【小説】ダブルフェイス・ゲーム ~調律者の地獄巡り~ 

文人 画人【人の心の「穴」を埋める】

ステージ1:地下鉄駅(四つ巴の崩壊)

【バトル1 vs. 掃除屋(フェイ&ミカゲ)】(クライマックス)

(……やるしかない。この二人の「調和」を、私が「調律」で乱す……!)

玲は、負傷した肩の痛みを、逆に意識の集中点とした。極限の集中が、暴走する「聖歌」のノイズの奔流の中から、二つの相反する「音」を拾い上げる。

フェイの「音」は、躍動するリズム。生命を賛美するような、純粋な戦闘への歓喜。

ミカゲの「音」は、絶対的な静寂。全てを無に帰すための、研ぎ澄まされた虚無。

完璧に噛み合った「動」と「静」。だが、それ故の脆さがそこにはあった。

「――今ッ!」

フェイが三度、必殺の軌道で蹴りを放ち、ミカゲがその死角から刀を滑り込ませようとした、そのコンマ数秒の瞬間。

玲は動かなかった。回避でも、防御でもない。

彼女は、自らのクオリア――「調律者」としての力――を、ミカゲの「静」の音に無理やり「共鳴」させたのだ。

(聴けッ!)

玲の精神が、ミカゲの研ぎ澄まされた意識に、強引に流れ込む。

それは、偽預言者が暴走させた「聖歌」のノイズ。駅全体が崩落する轟音。フェイが立てるリズミカルなステップの音。

ミカゲが完璧な一撃のために切り捨てていた、あらゆる「雑音」の奔流だった。

「……!?」

ミカゲの瞳が、初めて驚愕に見開かれた。

彼の絶対的な「静」の世界に、玲が流し込んだ「ノイズ」が響き渡る。ほんの一瞬、彼の完璧な精神の「調和」が乱れ、その刀身がコンマ数ミリ、狙いを外した。

その一瞬を、玲は見逃さない。

「お前の『音』は、そこだ!」

玲は、ミカGの斬撃を、自らのサブマシンガンの銃身で受け流す。甲高い金属音。

同時に、フェイの蹴りが玲の脇腹を掠める。肉が焼けるような激痛。

だが、玲は構わなかった。

(抜けろッ!)

がら空きになったミカゲの胴体。しかし、玲は攻撃を選ばなかった。彼女の目的は、敵の排除ではなく、制御室への「突破」ただ一つ。

玲は、ミカゲの体勢が崩れたその一瞬を利用し、二人の刺客の間を、傷ついた獣のようにすり抜けた。

「何!?」

フェイが驚愕の声を上げる。

玲は、制御室へ続く階段を転がり落ちるように駆け上がった。背中に、フェイの「Adagio(アダージョ)(緩やかに)……死ね」という冷たい声と、ミカゲの放ったであろう第二の斬撃の風圧が突き刺さる。

だが、玲は振り返らない。

制御室の、分厚い防音扉に全体重を預けて倒れ込む。

ガチャン、と重い音を立てて扉が閉まると同時に、彼女は内側のロックを強引に叩き折った。これで数秒は稼げる。

「はぁっ、はぁっ……!」

肩で息をしながら、玲は制御室を見渡した。暴走する「聖歌」のノイズが、ここでは防音壁のおかげでいくらか遮断されている。

そして、その中央。

夥しい数のモニターと配線に囲まれ、一人の男が静かに立っていた。

黒い戦闘服に身を包み、その背中には龍の刺繍。

彼もまた、この大混乱の中、最短距離でここに到達していたのだ。

男が、ゆっくりと振り返る。

その瞳は、冷徹な氷河のように、一切の感情を映していなかった。

「……やはり来たか、『調律者』」

東亜連邦国家安全部・特殊部隊長、龍 雷。

コードネーム――黒龍(ヘイロン)。

【バトル2 vs. 国家の刃(黒龍)】

息が詰まる。

フェイとミカゲという「異物」とは違う、純粋な「武」の圧力が、負傷した玲の身体を締め付けた。

ここは狭い制御室。逃げ場はない。

「目的は同じようだな」

黒龍が、暴走するコンソールに一瞥をくれる。

「だが、その『音』を止める前に、お前には聞かねばならんことがある」

「……問答無用、というわけね」

玲は、サブマシンガンを構え直す。だが、その銃口が、黒龍を捉える前に。

黒龍の姿が、消えた。

(速い――!)

フェイのそれとは異質の、重力を感じさせない直線的な踏み込み。

玲が反応するよりも早く、黒龍は既に玲の懐にいた。

「ぐっ……!」

鳩尾(みぞおち)に、突き刺さるような衝撃。

ガードしたはずの腕が、まるで存在しないかのように突き破られ、衝撃が内臓に直接叩き込まれる。

「意拳」。筋力ではなく、「気」そのものを叩き込む、中国武術の奥義。

玲の身体が「く」の字に折れ曲がる。だが、彼女もまた、ただでは終わらない。

(……もらった!)

懐に入られたことは、同時に、懐に入ったことを意味する。

玲は、父から受け継いだ古武術の奥の手――「浸透勁」を、ゼロ距離で黒龍の脇腹に放とうとした。

だが、

「――遅い」

黒龍の手刀が、玲の手首を正確に捉える。パキ、と骨が軋む音が、轟音の中でもやけにクリアに響いた。

黒龍の「聴勁」。それは、玲の「調律」にも似て、相手の力の流れ(筋肉の収縮、気の流れ)を完璧に読み取る技術だった。

「お前の『音』は、聴こえやすい」

黒龍が、玲を壁に叩きつける。背中を強打し、肺から空気が強制的に絞り出された。

消耗し、負傷した玲と、万全の黒龍。その力の差は、絶望的だった。

「魂石の欠片を渡せ。そして、お前の『調律』の力、妹・晶(ジン)のために使わせてもらう」

黒龍の冷たい指が、玲の首にかかる。

(……ここまで、か……)

意識が遠のきかけた、その瞬間。

二人の激突の衝撃が、ついに限界を超えさせた。

ビギィッ!

制御室のコンソールが、火花を散らして爆発した。暴走していた「聖歌」が、断末魔の叫びのような最大音量のノイズを放ち、完全に沈黙する。

そして、

ゴゴゴゴゴゴ……!

音の「楔」を失った地下鉄駅全体が、耐えきれず、完全な崩落を開始した。

「……チッ」

黒龍が、崩れ落ちてくる天井を見上げ、玲から手を離す。

(……今しかない!)

玲は、最後の力を振り絞り、黒龍の足元に転がっていた消火器を、崩落とは逆方向の壁――制御室の、もう一つの小さな出口――に向かって投げつけた。


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