第2話
勢いよく開けた扉の前に立っていた、見たことのない男。
光沢が出るほどワックスを塗りたくった髪、漂白されたように白い肌、どこか嘘くさい笑顔……怪しさを擬人化したようなその姿に面食らって黙っていると、男の方から口を開いた。
「漫画家の
「あ、ああ、そうだが」
「突然の訪問失礼いたします。ワタクシ、こういう者でございまして」
男の手渡してきた名刺には、『タイムストック社
それ以外の情報……会社の住所や連絡先といったものは何もない。
「物部さん、最近時間が足りないと感じたことはありませんか?」
そう尋ねてくる
「……まあ、そうだな。俺は今忙しいんだ」
「ワタクシどもは――」
「だからお前みたいなやつに構ってる暇なんてない」
「え? ちょっと――」
俺は有無を言わさずドアを閉め鍵をかけた。
……何だったんだんだアイツは。訪問販売か宗教の類いか?
だとしても、俺の名前や締め切りに追われていることはどうやって嗅ぎ付けたのだろうか。
桐谷や編集部の関係者……というようにも見えなかったし。
謎の男の来訪に、背筋に冷たいものが走る。それを振り払うためにも、原稿の続きに取り掛かろうと思い振り返る。
そこには先ほどの男――時鐘が座布団に座ってこちらを見ていた。
「うわっ!」
驚いて腰を抜かした俺に対して、時鐘はヒラヒラと手を振って笑う。
「すみません、勝手にお邪魔して……しかし、実際に体感してもらった方が早いかと思いまして」
「た、体感? いったい何の話……というか、どうやって……」
「これを使ったんです」
時鐘はスーツの内側に白い手を入れ、懐から何かを取り出し机の上に置いた。
手の平に収まるくらい小さなそれは、綺麗な砂時計だった。
混じり気の無い白い砂が光をキラキラと反射する、土産物として並べられていそうな、しかしごく普通の砂時計だ。
だが、じっと見つめていると違和感が胸の内に湧き上がってくる。
小さなガラスに閉じ込められた砂は、重力に従ってサラサラと落ちている。
――落ち続けている。
上から下へと確かに砂は落ちているのに、上側の砂が減ることも下側の砂が増えることもない。
「これは『
呆気に取られていた俺に対して、時鐘はさも当たり前のようにそんなことを言ってのける。
「……は? 時を止める?」
「ええ。これをひっくり返せば時が止まり、元に戻せば時間が流れ出す……。弊社が発明した傑作なんです」
どこか自慢げな声で、現実離れした言葉が紡がれる。
追い出したはずの時鐘が部屋の中にいたのは、俺がドアを閉める前に時を止めて堂々と入り込んだから……とでも言いたいのだろうか。
実際、あの数秒の間に部屋に忍び込むなんて現実的な方法では無理かもしれないが……だからといって、時間停止?
「まあ、そう簡単に信じてもらえませんよね……。ちょっと手を出してもらえますか」
言われるがままに手を出すと、時鐘は俺の手を握りしめた。
不健康な白い手はひんやりとしており、本当に血が通っているのか疑わしく思えるほどだった。
「手は離さないでくださいね……。別に危険は無いですけど、止まった時間の中で動けるのは使用者であるワタクシが触れているモノだけですから」
そう言いながら俺の隣に座った時鐘は、机の上に置かれた砂時計をひっくり返す。
その瞬間、周囲から音が消えた。
下校中の子供がはしゃぐ声。道行く自動車のエンジン音。ボロアパートの薄い壁を貫通して聞こえていた日常の音が、スピーカーの線でも抜けたかのように静まり返る。
聞こえるのは俺の心臓の音だけだ。
砂時計に目を移してみると、先ほどまで無限に落ち続けていた砂は、今度は落ちることなく静止している。
まるで、凍り付いたかのように。
「いかがですか? これが時間の止まった世界です」
あまりの衝撃に時鐘の存在を忘れていて、驚きのあまり思わず手を離す。
それと同時に音が帰って来て、隣にいたはずの時鐘が真正面に現れる。
「手を離しちゃいましたか……。でも、これが本物だということは分かってもらえましたか?」
悪戯っぽく笑いかける時鐘に、俺はただ黙って首を縦に振ることしかできなかった。
「それは良かったです。それで、ここからが本題なのですが……。この『白寂の砂時計』を物部さんに差し上げようと思います」
「……え?」
「ワタクシどもは、時間に追われる現代人を助けるためにタイムストック社を設立しましたので。これがあれば物部さんのお悩みを解決できると思うんですよ」
慈善事業みたいなものです、と言って時鐘は薄く笑う。
時間を止めることができる砂時計。
確かにこれがあれば、締め切りを気にすることなく、俺が納得できる漫画を作ることができるだろう。
だが……。
「こんなすごい物、本当にタダで貰っていいのか?」
「ええ、お金は要りません。『時は金なり』なんて言いますが……いくらお金を積まれても、流れた時間を買い戻せるわけでもありませんから。ワタクシどもにとっては紙切れ同然なのですよ」
俄には信じられない。
そう考えているのが顔に出ていたのか、時鐘は「それに」と付け加える。
「何もタダというわけではありません」
「え?」
「時間の対価となるのは時間……ワタクシどもは、『白寂の砂時計』が持つ空白の時間が、お客様の時間に塗り替えられればそれで良いのです」
結局、何を言っているのかは半分も理解できなかった。
だが、今の俺には『白寂の砂時計』が無いと桐谷の設けた期日を守れない。
悩んだ末に、俺は小さな砂時計を手に取るのであった。
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