第10話 少女の言い訳
〈王家・教会御用達 マイカでパンと菓子ならセイスの店へ〉
裏通りを川沿いに歩いてきたトビアスとジルは、小さな看板の前で足を止めた。
洒落た庇のついた石造りの建物の角から、パンや紙包みを抱えた人が次々と出てくる。
看板には、パンの焼き上がり時刻も記してある。客はその時刻に合わせて買いに来るのだろう。
「中が混雑してるから、トビーは待ってて」
とジルが言い、店に入っていった。
店の前に据えてあるベンチには、筋骨隆々の男が座っていた。広口の瓶に入った飲み物を呷っている。瓶の中には輪切りにした緑の果実が浮いていた。
腕組みをして立っていたトビアスは、男のうまそうに飲んでいるものが気になった。
格子窓から薄暗い店内を覗いてみれば、中は結構な広さである。パン売り場の奥のカウンターで飲み物や軽食を注文できるようだ。
トビアスは急に喉の渇きを覚えた。
客の波が落ち着くのを見はからって店に入ると、ちょうどジルが勘定をしているところだった。
「飲むものを買ってくる」
「小銭、あるのかい」
ジルが振り返って訊いた。
「隠しに裸銭を少しばかりつっこんできた」
「トビー、言葉遣い。フェリス様がここにいたら、どやされるとこだぞ」
トビアスは笑いながら奥に進んでいった。
店員に確認すると、さっき見た男が飲んでいたのは、青蜜柑の発酵飲料らしい。それをジルの分も注文して、代金を払ってから、トビアスは店内を見回した。
種類豊富なパンや焼き菓子が棚いっぱいに置かれ、新鮮な果実を飾ったケーキまでショーケースに並んでいる。
ノルトケンの店では見かけないような贅沢な品揃えだ。やはりマイカは豊かな街なのだ。
トビアスが感心していると「しつこい子だね、何度も言わせないでおくれな」と叱りつけるような女の声が聞こえた。
トビアスは何気なく声の方を見た。
長いカウンターの壁際で、少女が棒立ちになっていた。
藍染のワンピースを着た肩が震え、不格好な背負い籠がずり落ちそうになっている。
町娘らしいカーチフで頭を覆っていて、トビアスの位置からは顔はよく見えないが、ひどく動揺する様子が伝わってきた。
「誰の入れ知恵? よくもこんな野暮くさい菓子を」
更に中年の女店員が押し殺した声でそう言い、カウンター越しに何かを少女へ押し返した。
少女は頭を何度も下げて謝りながら、それを籠にしまった。
客足が途切れた店の中は静かだ。少女の「ごめんなさい」と謝るか細い声が、トビアスにもはっきりと聞こえた。
最後に深々と頭を下げると、少女は足早に店を出ていった。
きつい声色で少女に文句を言っていた女店員は、接客中の店員の背後に立ち、トビアスには打って変わって愛想の良い声で言葉をかけた。
「お飲みになった瓶は、こちらに返却をお願いしますね」
トビアスは無言で瓶を受け取った。
外で待っていたジルに瓶を渡す。
「そこで飲んでいこう」
「他の客もいるのに、店員があんな口のきき方をするとは、なってないね」
ジルが呟いた。
「まぁ何か理由があったんじゃないか」
とトビアスは答えた。
店前のベンチに並んで腰かけ、しばらく無言で飲み食いしていると、突然、ジルが「あの子だ」と言った。
ジルの視線の先には、店員に叱られていた少女がいた。川岸の木陰で、背負い籠を下ろし、脚を伸ばして休んでいるようである。
ジルはおもむろに立ち上がって、少女の方へ近付いていく。トビアスは慌てて追いかけた。
あ……。少女はジルとトビアスの顔を交互に見上げて、小さく口を開けると、真っ赤になって両脚を胸元に引き寄せた。
澄んだ目を見開き、心なしかまだ震えているようでもあった。
びっくりさせて悪いね、とジルが謝りながら、少し離れてしゃがんだ。
「さっき、セイスの店で、店員に何か言われていたみたいだったけど」
と話しかけると、少女は激しく頭を振った。
「あ、あ、あの、私が悪いんです。私の作ったお菓子をお店に置いていただけないかと、図々しく飛び込みでお願いにあがったものですから。たまたま通りかかって、とても素敵なお店だったので……。私が失礼だったんです」
少女の銀に近い灰色の髪が、木漏れ日に透けてきらきらと光っている。前髪の上から麻のヘアバンドをつけているのが珍しい。
頬が火照っているところを見ると、暑苦しかったのだろう。カーチフは外して手に握っていた。
トビアスの視線に気づいて耐えられなくなったのか、少女は涙ぐんで下を向いてしまった。
「ちょっとトビー、そんなふうに見たら怖い」
ジルに小声で注意されて、トビアスははっとした。
「これは失礼した。僕はただ君の髪色が……」
女性でこんな髪色は見たことがない、とトビアスは言いかけたのだが、自分でもしつこいような気がして、口をつぐんだ。
少女は恐る恐る顔を上げ、再度トビアスとジルを順に見やり
「それで、私にご用でしょうか」
と尋ねた。ジルの方を窺うと、困り顔で黙っている。
(なんなんだよ……)トビアスは苦笑して、仕方なく思いついたままに答えた。
「その菓子を、僕達に食べさせてくれないかな」
一瞬、少女は惑うように目を泳がせたが、すぐに嬉しそうな笑顔になった。背負い籠の中から、丸い包みを取って差し出し
「いつもは黄金通りの万屋さんで買い取ってもらってますの。売れ行きが良くて、評判も上々と褒められるので、つい調子にのって、他のお店でも扱ってもらえないか、なんて考えてしまったんです。こんなお菓子がお口に合いますかしら」
とはにかんで言った。
ジルが、ここで食べるのか? とからかうような目でトビアスを見た。
先刻のジルとのやりとりの中で「道端でものを食べるな」と注意したことを思い出したトビアスはまた苦笑いした。
「今回は許す」と小声で言うと、屈んで少女の手からそれを受け取った。
そして早速、油紙をむいた。
真っ白い菓子だ。甘酸っぱい香りが漂う。ふわふわの菓子を割ると、朱色のジャムが中に入っていた。ジルにも半切れを渡す。
「おいしいね。白パンよりも柔らかくて弾力もあって。これは何のジャム?」
トビアスが褒めると、少女は口に両手を当てて、顔いっぱいに笑みを浮かべた。
「農場で採れるカロの実です。外側の生地には、すりおろした野芋を練り込んで蒸してあるんです。白パンに似てますが、生地の配合が全然違います」
「へぇ。菓子というと焼いた硬い物が多いようだが、蒸すとは面白い」
「カロの実なんて初めて聞いたな。あっさりして、いくつでも食べられそうだ」
トビアスとジルは喋りながら、菓子をぺろりと平らげた。
もう一つどうぞ、と少女が手渡した方は、よくある形のケーキだったが、乾した黒すぐりと栗がぎっしり入っていた。
「変わった組み合わせだね」
トビアスはケーキを持ち上げて、断面を見た。
「その生地には、粉末にした木の実を混ぜてます。私の住む農場は田舎ですから、街のお店のように食材も揃えられません。それで、身近にある物をひと工夫して使うのですが、街の方には珍しく思われるみたいですね。中に入っている栗は裏山で拾いますし、黒すぐりも私が摘んできたんですよ」
とくすくす笑って「もし、よろしかったら、こちらのパイもいかがですか。試食の為に作ってきたんですけど……」と言い、木箱を開けて勧めた。
「これもうまそうだね。頂くよ」
遠慮なくパイに手を伸ばしたジルは、勢いよくかぶりついた。
「ありがとう。僕はもう満腹なので結構だよ」
トビアスは少女に微笑み、断った。
すると、ジルが何か言いたげにトビアスを見てから、食べかけのパイを膝に置いた。そして口の中のものを飲み込むと、にこにこと笑う少女に向かって
「君は、ここらの出身じゃないね?」
いきなりそう尋ねた。
「へ? なぜですか」
少女が訝しげに問い返す。
ジルはパイの中身を指して
「ひき肉とじゃが芋のパイはよくあるけど、そこに切ったゆで卵と花豆が入るのは珍しい、いや、とても特徴的だからさ」
と怒ったように言った。
「あ、そのパイは死んだ私の母が作っていたとかで、母を知っている人が作り方を教えてくれました。腹持ちが良いと農夫さんにほめられるので、農場でもよく作るんですけど」
説明をする少女の顔に、不安が広がっていくのが判った。ジルもそれに気づいたのか、いくぶん語気を抑えて
「そうか。僕には懐かしい味だったから、びっくりして聞いただけなんだ」
と言い訳すると、残りのパイを口に放り込んだ。
「ところで、君。菓子が余っているなら、買い取らせてもらうが」
トビアスはとり成すように言ったが、少女は青白んだ顔で
「いいえ、いいえ。おいしく食べていただけたのでしたら、よかったですわ」
そう返し、立ち上がると素早く背負い籠の紐に腕を通した。それから
「お時間をとらせて、すみませんでした」
と何度もお辞儀をして、逃げるように通りを渡っていった。
「呼び止めたのは、こちらだったのに」
トビアスは呟いた。
ジルの方を見れば、まだ眉間に皺を寄せている。
「不機嫌だな。ジルらしくもない。さっきは急にどうしたんだ」
と訊くと、ジルは「いや……」と口ごもった。
トビアスもそれ以上こだわる気はなく、フェリスと揃いの懐中時計を見て、立ち上がった。
「急がないと時間に遅れそうだ。せっかちなフェリスが、待ちくたびれていないといいけれど」
セイスの店へ瓶を返却し、その足で川沿いを再び北に進んでいくことにした。
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