第四章:奥さんと私生活

地獄の平日が終わり、待ちに待った土曜日が来た。

金曜の放課後、咲良はあれからずっと俺を避けていた。

委員会も、結局他のメンバーが来てから当たり障りのない話をしただけで、二人きりになることはなかった。



全部、めいあのせいだ。


「……はぁ」


だが今日だけは違う。

今日は土曜日。学校はない。


つまり、めいあの脅威に怯えることなく、俺は俺の時間を過ごせるはずだ。

朝、家の前で待ち伏せされていないことを確認した(これだけでもはや感動だ)俺は逃げるように家を飛び出した。



~~~



向かう先は駅前の大型書店。

読みたいと思っていた新刊のラノベがあったし、何より静かで、本に囲まれた空間が俺の唯一の避難所だった。



「……ここまで来れば、大丈夫だろ」


自動ドアをくぐり、ひんやりとした空気と紙の匂いを深く吸い込む。

ああ、生き返る。

俺はまっすぐ、目当てのラノベコーナーへ向かった。



あった。最後の三冊。

俺は迷わずその一冊を手に取り、ついでに隣に平積みされていた話題のミステリー小説にも手を伸ばした。


「ふぅ。完璧な休日だな」


このまま駅前のカフェで買ったコーヒーでも飲みながら、公園でのんびり読書でも……。



「あーーーーっ!ダーリン発見っす〜!」



その声が聞こえた瞬間、俺は手に持っていた本を床に落としそうになった。



バッと振り返ると、そこにいたのはもちろん。

なぜか俺の高校の制服ではなく、フリフリのついた私服に身を包んだ、めいあだった。


「め、めいあ!?な、なんで……」


「え〜?奇遇っすね、ダーリン!私もこの本、探してたところっすよ!」


そう言って、めいあは俺が今まさに手に取ったミステリー小説の隣の一冊をひょいと掴んだ。



奇遇?

こんな偶然があるわけない。

ここは学校から二駅も離れた場所だ。



「お前、俺を……」


「わ〜!やっぱりダーリンと私は趣味が合うっすね!運命っす!」


「いや、だから……」


俺の言葉をいつものように笑顔で遮る。

めいあはジャラジャラと派手なキーホルダーがついたカバンから、何かをごそごそと取り出した。


「あ、そうだ!ダーリン、もしかしてお昼まだっすか?」


「え?あ、いや、まだ……」


「じゃーん!めいあ特製、愛妻サンドイッチっす!ダーリンがいつお腹空かせてもいいように、家政婦として待機してたっす!」



ドン!

彼女が取り出したのは二人分では済まない量のサンドイッチが詰め込まれた、巨大タッパーだった。



「なんで……」


なんで、俺が昼飯をまだだと知っている?

なんで、俺がこの書店に来ることが分かった?


盗聴器やGPS……? いや、そんな非現実的な……。

だがじゃあ、どうやって。



「お前、まさか俺をつけて……」


「え〜?ダーリン、何言ってるんすか?奥さんが旦那さんの行動を把握しておくなんて、当たり前のことじゃないっすか!」


「は……?」


「だって、ダーリン、金曜日の放課後、咲良さん……あの使用人さんと帰らずに、ここの書店に寄ってたっすよね?」


背筋が凍った。

そうだ。

俺は咲良と気まずいまま別れた後、この書店に寄って、買うかどうか迷った末に帰ったんだ。


「その時、ダーリン、このミステリー小説、ずーっと見てたじゃないっすか。

 だから、絶対今日買いに来るって思って!めいあ、朝の五時からここで待機してたっすよ!」



朝の五時から?

こいつ、本気か。


俺の行動パターン。

俺の視線の先。

俺の好み。


全部把握されていた。

それは機械的な監視なんかじゃない。

純粋な、病的なまでの「行動力」と「執着」による、完全なストーキングだ。



「ささ、ダーリン!こんなとこで油売ってないで、公園でピクニックっすよ!

 奥さんとの大事な週末デートっすから!」


めいあは俺の返事も聞かずに、俺の手を掴んだ。

抵抗しようにも、昨日までとは明らかに違う、ガッチリとした力で握られていて、振りほどけない。



俺の唯一の避難所だったはずの書店が一瞬にして、めいあのテリトリーに塗り替えられていく。

逃げ場はもうどこにもないのかもしれない。

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