第3話

 時鐘ときがねと名乗る怪しい男から『白寂しらさびの砂時計』を受け取ってから半年が経った。

 それ以来、俺は締め切りを破ることが無くなり、それどころか話を書き溜めることも出来るようになっていた。

 それに加えて、漫画そのもののクオリティも上がったようで、世間では俺の描いた漫画が話題の一冊となっていた。

 締め切りに追われることが無くなってストレスから解放されたためだろうか。あるいは、停止した時間に満ちる静寂が集中力を高めてくれていたのだろうか。

 とにかく、砂時計を使い始めてから俺の漫画家人生は好転し始め、担当編集者の桐谷も驚きつつも嬉しそうにしていた。



 ……のだが。


「先生……ちょっといいですか?」


 ある日原稿を受け取りに来た桐谷が、帰り際に声をかけてきた。

 最近は締め切りもちゃんと守っているのに、何か文句があるのだろうか……と身構えたが、その顔に浮かんでいるのはこれまで何度も見てきた怒りや呆れではなかった。


「最近、風邪引いたりとか体調崩したりとかしていませんか?」

「なんだ、藪から棒に」

「いえ、気のせいならいいんですけど……」


 桐谷がこんな神妙な顔をしているのは初めてだ。

 何か、胸の奥がざわざわする。


「……一体、何が気になっているんだ?」

「うーん……失礼かもしれないですけど、その……一気に老け込んだ気がして」

「老け込んだ? ……俺が?」


 桐谷は黙って首を縦に振る。

 途端に視界がぎゅっと狭まり、圧迫するような痛みが俺の頭を締め付ける。

 漫画家という職業だ。不摂生のツケが来て老化が一気に進んだということもあり得るだろう。

 しかし、脳裏に浮かぶのは、あの綺麗な砂時計ばかりだ。


「いろいろ口うるさく言ってきた僕が言うのも変な話ですが……無理はしないでくださいね」


 いつになくしおらしい態度だった桐谷を見送って、俺はふらつく足を必死に操り洗面所に駆け込む。

 誰かと顔を合わせることが少なく滅多に使っていなかった鏡を覗き込むと、そこには35歳にしては白髪が多く、目じりや口角に皺が深く刻まれた男がいた。



 例の砂時計の仕業だ。それ以外考えられない。

 止まった時間の中で動いていた分、他の人より早く年を取ったのだろうか。

 だが、ここ半年で止めていた時間は、多く見積もっても1年分くらいだろう。

 鏡に映る私の姿は、どう見ても10年くらいは経過している。


『ワタクシどもは、『白寂の砂時計』が持つ空白の時間が、お客様の時間に塗り替えられればそれで良いのです』


 時鐘の言葉がふと脳裏に蘇る。

 時間と金では価値が釣り合わない、という趣旨の話を時鐘はしていた。

 ならば、この砂時計は何を対価に時間を止めているのか。

 時間に匹敵する価値を持つモノは――時間以外にあり得ない。


 這い出るようにして洗面所から出て、机の上に置かれた砂時計を見る。

 真っ白だったはずの砂は、いつの間にか大部分がカラフルな色に染められていて、白い部分はほんの1,2割程度しか残されていなかった。

 あれは、俺の時間の色だ。

 直感的にそう感じ取った。


「くそ、なんでこんな……俺が何をしたって言うんだよ!」


 せいぜい期日を守らなかったくらいで、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。

 俺は衝動的に『白寂の砂時計』を手に取る。


「俺の時間を……返せ!」


 そう叫びながら俺は、砂時計を力いっぱい床に叩きつけた。




 ガラスの割れる、高い音。

 聞こえてくるはずだったその音はいつまで経っても俺の耳に届かない。

 ガラスの破片も飛び散る砂も、凍り付いたかのように静止している。


「……嘘、だろ」


 かくして俺は、時の牢獄の中に一人取り残されることとなった。

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デッドエンド・デッドライン 水底まどろみ @minasoko_madoromi

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