「どっちの髪がきれい?」
をはち
「どっちの髪がきれい?」
俺の名は高見哲也。
とあるインディーズバンドでヴォーカルを務めている。
四十を過ぎても、髪を腰まで伸ばしたままの生活を続けている。
それが両親の逆鱗に触れるのは、予想できたことだ。
「髪を切るまで、実家に帰ってくるな」
父の言葉は、いつものように低く響いた。母はただ、ため息を漏らすだけ。
まあ、理解できる。
俺の髪は、ただ長いだけでなく、黒く艶やかに波打つ。
ステージでスポットライトを浴びるたび、観客の視線を奪う。
それが俺のアイデンティティだ。
切る気など、毛頭ない。
そんなある夜、マンションの廊下で、奇妙なものに遭遇した。
壁に、何かが引っかかっている。
ロングヘアのウィッグだ。風にそよいで、まるで生き物のように揺れている。
俺は足を止め、ぼんやりと見入った。なぜこんな場所に? 誰かのイタズラか?
だが、次の瞬間。それはゆっくりと、わずかに上へ、上へと這い上がった。
目を凝らす。ウィッグではない。髪だ。生きた髪。
恐ろしく痩せ細った体躯が、その髪に覆われながら壁をよじ登っている。
老婆か、子供か。身長は百三十センチほどだろう。
髪は身の丈を優に超え、黒い瀧のように垂れ下がり、壁に絡みつく。
まるで髪自体が手足のように機能している。
上を見上げる。俺の部屋の二階上、窓が開いている。
あいつは、ひょいとその窓枠に取りつき、音もなく室内へ滑り込んだ。
翌朝、ニュースが俺を震えさせた。
「マンション上階の住人、頭皮ごと髪を剥ぎ取られる重傷」
被害者は三十代の男性。ロングヘアの持ち主だった。
犯人は窓から侵入し、突然こう尋ねたという。
「どっちの髪がきれい? どっちの髪が長い?」
自分の髪が短いと知るや、男の頭皮を髪ごと引き剥がし、持ち去った。
動機は不明。警察は異常事件として捜査を始めたが、手がかりはゼロ。
俺は画面を凝視しながら、背筋に冷たいものが走った。
あの夜の影──あれが、犯人だ。
数週間後。俺は部屋でくつろいでいた。ギターを爪弾き、ビールを飲む。窓は閉め切っている。五階だ。外は静かな夜。
突然、窓ガラスが軋んだ。ノック? いや、違う。
外から、何かが這い上がってくる音。慌てて窓を開け、下を覗く。
マンションの壁に、あいつがしがみついていた。
痩せた体、長い髪が風に舞う。顔は影に隠れ、だが目だけが輝いている。
俺の顔を認識した瞬間、あいつはにたりと笑った。歯茎が剥き出しの、乾いた笑み。
そして、枯れ枝のような手が窓枠を掴む。体が滑り込み、部屋に落ちた。
床に這いつくばり、ゆっくりと顔を上げる。その目は、俺の髪を貪るように見つめている。
「どっちの髪がきれい? どっちの髪が長い?」
声は、かすれた囁き。俺の髪は、腰下まで。だが、あいつの髪は、床を這うほどに長い。
俺は後ずさる。心臓が、喉元で暴れる。
あいつは立ち上がる。髪が、生き物のようにうねる。今夜、俺の髪は、誰のものになる?
「どっちの髪がきれい?」 をはち @kaginoo8
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