこからか、声が聞こえた。

 暖かくて、力強くて、そして、どこまでも真っ直ぐな、声が。


『――だから、信じてるわよ!』


 その声と共に、俺の心の奥底に、小さな炎が灯った。

 続けて、優しく、そして揺るぎない声が響く。


『――あなた様を、信じております!』


 炎の隣に、柔らかな光が寄り添う。

 最後に、静かだが、何よりも硬い意志を持った声が、俺の背中を押した。


『――アラタ、信じてる』


 炎と光が、俺の魂を守る盾となる。


「……みんなの、声……?」


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。

 そうだ。俺は、一人じゃなかった。

 俺の『洗い物』を、信じて待ってくれている仲間たちがいる。

 俺の、最高の『作品』の完成を、この世界で誰よりも楽しみにしてくれている人たちが、いる。


(……まだだ)


 俺の魂が、再び燃え上がる。


(まだ、終われない。こんなところで、終わらせるわけには、いかない……!)


 俺は、最後の、本当に最後の力を振り絞り、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、その右手の指先に、仲間たちの想いと、俺の職人としての全存在を、収束させていく。

 最高の『洗い物』の、最後の仕上げのために。

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