第二章:登校路の攻防

あの日以来、俺の平凡な日常は完全に崩壊した。



翌朝。

俺はわざと家を出る時間を十五分早めた。

昇降口での悪夢を繰り返し、クラスメイトや、何より咲良に変な目で見られるのはごめんだ。


「よし、今日こそは……」


玄関のドアを開けた瞬間、俺は絶望に叩きのめされた。


「あ、ダーリンおっはよーっす!遅いっすよ〜!」


家の前の電柱に寄りかかっていためいあが満面の笑みで手を振っている。

なんで家の場所を知ってる。というか、何時から待ってるんだ。


「め、めいあ……なんでここに……」


「なんでって、奥さんがダーリンを迎えに来るのは当然っすよね?さ、一緒に行きましょ!」


「いや、俺一人で……」


「遠慮は水臭いっすよ、ダーリン!」


有無を言わさず、めいあは俺の右腕に自分の腕を絡めてきた。

柔らかくて温かい感触が制服越しにダイレクトに伝わってくる。

思わず振りほどこうとすると、めいあは「ん?」と小首を傾げた。


「ダーリン?元気ないっすね〜!もしかして寝不足っすか?大丈夫っす!

 めいあがダーリンの分の荷物、半分持ってあげるっす!」


「いや、そういうことじゃなくて……」


ダメだ、会話が成立しない。

俺は諦めて、腕を組まれたまま通学路を歩き出した。

すれ違う近所の人や、他の高校の生徒がジロジロと俺たちを見てくる。恥ずかしくて死にそうだ。


「あのさ、めいあ」


「なんすか、ダーリン?朝ごはんは何が食べたいっすか?私、オムレツには自信あるっすよ!」


「そうじゃなくて!あのな、ちょっと距離感が近い、かなって」



言った。

俺は勇気を振り絞って、一番オブラートに包んだ拒絶の言葉を口にした。

これで少しは分かってくれるだろう。普通の人間なら。



めいあはピタッと足を止めた。

そして、絡めていた腕の力をさらに強めた。


「……ダーリン?」


「な、なんだよ」


「今、なんか変な声が聞こえなかったっすか?」


「は?」


めいあは太陽みたいな笑顔はそのままに、キョロキョロと辺りを見回し始めた。


「気のせいっすかね?『距離感が近い』とか、すごい失礼なこと言う人がいた気がするんすけど」


「いや、それは俺が……」


「あ!もしかして、ダーリンに絡んできたっすか!?」


ガシッ!

めいあは俺の前に回り込み、守るように両手を広げた。


「ダーリン、なんか変な人に絡まれてるんすね?大丈夫っすか!?」


「え……?は……?」


「まったく!ダーリンは優しくてイケメンだから、変な虫が寄ってきちゃうんすね!

 でも大丈夫っす!奥さんである私、めいあが絶対守るっすから!」


そう言って、めいあは俺の胸をドンと叩いた。



……こいつ、何を言ってるんだ?

俺が言った言葉が聞こえていないのか?


いや、違う。

聞こえている。

聞こえた上でその言葉を発したのは「得体の知れない第三者」ということにして、自分の世界から排除したんだ。



これがめいあのメンタル。

鋼どころじゃない。いや、鋼というより柳のような……

もはや異次元の物質で出来ている。


「さ、ダーリン!あんな変な人の言うことは忘れましょ!ほら、学校遅れちゃうっすよ!」


「お、おう……」


めいあは再び俺の腕に絡みつき、何事もなかったかのように歩き出す。

俺はもう、何も言うことができなかった。



教室に着くと、すでに咲良が席に着いていた。

俺がめいあに腕を組まれたまま入ってきたのを見て、彼女は悲しそうに目を伏せた。



違う、そうじゃないんだ、咲良。


そう言いたくても、俺の腕には「奥さん」が笑顔でぶら下がっている。

説得力のかけらもなかった。

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