第五章:破られた約束

あの週末の悪夢以来、俺はめいあに対して「拒絶」することを半ば諦めていた。


何を言っても、あの鋼の(あるいは柳のような)メンタルで無効化されるか、あるいは昨日みたいに物理的に捕捉されて終わるだけだ。



月曜日のらぶらぶ(拒否権無し)デート。

俺はもはやお馴染みとなった右腕の温かい重みを感じながら、夕暮れの通学路をトボトボと歩いていた。



「で!今日のおかずはハンバーグっす!ダーリンはチーズか目玉焼き乗せ、どっちがいいっすか!?」


「……どっちでもいい」


「も〜!奥さんへのリクエストは大事っすよ!

 じゃあ今夜はめいあの愛をたっぷり乗せた、チーズ目玉焼きハンバーグっすね!」


こんな調子だ。

俺の返答が「Yes」だろうと「No」だろうと、こいつの中では全て「ダーリンが私を愛している」という結論に変換される。



俺たちが歩いている道の向かい側を、小さな女の子が両親と手を繋いで歩いていくのが見えた。

父親が女の子を高い高いしていて、母親がそれを見て笑っている。

どこにでもある、幸せな家族の風景。



ふと、隣でマシンガンのように喋っていた声が止まった。


俺は怪訝に思って、めいあに視線を移す。

めいあはその家族を……いや、その家族がいた空間を、ぼんやりと見つめていた。



「……めいあ?」


声をかけると、彼女はハッと我に返ったように俺を見た。


「……ん?なんすか、ダーリン?」


「いや、急に黙るから」


「あ〜、見てたっすか?家族っていいっすよね〜!」


めいあはいつもの太陽みたいな笑顔でニカッと笑う。


「私とダーリンも、あんな感じになるんすよ!子どもは最低五人っす!」


「……お前、いつもそれだな」


「当たり前っす!だって奥さんだもん!

 あ、でも、ちゃんと約束守ってくれないと、五人じゃ済まないっすよ?」


冗談のように笑う彼女の言葉に、俺はいつものようにため息をつく。

だがめいあは珍しく話を続けなかった。



数秒の沈黙。


「……うちのパパとママも、言ってたっす」


ポツリと、彼女が呟いた。

いつもの語尾の「っす」がやけに弱々しく聞こえる。


「え?」


「『絶対また会おうね』って。それが約束だって」


俺は思わず足を止めた。

めいあは俺の腕に絡みついたまま、俯き加減にアスファルトを見つめている。


「めいあ……?」


「でも、あの人たちの『絶対』は嘘だったんすよ。簡単に壊れちゃった」


淡々とした声。

感情が一切乗っていない、ガラス玉みたいな声だった。

俺は何も言えなかった。

彼女がどんな事情で家族と離れたのか、俺は何も知らない。


めいあは絡めていた腕の力を、無意識に強めた。

爪が俺の制服の袖に食い込むのが分かる。



「でも」


彼女はゆっくりと顔を上げた。

貼り付けたような、完璧な笑顔。

だがその瞳の奥は一切笑っていなかった。


「私とダーリンの『絶対』は違うっすよね?」


彼女は俺の返事を待たずに、自分のカバンについた色褪せたプラスチックの指輪のキーホルダーを、指で強く握りしめた。



「約束は絶対っす」


それは俺に言い聞かせるというより、まるで自分自身に呪いをかけるような声だった。


「絶対っすよ、ダーリン」


その瞬間、彼女の完璧な笑顔がほんの一瞬だけ、グラリと揺らいだように見えた。

まるで、拒絶されることを心の底から恐れる子供のような、怯えた顔。



だがそれも一瞬。

めいあはパッと指輪から手を離すと、再びいつものウザいほどの笑顔を全開にした。


「なーんちゃって!しんみりしちゃったっすね!さあ、帰ってハンバーグ作るっすよ!

 ダーリン、玉ねぎのみじん切りは手伝ってくれるっすよね!?」


「あ、お、おう……」


何事もなかったかのように、めいあは俺の腕を引いて歩き出す。

だが俺の背筋にはさっきの言葉の重みが冷たい汗となってこびりついていた。



こいつが執着している「約束」は俺が思っているよりも……

ずっと、重くて、暗くて、取り返しのつかないものなのかもしれない。

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