第3話 さざめく残響
アリシアの歌声がホールを満たし、
乱れていた魔力の波形がようやく沈静化したころ――
グランドオペラホールは静けさを取り戻していた。
終演後のホールの裏側は、
演者とスタッフの安堵の空気で満ちている……はずだった。
だが今日の空気は、どこかざらついていた。
◆
アリシアは控室の鏡台にもたれかかっていた。
ドレスの袖口を握りしめ、呼吸がわずかに浅くなる。
(……大丈夫、ただの疲れ。
街の魔力が揺らいでたから、少し余計に“調律”しただけ)
鏡に映る自分の顔色は、少し白い。
控室の扉がノックされる。
「姉ちゃーん、入っていい?」
声を聞いた途端、アリシアの肩がすこし緩む。
「……どうぞ、ミレイユ」
扉が開くと、妹が心底ほっとしたような顔で入ってきた。
「うわ、なんか……ほんとに頑張ったなって顔してんじゃん」
「ちょ、ちょっと……失礼じゃない?」
「でもその通りだろ。無理すんなって」
ミレイユは机の上の水差しに気づき、
勝手にグラスに注いで渡す。
「ほれ、水」
「ありがと……」
アリシアが一口飲むと、
ミレイユは椅子に腰掛けて腕を組んだ。
「今日のあれ、やっぱ異常だったよな?」
その問いに、アリシアは黙って頷いた。
「誰かが……街の魔力網に触れた気がする。
自然な乱れじゃなかった」
「やっぱか。あたしも変だと思ったんだよなぁ……あのビリビリ感」
ミレイユは膝揺らしながら、何度も口を噛む。
落ち着かない癖だ。
「でも姉ちゃんが歌って整えたんだから、
犯人が何者でも、ここで諦めて帰ってるといいけどな」
「……“諦める”タイプじゃない気がする」
アリシアの声はかすかに震えていた。
(あの魔力の触り方……
まるで、何かを“探っている”みたいだった)
◆
そのころ――
街の北区、廃棄された蒸気工房跡。
闇の中、数人の影が魔導盤を囲んでいた。
「フロウライト姉妹……やはりただ者ではないな」
「予想以上だ。あの歌、魔力網を一時的に上書きしたぞ」
「街全体を“調律”するなんて……
あれはもう、ほとんど賢者級の能力だ」
金色の虚影が魔導盤に揺れ、
誰かの声が低く響く。
『問題ない。
こちらは目的の“座標”を得た。
六塔魔導網の中枢に近づく方法もわかった』
「しかし……フロウライトの二人が邪魔になる可能性が」
『ならば――“利用”すればいい。
どちらか一方を、だ』
闇に拍動のような金光が揺れた。
それは遠く離れたオペラホールにも、
かすかな“揺らぎ”として伝わっていく。
◆
ミレイユは控室を出て、
夜のアークヘクサの街を歩いていた。
公演後の街は賑やかで、
飲食店から洩れる灯りと蒸気が路地をあたためる。
行き交う人々の会話もどこか浮き立っている。
「……いい夜なんだけどなぁ」
ミレイユは空を見上げる。
六つの塔が均等に魔光を放つ――
はずなのに、塔の一つだけ、わずかに光が揺れていた。
普段なら気づかないほどの変化。
でも街の“音”に敏い彼女には、小さなズレが分かる。
(やっぱおかしい……
これ、今日だけの話じゃねぇな)
胸の奥が少しざわつく。
そこへ、懐から通信機が鳴った。
『ミレイユ!? 聞こえる!? 今どこ!?』
通信越しの声は、
焦りに満ちたアリシアのものだった。
「え、どうした姉ちゃん? 今帰り道だけど」
『……来ないで。
今、ホールの魔導網に“残響”が戻ってきてる。
さっきの乱れた魔力が、私を――探ってる感じがする』
「はぁ!? そんなヤバいの!?」
ミレイユが振り返った瞬間、
街の灯りが一瞬だけ揺らいだ。
風ではなく、
魔力の脈動が空気を震わせている。
『ミレイユ、お願い。
今日は――帰って。
安全な場所にいて』
「んなこと言われても――」
会話が途切れる。
通信機から、ノイズ混じりにアリシアの声が揺れた。
『……っ、なに……これ……』
「アリシア!? おい、どうした!!」
「――ッ!」
ミレイユは全力で駆け出した。
姉の声に、
明確な“恐怖”が混じっていた。
(なにが起きてんだよ……!
誰だよ、姉ちゃんに何しやがった!!)
靴が石畳を叩くたび、胸の奥で魔力がざわつく。
暴れ出す寸前の獣みたいに。
(絶対、何か起きる。
それも――でかい)
ミレイユは走り続けた。
この夜の“ざわつき”が、
ただの不調ではすまないと感じながら。
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