第2章 魔法とは心のねじれである


白い粒子の世界を抜けた瞬間、

ハルの視界はぐるりと回転した。


気づけば、そこはもう廃図書館の中だった。

まるでページをめくるように戻ってきてしまったような、瞬きより短い帰還。


「おかえり、ひよこ」


声のする方を見ると、コハク・ページが古いソファの上で足を組んで座っていた。

その頭には、いつの間にか白い羽根ペン――スクライブ・ウィングがちょこんと乗っている。


「なに勝手に乗っておる、君は」


「高いところが落ち着く」


「やめい」


コハクが羽根をつかもうとすると、スクライブ・ウィングはふわりと宙へ逃げた。


その何気ないやり取りを見て、ハルは少しだけ安心した。

さっきまでの出来事があまりにも現実離れしていて、脳がまだついていけてなかったのだ。


「……ぼく、本当に“世界の継ぎ目”に行ってたんですよね?」


「行っておったとも」


コハクは腕を組んだ。


「しかも、いきなり読者能力を使うとは思わなんだ」


「読者能力……?」


「読んだのだよ。そして、書き換えた」


スクライブ・ウィングが羽根を震わせながら言った。


「読者(リーダー)は、世界の本文と、その裏にある“余白”を同時に読むことができる者だ」


「余白……?」


コハクは古ぼけた本を開き、ページを指差した。


「多くの者は本文しか読めない。だが読者は、本文の外側――“本来書かれるはずだった可能性”まで読み取れてしまう」


「……そんなすごい力、ぼくにあるんですか?」


「ある。というより、君は最初からそうだった」


ハルの胸がぎゅっと縮む。


「ぼく……何か特別なんですか?」


「いいや」


コハクは即答した。


「特別ではない。ただ――選ばれなかった者だっただけだ」


「……選ばれなかった……?」


「それは弱さではない。むしろ強さになり得る」


スクライブ・ウィングが言葉を継ぐ。


「選ばれなかった者は、他者の痛みや、見えない物語に耳を傾けられる。それは読者の第一条件だ」


ハルは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

自分は“普通以下”だと思って生きてきた。

でも今、この奇妙な二人は言う。選ばれなかったことには別の意味があるのだと。


「……じゃあ、ぼくは何をすればいいんですか?」


「まずは魔法を知ることだ」


コハクは立ち上がる。


「魔法は外から与えられるものではない。誰の心にも、最初からあるものだ」


スクライブ・ウィングが頷いた。


「魔法とは――心のねじれだ」


「ねじれ……?」


コハクが杖を振ると、淡い光の“心臓の形”がハルの前に浮かび上がった。脈打つたびに形がゆがんだり伸びたりしている。


「魔法とは、この心のゆがみが作り出す力だ」


「……心が歪むと、魔法になるんですか?」


「そうだ」


「喜びが強すぎれば光が漏れる。悲しみが深すぎれば影が生まれる。怒りが熱すぎれば火のような力が出る」


スクライブ・ウィングが小声で付け加える。


「そして……恥ずかしさが限界を突破すると、“羞恥嵐”が起きる」


「絶対いやです!」


コハクは笑みを浮かべ、杖の先でハルの胸をそっと突いた。


「君の中にもあるだろう? まっすぐ言えない気持ちが」


図星だった。


「つまり……ぼくの矛盾も魔法なんですか?」


「そうだとも。君の魔法は“言えなかった言葉”から生まれる」


ハルの胸がずきんと痛む。


その瞬間――。


コハクが本棚をどん、と叩いた。

奥の壁がめくれるように開き、巨大な螺旋階段が姿を現す。


「ここから先は――ユーモア魔法省(仮)・補講室だ」


「仮って……」


「正式名称を決める予算が降りておらんのだ」


スクライブ・ウィングのため息が響く。


ハルは胸をどきどきさせながら階段へ足を踏み入れた。


(ぼくは……この世界で何を見るんだろう)


螺旋階段は、ゆっくり深く続いていた。


……そして、その先でハルの初めての魔法事故が待っていた。


●補講室


階段を降りながら、ハルは気づいた。

階段の表面が、びっしりと文字で埋め尽くされている。


古代語のようでもあり、絵文字のようでもあり、詩の断片のようでもある。

一段降りるごとに光りながら読まれていく不思議な階段。


「……これ、階段というより本?」


「気づいたか。この本のタイトルは《転落したくない人のための階段》だ」


「そんな本あるんですか」


「あるとも。落ちると痛いからな。物理的にではなく“黒歴史朗読”という精神的ダメージを受けるが」


「絶対落ちたくない!!」


やがて階段の底に、丸いドーム状の部屋が見えてきた。


中央に巨大な黒板が浮き、光る羽根ペンがゆっくり回転している。

周囲の机には不思議な生き物たちが寄りかかって眠っていた。


「ここが補講室だ」


奇妙な学校のようで、まったく学校らしくない空間。


「では始めるぞ。言えなかった言葉の扱い方だ」


ハルの胸がどきりとした。


●言えなかった言葉の魔法


コハクが黒板に光の文字を書く。


【言えなかった言葉の魔法】

・胸の中に残る未完の気持ちから生まれる

・扱いを誤ると暴発する危険性あり


「暴発……?」


スクライブ・ウィングが光の粒を作って見せた。

それは「ありがとう」と言いかけてやめたような温かい粒。


だが、すぐにぷるぷる震え――


パンッ!


部屋中に柔らかい衝撃波。

生き物たちは机から転がり、スクライブ・ウィングは棚にめり込み、ハルはひっくり返った。


「……これが魔法事故だ」


コハクは真剣な表情で言う。


「ひよこの魔法、範囲が広い……厄介なタイプだ」


「厄介なんですか!?」


「いや、珍しいのだ。内向きの気持ちが外の世界へ作用してしまう。人の心へ触れてしまう」


そう言って黒板に書いた。


【ハルの魔法の特徴】

・内向きの気持ちが“外の世界”に作用する

・未完の言葉が他者の心に揺らぎを起こす

・広域タイプ(制御困難)


ハルは自分の胸を押さえた。

怖いけれど――そのぶん優しい力でもある気がした。


コハクが封筒を差し出す。


三ノ宮ハル様

――第二出動要請


「準備はいいか、読者よ」


ハルは深くうなずいた。


「……はい。行きます」


●第二層 言いかけた言葉の谷


廃図書館の奥へ進むと、空気が変わり、胸の奥をくすぐる気配が満ちてきた。

視界がひらけ、巨大な谷が現れる。


谷底には淡い文字が無数に浮かんでは消え、泡のように沈んでいく。


《ごめん……》

《ほんとは……》

《言おうと思ってた……》


それは全部、言いかけて言えなかった言葉たち。


橋の向こうに――誰かが立っていた。


黒いマント。白い仮面。

手には黒い風船。その中で言葉がうごめいている。


「……あれ、なに?」


スクライブ・ウィングが震えた声で答える。


「あれは“サイレンス・キャスター”。沈黙を食う者だ」


キャスターは風船を持ち上げ、低く言った。


「ここにひとつ、おまえの言葉があるぞ」


ハルは目を見開く。


風船の中に揺れる文字。


《――たすけて》


胸の奥が痛んだ。


(これ……ぼくの……言えなかった言葉……?)


キャスターは冷酷に言う。


「言えなかった言葉など、死んだのだ」


「死んでなんかいない!」


ハルは震える声で叫んだ。


「言えなかった言葉は、残ったんだ。いつか言えると信じて、心のどこかで待ってるんだ!」


谷がざわめく。


胸の奥の灯がふっと浮かび上がった。


キャスターの仮面が揺れる。


「……愚かだな。なら証明してみせろ」


黒い風船が破裂し、無数の黒い破片がハルに襲いかかる。


《ごめんね》《本当は……》《怖かったんだ》《行かないで》


(どうする!?)


胸の灯が震える。


(でも――言わなきゃ。ぼくの言葉を……!)


ハルは叫んだ。


「――戻れ!!」


白い光が手のひらからあふれ、黒い破片とぶつかり合う。

世界が紙のようにたわむ。


黒い破片は、白い光の中で溶けて消えた。


キャスターの姿が黒い風に溶ける。


「……読者の力、厄介だ」


そう呟き、消えた。


ハルは膝をつく。


コハクが静かに言う。


「――ようやった、ハル」


スクライブ・ウィングも頷く。


「ひよこの言葉、少し届いたようだ」


胸の灯は、少しだけ大きくなっていた。


(ぼく……言えなかった言葉で、誰かを救えるのかな)


谷の風がひと吹きして、ハルの髪をやさしく揺らした。


まるで次の選択を待つように。


――第2章 完――



 

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