第十一章:最後の対峙と覚悟の告白
俺はただひたすらに走っていた。
文化祭の喧騒がまるで遠い世界の出来事のように耳をすり抜けていく。
どこだ。
あいつは今、どこにいる?教室か?屋上か?それとも、あの多目的ホールか?
俺は校舎の中を、息を切らしながら探し回った。
お化け屋敷のシフトなんて、もう頭から消し飛んでいた。
中庭のステージでは後夜祭の準備が始まっている。
その音に背を向けるようにして、俺は俺たちのクラスの教室のドアの前に立っていた。
片付けも終わったのか、教室の中は暗い。
だがその一番奥の窓際の席。
俺の席のその一つ前の席に、小さな人影がポツンと座っているのが見えた。
心臓がドクンと大きく跳ねた。
俺はゆっくりと、音を立てないように教室のドアを開けた。
ギィ、と小さな蝶番の音が響く。
ゆっくりと、その影が振り返る。
「……」
めいあだった。
制服を、きっちりと着ている。
髪はいつもみたいに高い位置で二つ結びにされていたが毛先は跳ねていなかった。
まるで、元気なフリをするのを、やめてしまったかのように。
彼女は俺の顔を見ると、目を大きく見開いた。
そして、次の瞬間、まるで恐ろしいものから逃げるように、サッと顔を伏せてしまった。
ただ俺という存在に、ひどく怯えている小さな子供がそこにいた。
「……あの」
俺が何かを言うより先に、めいあがか細い声を出した。
彼女は俯いたまま、必死に何かを絞り出そうとしていた。
「あ……だ、ダーリ……いや、〇〇くん、お疲れ様、っす……です」
声が震えている。
いつもの「ダーリン」呼びを、彼女自身がためらっている。
「あのね。この間の……シチュー……。ごめんなさい、です」
「あと、私……もう、変なことしない、です、から」
めいあは必死だった。
顔を上げないまま、自分のスカートの裾を、爪が白くなるほど強く握りしめている。
彼女は再び「拒絶」されることを、心の底から恐れていた。
「私、もっと、物分かりのいい子になりますから!もう、あんな……重いこと、言わないっす……です!
ダー……〇〇くんの邪魔にならないように、遠くから見てるだけでも……」
「めいあ」
俺は彼女の言葉を遮った。
めいあの震えがピタリと止まる。
俺は一歩、一歩、あいつの席に向かって歩いた。
めいあは俺が近づくにつれて、どんどん小さく縮こまっていくようだった。
俺は彼女の目の前で、立ち止まった。
そして、あいつの記憶の扉をこじ開けるために、あの日の言葉を、口にした。
「全部、思い出したよ」
「……え?」
「公園の砂場。泥だらけの手。ガチャガチャの安っぽいプラスチックの指輪」
「あ……」
「俺が言ったんだ。『お前のこと、お嫁さんにしてやる』って」
めいあの目が信じられない、というように大きく見開かれた。
涙の膜が夕焼けを反射してキラリと光る。
俺は彼女の前に、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
怯える彼女と、視線の高さを合わせるために。
「ごめん。勝手なことして。でも、おばあさんから全部聞いた。お前のパパとママのことも」
「……!」
「お前がずっと……一人で、『絶対』を守ってたことも」
「……ちがう」
めいあは弱々しく首を振った。
「私、○○くんのこと、困らせて……重いって、言われて……」
「ああ。重いよ」
俺ははっきりと言った。
めいあの肩が再びビクリと震える。
「お前はめちゃくちゃ重い。俺が今まで会った中で、ダントツで一番重い」
「……っ」
「正直、ヤバいやつだって思った。怖かったし、うんざりもしてた」
「……ごめ、なさ……」
「でも」
俺は泣き出しそうになる彼女の言葉を、もう一度遮った。
「その重い『絶対』を、お前に抱えさせたのは俺だ」
「……え?」
「俺が冗談半分で言った『絶対』がお前の命綱になってた。
……なのに、俺はそれから逃げて、お前を責めて……俺自身の手で、切っちまった」
俺は息を吸った。
もう、逃げない。
これが俺の「業」だ。
俺があいつから引き受けなければならない、重すぎる「約束」だ。
「遅くなって、ごめん、めいあ」
俺はまっすぐに彼女の目を見た。覚悟を、決める。
「俺はお前のダーリンになるよ」
「……」
めいあは時が止まったかのように、固まっていた。
何を言われたのか、理解できていないようだった。
「約束を、守る」
俺はもう一度、はっきりと告げた。
拒絶じゃない。同情でもない。これは俺の「覚悟」だ。
「お前の『絶対』はもう嘘じゃない。俺が絶対にする」
その言葉が彼女の心の奥底に届いた。
めいあの必死に何かに耐えていた顔がゆっくりと、崩れていく。
「……うそ」
彼女の瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「嘘じゃねえよ」
「だって……○○くん……私、重いよ……?また、絶対、迷惑かけるっ、ですよ……?」
「知ってる。……でも、その重いのもう一人で抱えんな」
俺は震える彼女の肩に、そっと手を置いた。
「お前のその重い『絶対』、全部俺にくれよ。俺が全部受け止める」
「……っ!」
次の瞬間、めいあは声を上げて泣き出した。
「うわあああああああん!」
まるで迷子になっていた子供がやっと親を見つけた時のような、本物の泣き声だった。
彼女はそのまま俺の胸に飛び込んできた。
俺は倒れそうになるのを堪えながら、その小さな体を、ぎこちなく、だが強く、抱きしめた。
「ごめんなさいっす……!○○くん……!ダーリン……!」
「ああ」
「ずっと、怖かった……!また、絶対がなくなるって……!」
「もう、なくならない」
「ごめんなさいごめんなさい!!嫌いにならないで!!見捨てないで!!」
「こっちこそ、ごめん。絶対に嫌いにならない、見捨てないから……」
「うああああああん!!!」
「ごめん、本当にごめん……」
俺はあやすように、彼女の背中を叩いた。
「約束だ、めいあ。もう絶対に離さないから」
めいあは俺の胸に顔をうずめたまま、何度も、何度も、首が取れるほど頷いた。
しばらくして。
泣きじゃくっていためいあがゆっくりと顔を上げた。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
だがその表情は、俺が再会してから今まで、一度も見たことがなかった。
あの貼り付けたような太陽の笑顔じゃない。あの能面のような抜け殻でもない。
心の底から安心しきった、世界で一番、幸せそうな。
「……はいっす!ダーリン!」
本当の笑顔だった。
窓の外で、後夜祭のキャンプファイヤーの炎が赤く燃え上がっているのが見えた。
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