第六章:二人の間の誤解

めいあの「絶対」という言葉の重みを知ってから、俺はあいつを化け物かのように恐れ始めていた。

だが日常は待ってくれない。

学校に行けば、めいあはいつものテンションで俺を「ダーリン」と呼び、腕を絡める。



その度に咲良が痛ましそうな、諦めたような目で見ていることに、俺は気づいていた。



咲良とはあの委員会室の一件以来、まともに話せていない。

俺が話しかけようとしても、めいあが「ダーリン!トイレっすか!?私も行くっす!(行かないけど!)」と騒ぎ立てて妨害するか、咲良自身が俺の隣にめいあがいるのを見て、スッと姿を消してしまうか。


このままじゃダメだ。

咲良との関係がめいあ……いや、めいあを止められない俺のせいで完全に壊れてしまう。



そう焦っていた矢先、チャンスは意外な形で訪れた。



~~~



昼休み。


めいあがクラスの女子数人に購買のパンを買いに行かせられていた。


「え〜!ダーリンのお昼は私の愛妻弁当があるのに!?」とか言っていたがさすがのめいあも、クラスの女子全員を「使用人」扱いするわけにはいかないらしい。

渋々教室を出ていっためいあの背中を見送り、俺はホッと息をついた。



(今のうちだ)


俺は弁当の箸を置き、咲良の席を見た。

彼女は一人で静かに自分の弁当を食べていた。

俺は意を決して、席を立つ。


「あ、あのさ、咲良」


声をかけると、咲良の肩がビクリと震えた。

ゆっくりと俺を見上げた彼女の目は少し驚いているようだった。


「〇〇くん……。どうかした?めいあさんは?」


「あ、いや、今は購買。それより、ちょっといいか?」


俺がそう言うと、咲良は戸惑ったように視線を落とした。


「……うん。なに?」


「あのさ、最近……ごめん」


俺はそれしか言えなかった。


「……なんで、〇〇くんが謝るの?」


「いや、めいあのこととか……咲良にも、迷惑かけてるだろ」


咲良は持っていた箸をそっと置いた。


「……〇〇くん」


彼女は意を決したように、まっすぐ俺の目を見た。


「あのね……めいあさんのことなんだけど」


「おう」


「最近、〇〇くん、すごく……無理してない?」


その言葉は俺の想像していたものと、少し違っていた。

俺を非難するでも、めいあを怖がるでもなく、俺自身を心配する言葉。


「え……?」


「だって、朝も帰りも、ずっと一緒なんでしょ?それに、教室でも……あんなにベタベタされて」


咲良の声は後半になるにつれて小さくなっていく。


「それに、この間の委員会室でのこととか……」


「あ……」


「彼女、〇〇くんのこと『ダーリン』とか『奥さん』とか……。

 あれ、本気で言ってるみたいで、私……ちょっと、怖くて」


咲良は自分の手をぎゅっと握りしめていた。

そうだろ。怖いよな。普通はそう思うんだ。


俺は咲良が理解してくれたことが嬉しくて、今までのことを全部ぶちまけてしまいたかった。

「そうなんだよ!あいつマジでヤバくて!」と。


だができなかった。

脳裏に、あの夕暮れの感情のないめいあの真顔が蘇る。



『約束は絶対っすよ、ダーリン』



あの言葉の重みが俺の喉を塞ぐ。

もし、俺がここでめいあを突き放したら?

あいつはまたあの「絶対」を失うことになる。

そうなったら、あいつはどうなってしまうんだ?


俺が曖昧な「約束」のせいで負い目を感じていること。

あいつの歪曲したメンタルに、俺自身が恐怖していること。

そんなこと、咲良にどう説明すればいい?



「……いや、あいつ、昔からああいう奴で」


俺の口から出たのはそんな最悪の答えだった。


咲良の顔がわずかに曇った。


「昔から……?でも、ただの幼馴染なんでしょ?あんなの普通じゃないよ!」


「……そうなんだけど。……なんていうか、色々、事情があって」


「事情……?」


咲良の声に、明らかな失望の色が混じった。



そうだ。

この「事情」という言葉はなんて便利で、なんて残酷な言葉だろう。

咲良からすれば、俺がめいあとの関係を隠すための言い訳にしか聞こえないはずだ。

俺がめいあを選んだ、と。



「……そっか」


咲良はふっと力を抜いたように笑った。

それは諦めの笑みだった。


「ごめん、変なこと聞いて。〇〇くんが困るよね」


「あ、いや、違うんだ、咲良!そうじゃなくて……」


俺が慌てて否定しようとした、その時。



「あーーーーっ!ダーリンと“使用人”さん、何コソコソ話してるんすか〜?」



地獄の底から響くような、ハイテンションな声。

めいあが口にパンを咥えたまま教室の入り口に立っていた。


「め、めいあ……」


「もしかして、咲良さん、うちのダーリンに色目使ってたんじゃないっすか〜?」


めいあはズカズカと俺たちの間に割り込むと、俺の腕にガッシリと抱きついた。


「ダメっすよ!この人はめいあの旦那さんなんで!もうすぐ結婚するんすから!」


「……っ!」


咲良はめいあのはっきりとした「結婚」という言葉に、息を呑んだ。

そして、俺がその腕を振りほどかないのを見て、全てを察したように、悲しそうに目を伏せた。


「……ううん、なんでもない」


咲良は静かに立ち上がると、自分の弁当箱を片付け始めた。


「ごめん、〇〇くん。私、ちょっと……用事、思い出したから、先、行くね」


「あ、咲良!待って!」


俺は呼び止めようとしたが咲良は一度も振り返らず、足早に教室を出て行ってしまった。



一人、残された俺の腕にはめいあがまとわりついている。


「やーっと二人きりになれたっすね、ダーリン!」


めいあは咲良が出て行ったドアの方を一瞬だけ冷たく一瞥すると、すぐに満面の笑みで俺を見上げた。


「あの使用人さん、しつこかったっすからね〜!でもこれでダーリンも一安心っすね!」


「……え?」


「いや〜、私の勝ちっす!やっぱり奥さんの愛は最強っすね!」


無邪気に、心の底から嬉しそうに、めいあは「勝利」を宣言した。

俺と咲良の間のか細い糸が切れた音はこいつには雑音にすら聞こえていなかったらしい。


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