ステージ17:内なる『不協和音』

【ステージ16の結末より】

玲は、滝の真下で、静かに、座した。

凄まじい水流が、彼女の、傷ついた身体を、容赦なく打ち付ける。

そして、その「音」が、彼女の「魂」の奥底に眠る、本当の「ノイズ」を、呼び覚まし始めた。

【滝壺の試練】

ゴオオオオオオオオ――

耳が、痛い。

地下鉄駅の「聖歌」のノイズとは違う。カインの「ハウリング」とも違う。

それは、純粋な「水」という、圧倒的な質量が叩きつけられる、物理的な「音」の暴力。

だが、その轟音は、玲の「聴覚」だけではなく、彼女の「精神(クオリア)」をも、容赦なく削り取っていく。

(……寒い……。痛い……。うるさい……)

空摩の言葉通り、武器を捨て、技を忘れ、ただ「座す」。

それは、CIROエージェント「霞」として、常に「戦う」こと、「対処する」ことだけを叩き込まれてきた玲にとって、何よりも過酷な拷問だった。

(……聴け、と……言われても……!)

彼女が、意識を集中しようとすればするほど、滝の轟音は、別の「音」へと姿を変えていく。

それは、彼女が、地獄の連戦(バトル・ラッシュ)の中で、切り捨て、ねじ伏せてきた、敵たちの「声」だった。

『……実に醜悪な『ノイズ』だ……』

フェイの、嘲笑うかのようなテノールの声。

『……お前の『音』は、乱れすぎている……』

黒龍の、冷徹な宣告。

『……なぜだ……。なぜ、俺の完璧な『剣』が……お前のような『紛い物(ノイズ)』に……!』

ステュクスの、屈辱に満ちた絶叫。

「……違う……!」

玲は、その「音」を振り払おうと、頭(かぶ)りを振る。

だが、滝の轟音は、さらに、彼女の魂の奥底に眠る、最も聴きたくない「ノイズ」を、呼び覚ました。

『……玲……』

(!)

あの、懐かしい声。

暗闇の地下迷宮で、エコーが模倣した、歪んだ声ではない。

玲の記憶の中に、完璧な「調和」として保存されているはずの、愛する人の声。

『……なぜ……助けてくれなかったんだ、玲……?』

「―――ッ!!」

幻聴だ。

わかっている。

だが、その「声」は、滝の水飛沫(みずしぶき)と共に、確かに、玲の目の前に「姿」を現した。

血と、炎にまみれた、高遠 渉の姿が。

「……ちがう……! 私は、あなたを……!」

『……君のせいだ、玲……。君が、弱かったから……。君が、あの時、私を……』

「やめてッ!!」

玲は、絶叫した。

彼女は、自らのクオリアを、再び、あの「不協和音(ノイズ)」の奔流へと変えた。

ステュクスを打ち破り、カラスのジャマーを破壊した、あの「憎悪」と「拒絶」の力。

(うるさい! うるさい! うるさい!)

(お前も、渉も、私を責めるな!)

(私は、戦ってきた! 私は、生き延びた!)

玲が放つ、荒々しい「不協和音」が、滝の轟音と激しくぶつかり合う。

彼女の身体から、青白い火花のようなクオリアのオーラが立ち上り、滝の水飛沫が、そのオーラに触れて、音を立てて「蒸発」していく。せ

【聖域の『音』と、門前の『攻防』】

その、あまりにも強烈な「不協和音」の発生を、村で見守っていた聖華と尊が、同時に感じ取った。

「……ああっ……!」

聖華は、胸を押さえ、苦痛に顔を歪めた。

「……尊! 玲さんの『音』が……! 苦しんでる……! まるで、魂が、内側から引き裂かれているみたい……!」

「……フン」

尊は、長巻の柄を握りしめ、冷ややかに、滝の方向を睨みつけた。

「……あれが、奴の『本性』だ。住職の『教え』さえも拒絶し、ただ『力』に溺れる、獣の『音』。……やはり、聖域に入れるべきではなかった」

聖華が、何かを言い返そうとした、その時。

尊の表情が、一変した。

彼は、滝とは逆方向――村の「入り口(結界)」の方向を、鋭く睨みつける。

「……チッ。あの『化物』どもめ……!」

その頃。

結界の外側では、カラスが、ついに、その「不協和音」を完成させていた。

「……面白い。実に、面白い……!」

カラスは、部下の持つ解析モニターを、恍惚(こうこつ)として見つめていた。

「……結界の『内側』から、凄まじい『ノイズ』が発生したぞ。……あの『楽器(玲)』が、自ら、この聖域の『調和』を乱してくれているらしい!」とカラスの部隊が展開した、無数の「対クオリア・ジャマー」が、一斉に、その周波数を、玲が放つ「不協和音」の周波数へと、同調(シンクロ)させていく。

「……今だ! この『ノイズ』を増幅させ、結界の『穴』をこじ開けろ!」

カラスが、高らかに命じた。

カラスの部隊が放つ「歪んだノイズ」が、玲が放つ「苦痛のノイズ」と共鳴し、那智の村を守る「結界」の一点を、凄まじい勢いで「侵食」し始めた。

「……!」

黒龍も、その「歪み」を、自らの「気」で感知していた。

(……あの烏(カラス)、結界を破る気か。……好都合だ)

黒龍は、部下(夜行衆)に、静かに「突入」の合図を送った。

そして、天井に張り付いていた、エコー。

彼女のホログラムマスクが、玲とカラスの部隊が放つ、二重の「不協和音」に共鳴し、激しく明滅する。

「……くるしい……。おなじ、『おと』……。玲……。くるしい……」

彼女の深層意識(オリジナル)が、その「苦痛」に引きずられ、刺客(アバター)としての「論理」が、バグを起こし始めていた。

【『音』を受け入れる】

「はぁっ……はぁっ……!」

滝壺で、玲は、憎悪の奔流を解放し続け、ついに、膝をついた。

『月の芋』で回復したはずの力が、空摩の言う通り、この「不協和音」の解放によって、再び、底を突きかけている。

だが、目の前の「渉の幻影」は、消えない。

敵たちの「嘲笑」も、消えない。

ねじ伏せようとすればするほど、その「ノイズ」は、滝の轟音と共に、玲の魂に、深く、深く、食い込んでくる。た(……ダメだ……。消せない……!)

意識が、遠のいていく。

このままでは、憎悪に飲み込まれ、あの「バーサーカー」たちと、同じものになってしまう。

(……渉……)

薄れゆく意識の中、空摩の、あの静かな声が、蘇った。

『――ただ、『聴け』』

『――その全てを、この滝の音が、お前に『聴かせて』くれる』

(……聴く……?)

(……この、私を責める「声」を……?)

(……この、私を嘲笑う「ノイズ」を……?)

玲は、抵抗を、やめた。

憎悪で「ねじ伏せる」ことを、やめた。

彼女は、疲れ果てたように、その身体を、再び、滝壺の底に座した。

そして、ただ、目を閉じた。

(……そうよ……渉……)

目の前の、血まみれの「幻影」に、彼女は、心の中で、初めて、語りかけた。

(……私は、あなたを、助けられなかった)

(……私が、弱かったから。……あなたを、失った)

(……それが、私……)た

彼女が、自らの

」かのように、静かで、澄み切った「調和」の「音」を、奏でていた。

「……これが……『調律』……」

玲は、二人の前まで歩いてくると、住職の空摩が、まだ、そこに座して、自分を待っていたかのように、その前に、静かに、膝をついた。

「……ただいま、戻りました」

空摩は、何も言わず、ただ、その深淵(しんえん)のような瞳で、玲を見つめ、そして、初めて、その口元に、わずかな「笑み」を浮かべた。

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