第20話 嫉妬と死の予言
一夜明けた街は、俺の話題で持ちきりだった。
だが、その内容は昨日までの熱狂的な称賛とは、少し毛色が違っていた。
「おい、聞いたか? 『アクア・リバイブ』の浄化師が、今度は『死喰らいの茨杖』に手を出すらしいぜ」
「はぁ!? 正気かよ、それ! あの杖は高名な聖職者ですら匙を投げた、正真正銘の死の呪物だぞ!」
「昨日までの成功で、完全に調子に乗ったんだろうな。いくら固有神聖スキル持ちとはいえ、さすがに今回は死ぬだろ」
「違いない。メッキが剥がれるのも時間の問題だと思ってたぜ」
冒険者ギルドの酒場では、嘲笑と、憐れみと、そしてほんの少しの期待が入り混じった悪意の渦が巻いていた。
俺がエルフの女性、エリアーナさんの依頼を受けたという噂は、一晩で街中に広まり、新たなゴシップとして消費されていたのだ。
成功すれば伝説。失敗すればただの愚か者。
多くの者は、俺が無様に死ぬ様を、どこか心待ちにしているようだった。
◇
「……外が、騒がしいですね」
開店前の静かな『アクア・リバイブ』の店内で、セナさんが不安そうに窓の外を見ながら呟いた。
俺たちの耳にも、外を行き交う人々のひそひそ話が聞こえてくる。
「まあ、無理もないわよ。あたしたちだって、昨日は肝が冷えたんだから」
リリアが、カウンターを磨きながら、わざと明るい声で言う。だが、その横顔には隠しきれない心配が滲んでいた。
俺はというと、店の奥にある工房で、作業台に置かれた『死喰らいの茨杖』と静かに向き合っていた。
「アラタ……本当に、大丈夫なの?」
リリアが、工房の入り口から顔を覗かせる。
「はい。大丈夫ですよ」
俺は、杖から目を離さずに答えた。
「俺には、聞こえますから。この子が、どれだけ苦しんでいるのかが」
昨日、指先から生命力を吸われたあの瞬間。
俺は恐怖と同時に、杖の奥底から流れ込んでくる、途方もない『孤独』と『渇き』を感じ取っていた。
この杖は、誰かを傷つけたいわけじゃない。ただ、誰かに満たしてほしいだけなんだ。
「……アラタがそう言うなら、あたしたちは信じるだけよ」
リリアは、ふっと息を吐くと、いつもの頼もしい笑みを浮かべた。
「準備ができたら言いなさい。あたしたちも、全力で手伝うから!」
「……アラタを、守る」
店の入り口に立つクロエさんも、力強く頷いてくれる。
本当に、ありがたい。
この人たちがいなければ、俺はとっくにプレッシャーで潰れていただろう。
俺が感謝の言葉を口にしようとした、その時だった。
店の外が、急に騒がしくなった。
誰かが大声で何かを叫んでいる。野次馬の人垣が、見る見るうちに膨れ上がっていくのが分かった。
「な、何事ですの!?」
セナさんが驚きの声を上げる。
リリアが警戒しながら店のドアを少しだけ開けると、その隙間から、俺が最も会いたくない男の顔が見えた。
「――カイン・フォン・アークライト……!」
リリアが、忌々しげにその名を呟く。
カインは、昨日とは比べ物にならないほど高価そうな貴族の服に身を包み、数人の取り巻きを従えて、店の前に陣取っていた。
そして、集まった大観衆を前に、まるで舞台役者のように、芝居がかった声で演説を始めた。
「諸君、見るがいい! あの偽りの聖者が、ついに本物の呪いの前にひれ伏す時が来た!」
カインは、ビシッと人差し指で俺の店を指し示す。
その瞳には、隠しようのない愉悦と、俺への絶対的な憎悪が燃え盛っていた。
「あの店にある『死喰らいの茨杖』は、触れた者の生命力を根こそぎ吸い尽くす、本物の死の呪物! これまで、幾人もの高名な聖職者、高位の浄化師たちが浄化に挑み、そして、無様にミイラとなって果てた代物だ!」
彼の言葉に、野次馬たちがゴクリと喉を鳴らす。
「まやかしの浄化ごっこは、もはや通用しない! 偶然手に入れただけの、出自不明のスキルなど、本物の呪いの前では無力!」
カインは、俺に向けて、勝利を確信した笑みを浮かべた。
それは、前回の屈辱を何倍にもして返すことができるという、歪んだ喜びに満ちた表情だった。
「皿井アラタ! 貴様は己の無力さを知り、その身の生命力を一滴残らず吸い尽くされ、醜く干からびて死ぬのだ!」
そして彼は、両腕を大きく広げ、高らかに宣言した。
「この私が! Sランク鑑定士、カイン・フォン・アークライトが、貴様の無様な最期を、この街の全ての人々に見届けさせてやろう! それこそが、偽物に対する、本物からの裁きだ!」
ワァッ、と観衆がどよめく。
カインの高笑いが、青空に響き渡った。
あまりに一方的で、悪意に満ちた死の予言。
「な……なんてことを……!」
セナさんが、怒りに唇を震わせる。
「ふざけないで! あんた、アラタに恥をかかされた腹いせに、なんて卑劣な真似を……!」
リリアが飛び出そうとするのを、俺は静かに手で制した。
「……大丈夫です」
俺はゆっくりと工房から出て、店の入り口に立った。
カインの挑発も、野次馬たちの好奇の視線も、もはや俺の心には届かない。
俺の目は、ただ、彼らの奥にある真実を見つめていた。
(この人たちも……きっと、怖いんだ)
得体の知れない力に対する、恐怖。
自分の常識が覆されることへの、不安。
カインの言葉は、そんな彼らの心の弱さに巧みにつけ込んでいるだけだ。
そして、何より許せないのは。
(あんたは、あの杖の苦しみを、何も分かっていない)
俺は、カインの目を真っ直ぐに見据えた。
そして、集まった全ての人々に聞こえるように、静かに、しかしはっきりと告げた。
「その杖は、死の呪物なんかじゃありません」
ざわめきが、ピタリと止む。
俺の予期せぬ反論に、カインが怪訝な顔で眉をひそめた。
「ただ、ひどく汚れているだけです」
俺は、続ける。
「だから、俺が洗ってあげます。こびりついた悲しみも、乾ききった苦しみも、全部まとめてピカピカに。……元の、美しい姿に戻してあげますよ」
その静かな自信に満ちた言葉は、カインの逆鱗に触れたようだった。
彼の顔が、屈辱と怒りでみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「き、貴様ァ……! この期に及んで、まだそんな戯言を……!」
彼の怒声が、新たな騒乱の始まりを告げていた。
だが、俺の心は不思議なほど、凪いでいた。
やるべきことは、もう決まっているのだから。
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