第28話 限定的な評価と、絶対的な信頼

「……すごいことになってますね、外」


 リリアの肩を借り、窓の外から聞こえてくる地鳴りのような歓声に、俺は完全に引いていた。

「浄化師様、万歳!」「聖人様、万歳!」って、どこのアイドルのコンサート会場だよ。俺、ただ洗い物しただけなんですけど……。


「当然よ! あんた、とんでもないことしたんだから!」

 リリアは興奮冷めやらぬといった様子で、俺の背中をバンバン叩く。痛い。結構、本気で痛い。

「それにしても……ふふっ、アイツの真っ赤な顔、傑作だったわね!」

 実に痛快そうに笑うリリア。

「ええ、本当に。これ以上ないほどの、お灸になりましたわね」

 セナさんも、くすくすと上品に笑っている。

「……自業自得」

 クロエさんは短く呟くと、外の群衆から俺を守るように、静かに盾を構えてくれていた。


(あ、ありがたいけど……なんか、もう、キャパオーバーだ……)


 最高の洗い物を終えた達成感と、全身を襲う疲労感、そして状況が理解できない混乱で、俺の頭はショート寸前だった。

 とりあえず、この熱狂が収まるまで、俺たちは店の奥で息を潜めるしかなかった。


 ◇


 翌朝。

 俺たちが恐る恐るギルドへ向かうと、昨日の熱狂が嘘のように、ホールは比較的落ち着きを取り戻していた。

 だが、冒険者たちの視線は、昨日までとは明らかに質が違っていた。

 嘲笑でも、好奇でもない。畏怖と、尊敬が入り混じったような、重たい視線だ。


(うぅ……胃が痛い……)


 人々の視線に耐えられず、俺がリリアの背中に隠れようとした時、ギルドの中央掲示板に張り出された一枚の羊皮紙が目に入った。


「なによ、これ……」


 リリアが、眉をひそめてそれを読み上げる。


「えーっと……『昨晩の霊的脅威に関する公式見解』? 『Aランクパーティー“クリムゾン・エッジ”の迅速かつ的確な判断により、呪われた古代遺物より発生した高位霊体を討滅。多大なる貢献を称え、パーティーの正式なAランク復帰を認める。また、本件に協力した浄化師、皿井アラタ氏の功績にも感謝の意を表する』……ですって?」


 リリアの声が、どんどん険しくなっていく。

 要するに、昨日の事件の主役はあくまで『クリムゾン・エッジ』で、俺はその協力者Aくらいの扱いにされているわけだ。例の祝福の光についても、一切触れられていない。


「ふざけないでよ! 話が全然違うじゃない! あんたがいなきゃ、あたしたち、あの怨霊に何もできなかったのに!」

 リリアが、カウンターに向かって怒鳴り込もうとするのを、俺は慌てて引き留めた。


「い、いいんです、リリアさん! これでいいんです!」

「よくないわよ! あんたの手柄が、横取りされてるようなもんじゃない!」

「むしろ好都合です! 俺、これ以上目立ちたくないんで……!」


 そう。ギルド上層部が誰かに忖度して情報操作してくれたおかげで、俺は再び日陰の存在に戻れるのだ。こんなにありがたい話はない。

 俺が内心でガッツポーズをしていると、周りからヒソヒソ声が聞こえてきた。


「おい、見たかよ、あの発表」

「ああ、姑息な真似しやがって。ギルドの上層部も、アークライトの坊ちゃんには逆らえねえってか」

「だが、俺たちは知ってるぜ。昨日の夜、この街で何が起きたのかをな」


 その声に、俺はビクリと肩を震わせた。

 すると、屈強な体つきの獣人冒険者が、俺の前に進み出て、深々と頭を下げたのだ。


「浄化師様。昨日は、本当にありがとうございました。あんたのあの光のおかげで、長年治らなかった古傷が、すっかり癒えたんだ」

「お、俺もだ! 魔力欠乏症で引退寸前だったんだが、今じゃこの通り、ビンビンだぜ!」

「浄化師様、どうか俺の呪われた斧も見てくれねえか!」

「いや、俺の兜が先だ!」


 あっという間に、俺は冒険者たちに囲まれていた。

 彼らの瞳には、ギルドの公式発表に対する不信と、俺への絶対的な信頼が宿っていた。

 あの奇跡の光を、その身で直接体験した彼らにとって、真実がどちらかなんて、分かりきったことだったのだ。


「み、皆さん、落ち着いて……!」

 俺がパニックになっていると、リリアが呆れたように、しかしどこか嬉しそうにため息をついた。

「……だ、そうよ、アラタ。あんた、もう日陰には戻れないみたいね」


 見れば、依頼掲示板は、昨日以上に俺への指名依頼でびっしりと埋め尽くされていた。

 ギルド上層部の小細工など、現場の圧倒的な『信頼』の前には、何の意味もなさない。

 俺の平穏な引きこもりライフは、どうやら完全に終わりを告げたようだった。


 ◇


 冒険者たちからなんとか逃げ出し、半泣きで店に戻ってきた俺たちを、一人の人物が待っていた。

 フードを深く被り、店の前で静かに佇んでいる。

 昨日の、最後の依頼主。エルフの女性、エリアーナさんだ。


「あ、あの……杖、できましたから……」

 俺は工房から、生まれ変わった『世界樹の若杖』を、恐る恐る彼女に差し出した。

 エリアーナさんは、無言で杖を受け取る。

 そして、その瑞々しい若葉と、可憐な白い花に触れた瞬間、彼女の肩が小さく震えた。

 フードの隙間から、ぽたり、ぽたりと、大粒の涙が地面に落ちる。


「ああ……ああ……! なんて、温かい……。なんて、優しい光……!」


 彼女は、まるで愛しい我が子を抱きしめるかのように、杖を胸に抱いた。

 そして、次の瞬間。

 エリアーナさんは、俺の目の前で、静かに膝をついた。


「え、ちょ、な、何をしてるんですか!?」

 俺は、あまりの出来事に狼狽える。


 フードがはらりと脱げ、陽光に照らされた美しい顔が露わになった。

 長く尖った耳。翡翠のように輝く瞳。涙に濡れたその顔は、神々しいまでに美しかった。


「あなた様は……」

 彼女は、震える声で言った。

「ただ、この杖を浄化してくださったのではありません」

「……え?」


「あなた様は、我らエルフ一族の『母』そのものを……絶望の淵から救ってくださったのです」


 母? 一族の母?

 意味が分からず、俺はただ呆然と立ち尽くす。

 リリアたちも、息を呑んで成り行きを見守っていた。


 エリアーナさんは、涙で濡れた翡翠の瞳で、まっすぐに俺を見上げた。


「このご恩、どうお返しすればよいか……。ですが、まずはお伝えしなければならない真実がございます」

 彼女の声が、真剣な響きを帯びる。


「あの杖が呪われ、我らの母が病に倒れた……その、本当の理由を」


 彼女の言葉は、この浄化が、まだほんの始まりに過ぎないことを告げていた。

 より深く、そして広大な『汚れ』の存在を、確かに予感させていた。

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