第三章:愛の試練

めいあという名の嵐が俺の日常に常駐するようになってから、数週間が過ぎた。

もはや家の前で待ち伏せされるのは日課だ。


教室でも、昼休みは当然のように俺の席の前に陣取られ「ダーリン、愛妻弁当っすよ!」と(さすがに断固拒否しているが)弁当箱を広げようとする。



そんな地獄のような日々の中で、唯一のオアシスと呼べる時間があった。

放課後の委員会活動だ。


俺と咲良は文化祭実行委員に選ばれていた。

今日の放課後はその第一回目の集まりがクラスの代表者だけで行われることになっている。


「……さすがに、委員会室までは来ないよな」


俺は小さな希望的観測を呟きながら、咲良と二人で特別棟の会議室へ向かっていた。


めいあはというと、当然のように「私も行くっす!」と騒いだが「委員以外立ち入り禁止」という正論中の正論によって、渋々引き下がっていった。


「むむ……ダーリンがいないと、奥さん、寂しくて死んじゃうっすよ……!」

と、教室のドアの影から半泣き(多分嘘泣き)で手を振っていた姿が少しだけ不気味だったが。



「〇〇くん、大丈夫?」


隣を歩く咲良が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「あ、ああ。何が?」


「ううん……最近、ちょっと大変そうだなって。そのめいあさん……」


咲良の口からめいあの名前が出ただけで、俺の胃はキリリと痛む。


「……まあ、色々とな。昔の幼馴染ってだけで、あんな……」


「そっか。……無理しないでね」


咲良はそれ以上深くは突っ込まず、ただ優しく微笑んだ。

こういうところだ。

咲良は決して人の領域に土足で踏み込んでこない。

真面目で、控えめで、だけどちゃんと人のことを見ている。



~~~



会議室。

俺と咲良は一番奥の席に並んで座る。


めいあのけたたましい声が聞こえないだけで、こんなにも世界は平和なのか。


「先に資料、目を通しておこっか」


咲良がカバンからファイルを取り出す。俺も慌てて自分のカバンに手を突っ込んだ。



……ない。

いや、ある。あるが取り出せない。

カバンの奥でジュースのペットボトルがうまいこと引っかかって、ガッチリと固定されてしまっている。


「くそっ、なんでこんな……」


俺がカバンの中で格闘していると、咲良がクスリと笑った。


「〇〇くん、相変わらずだね。中学の時も、よくカバンの中、ぐちゃぐちゃになってた」


「う……覚えてたのかよ」


「覚えてるよ。はい、これ一緒に見よ」


咲良が自分のファイルを俺と机の真ん中に置く。

自然と、肩が触れ合いそうなくらい距離が近くなる。

咲良の清潔な石鹸の匂いがした。


「あ、ここの部分、どう思う?クラス企画の予算なんだけど……」


「ああ、これは……」


二人で頭を突き合わせて資料を読み込む。

咲良の説明は的確で、分かりやすかった。


「……すごいな、咲良。ちゃんと予習してきてる」


「え?そんなことないよ。

 ただ、事前に読んでおかないと、会議でいきなり意見求められても困るかなって」


「……ほんと、すごいな。そういう真面目なところ、本当に尊敬する」


それはお世辞でも何でもない本心だった。

中学の頃から、ずっとそう思っていた。



俺の言葉に、咲良は一瞬、目を丸くした。

それから、頬をほんのり赤く染めて、俯いた。


「……そ、そんな……褒めすぎだよ」


その反応がたまらなく可愛くて。

俺は自分の心臓がドクンと大きく跳ねるのを感じた。

このまま、時間が止まればいい。


そう思った、次の瞬間だった。



ガラッ!!


「お邪魔しまーっす!ダーリン、差し入れっすよ〜!」



会議室のドアが轟音と共に開かれた。

そこに立っていたのは水筒とタッパーを両手に抱えた、満面の笑みのめいあだった。


「め、めいあ!?なんでここに……委員以外は……」


「ん〜?『愛するダーリンに差し入れを届ける奥さんの会』の者っすけど、何か問題でも?」


意味不明な会を作るな。

というかタッパーの中身、タコさんウインナーがぎっしり詰まってて怖い。



俺と咲良は驚きで固まったまま、開いた口が塞がらなかった。

めいあはそんな俺たちの様子を数秒間じっと見つめると、


「ふぅ〜ん?」

「なになに〜?ダーリン、咲良さんと二人でコソコソお勉強っすか〜?」


「勉強ってより委員会の……」


「あ~!!もしかして、ダーリン、咲良さんのこと褒めてたっすか?」


ギクリとした。

なんで分かった。



めいあはズカズカと俺たちの席まで歩いてくると、俺と咲良の間に強引に割り込んだ。

タッパーを机にドンと置く。



「へ〜、ダーリン、他の子の話で盛り上がってるっすね〜!」


めいあは俺の顔を、下から覗き込むようにして言った。

その目はいつものように笑っている。

だがその奥は全く笑っていなかった。


「私の愛を試そうってことっすね〜!面白いっすね!」


訳の分からない理論が飛び出した。


「……は?何を……」


「だって、そうっしょ?

 『お前は俺だけを見てくれるよな?』っていう、私への壮大な愛の確認っすよね!?」



(………?????)



だがめいあのマシンガントークは止まらない。



「いや〜、ダーリン、やるっすね!まさかこんな高度なテクニックで私の愛を試してくるなんて!

 でも大丈夫っす!私の愛は宇宙より広いっすから!どんとこいっすよ!」


「あ、あの……」


今まで黙っていた咲良がおずおずと口を開いた。



「私たち、これから会議で……」


「あ、知ってるっすよ!」


めいあは咲良の言葉を遮って、ニカッと笑った。


「だから、この物分かりのいい咲良さんに、うちのダーリンが変な気起こさないように、奥さんとして見張りに来たっす!」


「……え?」


咲良の顔から、血の気が引いていくのが分かった。

「物分かりのいい子」という呼称。

それはめいあにとって「どうでもいい他人」を意味する言葉だ。


「さ、ダーリン!会議の前に、まずこの愛妻タコさんウインナーを食べるっす!あ〜ん!」


「いや、俺は……」


「ほらほら!咲良さんも見てないで、ダーリンのサポート、よろしくっすね!優しい“使用人”さん!」


「……っ!」


咲良は何かを言おうとして、唇を噛んだ。

そして、静かに立ち上がった。


「ごめん、〇〇くん。……私、ちょっと用事、思い出した」


「あ、咲良!待って……」


「資料、先に読んでて。……じゃあ」



咲良は俺とめいあに背を向け、逃げるように会議室を出て行ってしまった。


残されたのはウインナーの詰まったタッパーと、満足げに微笑むめいあと、何もできずに固まる俺だけだった。

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