第8話 九つの影

朔夜は、腕を掴んだまま微動だにしないローブの人物を見上げた。


「あんた、誰なんだ?」


朔夜の問いかけに、白いお面をつけた人物は感情のない声で答えた。


「知らなくていい」


その言葉は、拒絶というよりも、静かな断言だった。お面の下の表情は窺い知れないが、その声には一切の迷いがない。


白いお面をつけた人物は、静かに朔夜の手を離すと、倒れて気絶しているペルセの巨体を片手で担ぎ上げた。その動作には、一切の苦労が見られなかった。ペルセはローブの人物よりも遥かに体格が良いにも関わらず、まるで軽い荷物のように持ち上げられている。


彼は俊や花に目を向けることもなく、高架下の奥にある瓦礫の影に向けて、音もなく走り出した。


「おい、待て!そいつをどこに連れてくんだ!」朔夜は叫びながら、その背中を追ってすぐに走り出した。


白いお面をつけた人物は、瓦礫の影に身を滑り込ませると、瞬時にその姿を消した。朔夜は勢いよく瓦礫の裏まで追いついたが、そこにいたのは、積み上げられたコンクリートの塊と、吹き抜ける冷たい風だけだった。まるで最初から存在していなかったかのように、人影は跡形もなく消え去っていた。


朔夜は、追撃を阻まれた悔しさと、謎の人物の異常な速さに、荒い息を吐いた。


「くそっ…!」


花は、あまりに奇妙な出来事に、未だに震えが止まらない。


「あの人…何だったんでしょう?」


俊は静かに、瓦礫の影をじっと見つめていた。その表情にはいつもの冷静さがあったが、瞳の奥には深い考察の色が浮かんでいた。


「わからない。だが、敵ではないようだ」俊はそう言って、再び歩き出した。「行こう。」


三人は、奇妙な介入者によって九死に一生を得たが、その旅路は、新たな謎と、より強力な敵の存在によって、一層重いものとなった。


―――――――――――――――――――――――


夕暮れ時、荒廃した街の一角にある地下施設に、アテーナーが一人で戻ってきた。彼女は左肩を押さえ、痛みに顔を歪ませていた。優雅な戦闘服には土埃がつき、敗走の跡がはっきりと見て取れる。


地下深くにある巨大な格納庫のような空間には、人影がいくつか集まっていた。


「あらあら、おかえり、アテーナーさん。まさか、あいつら相手に、怪我しちゃったのぉ?」


長い黒髪をツインテールにし、いかにも幼い少女のような服装をした者が、アテーナーの姿を見るやいなや、甲高い声で笑い始めた。その笑い声は、アテーナーの苛立ちを煽るには十分だった。


「黙りなさい、このガキ!」アテーナーは怒声を上げた。「変な奴が邪魔に入ったのよ! 私の『防御』が瞬時に消されたの!」


「瞬時に消された?まさか壁の寿命かしらぁ?うっふふ」少女の服装をしたメンバーは、さらに大袈裟に腹を抱えて笑った。


アテーナーが激昂し、異能を発動させようと指を動かしたその時、筋肉質な体格に坊主頭の男が、二人の間に割って入った。


「やめろ、喧嘩してる場合じゃねぇだろ。ペルセはどうした?」男は熱血漢のような強い口調で言った。


「ペルセは……あのガキにやられて動けなくなっていたわ。私は、あの白いお面をつけた奴のせいで、壁を破られ、奴を置いて逃げるしかなかったのよ」アテーナーは悔しそうに答えた。


そのやり取りを、壁際に置かれた古びたソファに座り、白くて長い顎鬚を蓄えた老人が、陽気に眺めていた。


「ほっほっほっ。やれやれ、面白いことになってきたぞ」老人は愉快そうに笑った。「まさか、ペルセとアテーナーが揃って、こんな失態を演じるとはな」


老人は、手元の古びた地図を広げた。その地図には、廃墟の街の先に、赤い印が記されている。


格納庫には、アテーナーを含めた八人の姿があった。


だが、影の中、格納庫の天井近くに設置された高台の上には、もう一つ、冷たい視線があった。

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