第3話 さざめく残響

アリシアの歌声がホールを満たし、

 乱れていた魔力の波形がようやく沈静化したころ――

 グランドオペラホールは静けさを取り戻していた。

 終演後のホールの裏側は、

 演者とスタッフの安堵の空気で満ちている……はずだった。

 だが今日の空気は、どこかざらついていた。





 アリシアは控室の鏡台にもたれかかっていた。

 ドレスの袖口を握りしめ、呼吸がわずかに浅くなる。



(……大丈夫、ただの疲れ。

 街の魔力が揺らいでたから、少し余計に“調律”しただけ)



 鏡に映る自分の顔色は、少し白い。

 控室の扉がノックされる。



「姉ちゃーん、入っていい?」



 声を聞いた途端、アリシアの肩がすこし緩む。



「……どうぞ、ミレイユ」



 扉が開くと、妹が心底ほっとしたような顔で入ってきた。


「うわ、なんか……ほんとに頑張ったなって顔してんじゃん」


「ちょ、ちょっと……失礼じゃない?」


「でもその通りだろ。無理すんなって」


 ミレイユは机の上の水差しに気づき、

 勝手にグラスに注いで渡す。


「ほれ、水」


「ありがと……」


 アリシアが一口飲むと、

 ミレイユは椅子に腰掛けて腕を組んだ。


「今日のあれ、やっぱ異常だったよな?」


 その問いに、アリシアは黙って頷いた。


「誰かが……街の魔力網に触れた気がする。

 自然な乱れじゃなかった」


「やっぱか。あたしも変だと思ったんだよなぁ……あのビリビリ感」


 ミレイユは膝揺らしながら、何度も口を噛む。

 落ち着かない癖だ。


「でも姉ちゃんが歌って整えたんだから、

 犯人が何者でも、ここで諦めて帰ってるといいけどな」


「……“諦める”タイプじゃない気がする」


 アリシアの声はかすかに震えていた。



(あの魔力の触り方……

 まるで、何かを“探っている”みたいだった)






 そのころ――

 街の北区、廃棄された蒸気工房跡。

 闇の中、数人の影が魔導盤を囲んでいた。


「フロウライト姉妹……やはりただ者ではないな」


「予想以上だ。あの歌、魔力網を一時的に上書きしたぞ」


「街全体を“調律”するなんて……

 あれはもう、ほとんど賢者級の能力だ」


 金色の虚影が魔導盤に揺れ、

 誰かの声が低く響く。


『問題ない。

 こちらは目的の“座標”を得た。

 六塔魔導網の中枢に近づく方法もわかった』


「しかし……フロウライトの二人が邪魔になる可能性が」


『ならば――“利用”すればいい。

 どちらか一方を、だ』


 闇に拍動のような金光が揺れた。

 それは遠く離れたオペラホールにも、

 かすかな“揺らぎ”として伝わっていく。



 ミレイユは控室を出て、

 夜のアークヘクサの街を歩いていた。

 公演後の街は賑やかで、

 飲食店から洩れる灯りと蒸気が路地をあたためる。

 行き交う人々の会話もどこか浮き立っている。


「……いい夜なんだけどなぁ」


 ミレイユは空を見上げる。

 六つの塔が均等に魔光を放つ――

 はずなのに、塔の一つだけ、わずかに光が揺れていた。

 普段なら気づかないほどの変化。

 でも街の“音”に敏い彼女には、小さなズレが分かる。


(やっぱおかしい……

 これ、今日だけの話じゃねぇな)


 胸の奥が少しざわつく。

 そこへ、懐から通信機が鳴った。


『ミレイユ!? 聞こえる!? 今どこ!?』


 通信越しの声は、

 焦りに満ちたアリシアのものだった。


「え、どうした姉ちゃん? 今帰り道だけど」


『……来ないで。

 今、ホールの魔導網に“残響”が戻ってきてる。

 さっきの乱れた魔力が、私を――探ってる感じがする』


「はぁ!? そんなヤバいの!?」


 ミレイユが振り返った瞬間、

 街の灯りが一瞬だけ揺らいだ。

 風ではなく、

 魔力の脈動が空気を震わせている。


『ミレイユ、お願い。

 今日は――帰って。

 安全な場所にいて』


「んなこと言われても――」


 会話が途切れる。

 通信機から、ノイズ混じりにアリシアの声が揺れた。


『……っ、なに……これ……』


「アリシア!? おい、どうした!!」


「――ッ!」

 ミレイユは全力で駆け出した。

 姉の声に、

 明確な“恐怖”が混じっていた。

(なにが起きてんだよ……!

 誰だよ、姉ちゃんに何しやがった!!)

 靴が石畳を叩くたび、胸の奥で魔力がざわつく。

 暴れ出す寸前の獣みたいに。

(絶対、何か起きる。

 それも――でかい)

 ミレイユは走り続けた。

 この夜の“ざわつき”が、

 ただの不調ではすまないと感じながら。

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