第十章:約束と決別
文化祭当日。
校内は生徒たちの熱気と、一般客の期待感で、朝から浮かれた空気に満ちていた。
カラフルな装飾、焼きそばのソースの匂い、中庭のステージから漏れ聞こえるリハーサルの音。
だが俺の心はその喧騒から遠く離れた場所に沈んでいた。
めいあはあの日以来、学校に来ていない。
めいあがいない。あんなにうるさかった「ダーリン!」という声が聞こえない。
それは数週間前の俺が喉から手が出るほど望んでいた状況のはずなのに、今はただ、胸にぽっかりと穴が空いたような、重苦しい静けさがそこにあるだけだった。
俺はお化け屋のシフトの合間を縫って、校内を彷徨い歩いていた。
一つのけじめをつけるために。
中庭に面した渡り廊下で、実行委員の腕章をつけた咲良を見つけた。
彼女はステージの進行表らしきものを持って、他の委員と忙しそうに打ち合わせをしている。
めいあがいない状況でも、あの気まずいが残っていた。
「……咲良」
俺が声をかけると、咲良の肩が小さく跳ねた。
彼女はゆっくりと振り返る。
「〇〇くん……。どうしたの?シフトは?」
「いや、今、休憩。……あのさ、ごめん。今、ちょっとだけいいか?」
咲良は俺の真剣な顔を見て、コクリと頷いた。
「……うん」
~~~
俺たちは文化祭の喧騒が嘘のように静かな、体育館裏の人目につかない場所まで移動した。
「あのさ……」
言葉がまとまらない。謝りたいこと、伝えたいこと、そして……。
「……めいあさんのこと?」
俺が口を開くより先に、咲良が言った。彼女はもう俺の言いたいことを察しているようだった。
俺は力なく頷いた。
「ああ。……俺、あいつのこと……。全部、知ったんだ」
祖父母の家に行ったこと。
あいつの両親のこと。
そして、昔冗談で交わした「約束」があいつの唯一の命綱になっていたこと。
俺は拙い言葉で、咲良に全てを打ち明けた。
「俺が……俺のせいで、あいつはずっと……」
「……」
「俺はあいつを拒絶した。あいつが一番信じてた『絶対』を、俺が……壊したんだ。あの夜」
咲良は黙って俺の話を聞いていた。
非難するでもなく、同情するでもなく、ただ、じっと。
「……そっか」
全てを聞き終えた咲良がポツリと呟いた。
「……なんとなく、分かってたよ」
「え……?」
「〇〇くんがめいあさんのこと、ただ邪険にしてるわけじゃないのは見てて分かったから」
「〇〇くん、ずっと優柔不断だなって思ってたけど……違ったんだね」
「……」
「それは優しさとか、そういうんじゃなくて……もっと、どうしようもない、重い何かだったんだね」
その言葉はストンと、俺の胸に落ちた。
「俺……咲良のことが好きだった」
俺は絞り出すように言った。
「中学の時から、ずっと。今も……多分、その気持ちは変わらない」
「うん」
咲良はまっすぐ俺を見た。
「私も、〇〇くんのこと、いいなって思ってたよ。ずっと」
その目にはうっすらと涙の膜が張っていた。
だが彼女は泣かなかった。
「でも」
「俺は咲良を選べない。……めいあを、放っておけない」
「あいつの『絶対』を壊したのも俺なら、あいつの『絶対』になれるのも、もう俺しかいないんだと思う」
これは恋愛とか、そういう甘いものじゃない。
責任だ。俺があいつの人生を狂わせたことへの責任。
「ごめん、咲良。本当に……ごめん」
俺は深く頭を下げた。
数秒の沈黙。
「……謝らないで」
静かな声だった。顔を上げると、咲良は泣きそうな顔を必死に堪えて、微笑んでいた。
「〇〇くんが決めたことなんでしょ?」
「咲良……」
「私、〇〇くんの……不器用だけど、真面目すぎるところ、嫌いじゃなかったよ」
彼女はそっと涙を拭った。
「……行きなよ。めいあさんのところ」
「え……?」
「今日来てるよ、めいあさん」
「っ!? なんで……」
「実行委員だから。欠席者の連絡、今朝、担任から聞いた。……風邪、治ったんだって」
咲良は俺の背中を、ポンと軽く押した。
「私とのことはもういいから。……〇〇くんは自分の『約束』、果たしてきて」
「……咲良」
「……ありがとう」
それしか、言えなかった。
俺は咲良に背を向け、走り出した。
彼女が最後にどんな顔をしていたか、俺は振り返ることができなかった。
めいあが学校に来ている。
あいつは今、どこにいる?あの「抜け殻」のままじゃないと、信じたい。
俺の長くて短い初恋が今、終わった。
そして、俺の重くて歪んだ「約束」がここから始まる。
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