3.

 ◇


 出て行った姿は誰も見ていないのに、夜明け前に徒歩で帰って来た国王陛下にバーガスは詰め寄る。

「一体どうなされたのですか!? どこから、いつ外へ!? いくら建国祭の間は公務がなかったとは言え、有事があれば大変な騒ぎになっていますよ!! 何とか誤魔化しましたが、もうバーガスは心配で、心配で……!」

 その割に、側近はツヤツヤしていた。

 どうせ怒り散らす王が不在なので伸び伸び羽根を伸ばした一週間だったのだろう……実際に羽根を伸ばしてきたバルトルトは察する。

「身支度をしたら頼み事がある。騎士団長を呼んでおけ」

「陛下っ、どちらにおいでだったのですか? まさかどこかに女が」

「………」

 ツヤツヤの側近は、自分よりさらにツヤッツヤの王を見て取り愕然とした。

 えっ、こんな若々しい陛下は初めてじゃないか?

 いつもあるクマもないし、黒髪もなんだか光っている。何より瞳が違った。ギラギラした怒りはどこに行った!?

 これは女だろ。明らかに女だろ!!


 バルトルトは「女」と言われてマスターと遊んでもらったことを思い出した。つまり素晴らしく可愛い笑顔になる。

「陛……」

「はっ。ごほん…あー、つまり早く騎士団長を呼んでおけ。いいな」

 なるべく冷たく言い捨てて、最上階の私室へと階段を上っていく。飛んだら直ぐなのに、と思いながら。


 私室でシャワーを浴びるとサッパリした。何度か川で洗って貰ったので全く問題はなかったが、やはり熱い湯も捨てがたいと知る。

 さて熱い湯に打たれながら思うことは、小娘一択である。


 それであいつは、誰なんだ……!


「うあ~~~~~~っ」

 風呂場で叫ぶ。

 マスターと遊んでいた一週間の間、毎朝人に戻るので、そのたび人語で詰め寄るのだが、目を合わせると一発で竜に変えられた。「こらこら、ルルたん」といなされ、明らかに素性を明かさぬ腹を感じた。さすがに顔だけはばっちり覚えたのだが、絵描きでもあるまいし描けぬ。騎士団長には事細かにちんちくりんな娘の容姿を伝え、早急に探し出させなければならない。

 だが、向こうはもちろん自分が国王だとわかっている。

 つまりわかった上で「伏せ」「おすわり」「待て」を仕込んできやがったので、不敬罪で縊り殺されるのは自明であった。


 いや、殺さんが。


 バルトルトは頭を掻き毟る。

 だってずるいじゃないか。竜使いは竜に直接話しかけて呼び出すことができるのだ。だけど自分は名前もわからず居場所も知らぬマスターの元に飛んで行くこともできない。

 予感だけはしているのだ。もう夜になったら会いたくなる。ただでさえ広いベッドが地平線まで続くくらいに広くなるだろう。穴倉に帰りたい……! あの居心地の良い穴倉でマスターをこの尾にしっかりと巻いて(以下略)。

「いやいやいやいやいやいや!!」

 慌てて頭を振って思考を振り切り、とりあえず王様は一発自分を平手で打った。


 大体、あっちはこっちほど何とも思っていないのだ。今朝なんて目が覚めたらもうあの娘はいなかった。「また遊ぼうね!」と下手くそな字の紙だけ残し、置き去りにされた。あの時のバルトルトの気持ちなんて一生マスターにはわからないだろう。誰にも言わないが、ちょっとだけ……。


 許さん。とにかく、許さん……!


 ◇


 突然冒険者を止めると言い出したヒマリに、クロスもジャスミンも驚いた。

「じゃあ嫁に来るか」

「王都で暮らそうと思って。急いで部屋を借りて仕事を探すわ。色々ありがとう、クロス、ジャスミン! じゃ!!」

 おいおい、ちょっと待てよとクロスが肩を掴もうとしたが、すっ飛んで行ったヒマリにはもう聞こえなかった。ジャスミンが残念でした~!と揶揄ってやる。

「なんで急に王都で暮らすんだ?」

「でも良かったじゃん。猪突猛進な上に神出鬼没だったけど、今度からは王都に来れば会えるんだからさ」

「うあっ、本当だ……!」


 ヒマリは光速で不動産を巡り、郊外にある古い家を借りた。近所にはしなびた老人しかいない。自分と言う存在を出来るだけ隠して暮らす為である。同時に町医者の門戸を叩き、弟子にしてもらった。モンスターも仕事もゲットしてバトルの準備はばっちりだ。


 目下、ヒマリのゴールは週一でルルを呼び出し遊ぶことだった。土日祝が休みの仕事になったので金曜の夜中に呼び出したい。日曜の朝まで遊びまくって一緒に過ごし、あとは先日同様に寝かせたまま消えて日曜を一人ゆっくり過ごすのである。最高。

 ルルがクソ国王などではなかったら、もっと一緒に遊べたのになぁ、とヒマリは残念に思う。どうしてよりによって国王なのだ。もっと他にあっただろう。靴屋とか八百屋とか。さすがの竜使いだって躊躇する。国王にあんなことやこんなことをするのか!?と。

 だけどやっぱり我慢なんて出来なくて、国王という事実を全力スルーの一択と相成った。


 暇ではないだろう。国民の為に不眠不休で働いてもらわねばクロスの妹のような人々が幸せになれないので困る。アレそう言えば週末って王様は休みなのだろうか。休みがないなら仕事の邪魔かも……など色々と考えたが、二人の遊びは回り回って人々を救う魔物バトルだったので寧ろ国益になるはずだった。


 一週間は夢のようだった…だけどちょっと国王には長かったかも。でも慣らし保育は必要だったのだ。加えて有無を言わさず連れ回したのも反省している。だって朝になると手綱が緩み王様に戻っちゃうのだが、なんか言ってくるのがすごく面倒臭かった。口封じもあって竜になるよう命じたのも、後で考えてみれば失礼過ぎて死刑案件。

 バルトルトは言わば赤ちゃんなので気が付いていないのだが、本来は自分の意思でどうにでもなれた。竜の持つエネルギーは凄いのだ。色んなルールを捻じ曲げてしまえるから、犬や猫にだってなれた。質量保存の法則を無視しているチートである。だから心底嫌ならヒマリの命令だっていくらでも無視出来るのだ。でも出来ない。

 ヒマリは気が付いていた。

 チョロいのだ。マスターに夢中なのである。

 こちとら前世から数えれば七十年近く生きてきたプロの人間である。三十半ばの坊やなど取るに足らない。

「ふふふ……」

 可愛かった……! 

 真っ黒な黒目で一生懸命マスターを見て、「伏せ」をしてバトルを待つルル。

 瘴気を前に涎を垂らして「待て」をするルル。

 子守唄にうっとりと目を閉じていくルル。

 不機嫌に振られる尾、丸いお尻のルル!

 全世界どこを探してもあんなに可愛い子はいない。


 だからヒマリは全力でバレる訳にいかないのだ。捕まれば良くて死刑、悪くて死刑だろう。つまり死ぬ。

 それだけのことをやった自覚はある。泣く子も黙る悪王にアレもコレもやらせているのだ。目の前で尿検査までした。そしてヒマリはまだ、やらせたい。

「だってこの為に生まれてきたんだからさぁ……」


 基盤を整えて生活が回り出すと、金曜の夜にヒマリは色んな場所からルルを呼んだ。二人はいつでも再会を喜んで、抱き合った。ルルなど尻尾が千切れそうである。

 そのまま夜明けまで駆け回り、瘴気や魔物が気になる山の巣で眠る。朝になれば瘴気を飲んで魔物とバトルを繰り返した。ヒマリとルルのチームは圧勝を繰り返し、半年も経てば誰の目にも魔物の数が明らかに減っていた。山に調査が入りだすと、巨大な足跡が方々で発見され、竜の巣がどこもピカピカになっていたので、どうやらクメルドに竜が誕生していると国王にも報告書が提出される。

「これ、俺」

 バルトルトはせり出す言葉を飲んだ。そして隣に小さな人の足跡が必ずある……という記載に切ない顔をする。


 一方の小娘に関する進捗報告は半年経っても何もない。騎士団は「ちんちくりんで亜麻色の髪でハキハキと喋り、歩くのがめちゃくちゃ速くて目が深緑で丸い、健康的で実際に会ったらもしかすると可愛いかもと思うかもしれない娘」を探しているが、見つからなかった。

 王はたまに薄っすらと笑い、思い出したようにスーッと静まる様子を見せた。長年使えているバーガスは見るたびに動揺する。女がいるなら早めに王妃に迎えたかったが、主はどういう訳か全く口を割ろうとしない。相手はプロなのかもしれないと最初に思ったが、男色に目覚めた線もあったし、あるいはどこかの爵位のある男の妻という可能性もあった。

 道ならぬ恋にハマる暴君を諫められる程、バーガスの心臓は強くない。他国からの賓客が献上してきた贅沢品のワインを手に、進捗伺いにいく程度である。

「陛下、こちら地中海のマレーナからの献上品でございます。大変珍しいワインだそうですよ。いかがですか」

「ああ、良いな。貰おうか」

 バルトルトは普通に返して飲み始める。旨いな。もう二本持ってこいとか言いながら。

 以前だったら、

「賓客とは誰なんだ!? なぜ俺に挨拶に来ない!?」

 と怒鳴り散らしていただろう。正直、腑抜けと言って差し支えない。


 クメルドの国政はその実権を貴族どもが握っていた。

 国の富をほぼ掌握している彼らは身の回りを維持するために政治を行っている。貴族は長らく王家を軽んじてきた。特に先代は気が弱く、酒池肉林を好む宰相に遊ばれていたと言って良い。そんな父を見ていたバルトルトは、即位した日に一言の言い訳もきかず宰相を斬った。これが悪王と言われる所以である。しかし、斬ったからと言って不思議と内政に目を向ける訳でもなく、ただただ暴れ回っていたのだ。バーガスからすれば意味不明な王だった。


 バルトルトは争いがあれば好んで出兵し、赴くままに剣を振るってきた。実際強く俊敏で、王と言うより歴戦の猛者の方がしっくりくる。いつも不機嫌な顔で出て行って、血みどろで城に帰った。その異様な雰囲気に、内心貴族たちは震えあがっていたのだ。内政に興味はないとしながらも、宰相のように突然殺されるかもしれないと。

 良い王になれば良いのか、と言うとこれが難しい。

 貴族共を問答無用に蹴散らせば、国政を担う者は空になる。国が傾いてしまう。バルトルトが暴君である事実は、非常に厄介な均衡を保っていたのだった。


 ◇


「ルールーたん、あーそーぼ!」

 金曜夜、テラスでスタンバイしていたバルトルトは、声が聞こえるやいなやスイッチが入り羽ばたいた。今日は土産を持参してある。美味しかった地中海ワインだ。早くマスターに渡したくてうずうずしていた。

 南の山まで呼ばれたルルが鉤爪の先にぶら下げた二本のボトルを見せると、歓声を上げる。

「なにこれ。めっちゃ高そうで美味しそう!」

 ありがと~! 後で飲もう~! と喜んで、空中散歩の後でマスターはワインを開けた。

「んん!? 凄っ、美味しい!!」

 芳醇な香りと濃厚な渋み。ヒマリは大満足でワインを飲んだ。そうだろう、美味いだろうとルルも頷く。


 いいなぁ。俺も一緒に飲みたい。


 友だちなんかいないから、気楽に誰かと酒を飲んだこともなかった。いつもイライラしていたから、酒は苛立ちから逃げる為のもので、その美味しさに気が付いたのは最近である。

「ルール、ルール。ルルも一緒に飲めたらいいねぇ!」

 半分ほどをチビチビと飲んでいたヒマリは酔っぱらい始め、そのせいで眠っているのと同じくらいに意識が低下した。無意識状態である。手綱が緩んで、バルトルトが繰り返し羨んだ結果、ぽん!とルルはバルトルトになった。

「おっと!? へーかじゃないれすか」

「おおっ。戻った!! お前……酒に弱いんだな」

「まぁね。いつも、みんなで飲んれも、ねちゃうしね」

「みんなで? みんなって誰だ」

「竜の巣を~、探すぱーてぃー!」

 そう言えば、最初にずっと自分を探していたと言っていた。バルトルトは嬉しくなる。

「ずっと探してくれていたんだよな……ありがとう、マスター」

「いいの、いいの! わらすは、竜使いになりたくってきらのら」

「どっから?」

「てんごくからら」

 なのに、だーれもしんじない。絶対ルルはいるのに、だーれもしんじないから!!

 急に悲しそうになった女はワンワン泣いた。バルトルトまで妙にしょんぼりする。

「泣くなよ。もう会えたんだから良いじゃないか」

「そらね……うう……」

「パーティーはずっと同じ所に所属していたのか」

 ヒマリはルルに会いたくて、色んなパーティを渡り歩いて巣を巡っていたと説明した。

「そうか。苦労をかけた」

「そうよ。あんら、苦労かけれるら。あんたがしっかりしてないからぁ、クメルドは貴族の国ら。貴族しか幸せになれないのら。あんたがちゃんと見ていたら、クロスの妹だって、入院できたのに!」

「んん? 待て待て、何の話だ。クロス?」

「そーら。クロスは勇者ら」

 勇者だと? バルトルトはムッとする。

「男か!?」

「おこと~…? あー、嫁に貰うってやつ。あーあー、あら冗談ら」

「なっ……!」

 だが、とにかく!! とヒマリは突然怒り出す。

「もっろ、いーおーさまになんの! みんなごはんたーべーて、ぐっすりねーて、しんどかったら入院れきる、にっこにこのルルたん!! みんな、できないの!! いい、わかた!?」

 わからん。

「……わかった」


 満たされない食事も、ぐっすり眠れないつらさも、イラついてどうにもならない日常も、バルトルトはもう知っていた。今ならわかる。自分ではどうにも出来ない日々だった。それがどれだけ虚しくて、淋しいか。得て初めて知る不完全は彼を素直にしてくれた。


「ぬあ~! ちょ、ぐるじ……」

「俺は心を入れ替える。詫びよう」

 ルルみたいな顔をしたバルトルトがヒマリに抱き着く。別に主人に謝罪したって意味なんかないのだが、怒ってくれる人なんてどこにもいなかったから。

「なぁ、マスター。教えてくれ、名前を……ずっと側にいてくれないか……マスター……マスター?」


 ちょっと力を込め過ぎて、マスターは気絶していた。


 ◇


 ポカポカ陽気の昼休み、ヒマリは新聞を手にコーヒーを飲む。

「ヒマリちゃん、ちょっと、昼寝をしてくるよ」

「かしこまりました! 行ってらっしゃいませ~!」

 自宅になっている二階へ上がる老医師を見送ると、改めて見出しを眺める。


『ノイトミヤン山の魔物も一掃! 竜の大活躍』

『バルトルト王 悪の枢軸の更迭完了』


 ルル、前に出て! なんて言わなくても、今日も出まくっている。

 どっちも中の人は同じなんだよ、と知っているのは本人とヒマリだけだ。

 明日はようやく金曜日。最近はバトル相手に困っている。最後は他国の竜とバトルするしかないかもしれない。どこも悩みは同じなはずだ。次は何して遊ぼっかな~。


 そう言えば、ヒマリは昨日顔色の悪いジャスミンと会ったことを思い出した。王都に付いた途端、クロスが衛兵に連れ去られたと言っていたが、あれからどうなったのだろう。家にもまだ来ていない。

「………止まれ!」

 馬車やら蹄の音や、人の声が聞こえてきた。

 いつもは静かな午後の診療が始まるまでの外が、なにやら騒々しい。

 急患かな。

 新聞を畳んで、立ち上がる。



 診療所の前で止まった馬車の扉を開いたバーガスが、主人に花束を手渡した。

「大丈夫でございますよ、(今の)陛下なら」

「………」

 看板のかかった白い入り口の前で深呼吸を繰り返し、バルトルトはノックした。

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(名乗らぬまま)転生竜使いが、暴君陛下を飼い馴らそうと決意しました。 @aki_teru

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