第4話 消える音
アークヘクサの夜は、本来なら穏やかだ。
六本の塔から放たれる蒼い“夜間安定光”が、
街の魔力網を静かに落ち着かせ、
蒸気の粒が鈍く輝く空気をゆっくり冷ましていく。
けれど今夜の光は――
心臓の鼓動のように、脈動していた。
まるで街そのものが、胸を押さえて苦しんでいるかのようだった。
◆
ミレイユは全力でホールへ向かっていた。
蒸気路地を抜け、魔導街灯の下を駆け抜けるたび、
胸の奥にか細い針が刺さるような感覚が走る。
(姉ちゃんの魔力が……乱れてる。
こんなの初めてだ……!)
アリシアは“調律の魔女”。
本来なら魔力の乱れとはもっとも遠い存在だ。
そのアリシアの魔力が濁るなんて――ありえない。
不安が、冷たい霧のように背中を締めつけていく。
◆
グランドオペラホールに着いたとき、
ミレイユは思わず息を呑んだ。
建物全体が、うっすらと蒼光に包まれていた。
ただの魔力漏れではない。
“内部から押し広げられている” のだ。
(これ……姉ちゃんの魔力だけのはずない……誰かが干渉してる……)
嫌な確信が喉を締めつける。
ミレイユは扉を――叩きもせずに蹴り開けた。
「姉ちゃ――!」
「来ないで!!」
アリシアの悲鳴が、空気を切り裂いた。
衝撃と共に、廊下の魔導灯が一斉に弾け飛ぶ。
アリシアの魔力が“暴走”している。
いや──暴走させられている。
◆
控室前の廊下は、ほとんど“泡立つ光の海”と化していた。
アリシアの調律魔力が波のように広がり、
壁も床も軋むように揺れている。
「姉ちゃん!!」
ミレイユは腕で顔を覆いながら突き進む。
肌を刺すような強い魔力。
気を抜けば、意識が飛びそうになる。
そんな中、ようやく視界に“異物”が映った。
控室の中心に座り込んだアリシア。
そしてその前に――
空気の歪みの中から滲み出るように立つ男。
フードを深くかぶり、顔のほとんどは闇に沈んでいる。
だが、その存在だけで、空間の温度が数度下がった。
「……来たね。フロウライト家の“第二の器”」
「何だよ……お前……!」
ミレイユの声は震えていた。
恐怖ではない。怒りでもない。
理解できない“気配そのもの”に対する、本能の拒絶だ。
男は静かに笑む。
「君の魔力は……いや、“魔力”と呼ぶべきかどうか。
賢者の石の核に限りなく近い。
やはり、“始祖の賢者”の器は君だったか」
「ふざけんな……そんな話、知らねぇよ!!」
「知らなくて当然だ。
核が眠ったままだったのだから」
男の言葉に、アリシアが呻いた。
「ミレイユ……逃げて……っ……!
この人……頭の奥に……入ってくる……!」
アリシアの瞳が揺れ、蒼い光がにじんでいる。
まるで“別の人格”がそこから覗いているようだった。
「ミレイユを……守れない……!
私……今……私じゃなくなる……!!」
「姉ちゃん!」
ミレイユが駆け寄ろうとした瞬間、
アリシアの体から蒼光が噴き出し、空間がゆがんだ。
光の衝撃波がミレイユを吹き飛ばす。
◆
床に倒れ、息を整えると、
フードの男がミレイユの方を悠然と向いた。
「近づかない方がいいよ。
“調律の賢者”は今、意識の主導権を奪われかけている」
「誰が……誰が姉ちゃんにそんなことを……!」
「“六賢者の始祖”。
君と彼女、二つの器を通して目覚めようとしている存在だよ」
男が指を鳴らすと、アリシアの瞳が蒼く揺れた。
「う……あ……っ……来ないで……ミレイユ……!」
「姉ちゃん!!」
ミレイユの胸の奥が熱くなり、蒼い光が漏れ始める。
それを見た男の笑みが深まった。
「ほら……反応した。
始祖の核が、姉を守ろうと目を覚まし始めた」
「黙れ!!」
ミレイユが叫ぶと、周囲の蒼光が共鳴した。
まるで彼女自身の感情が魔力として噴き出しているようだ。
だが──。
男は微動だにしない。
「感情に呼応して力が溢れる。
君は完全な“器”だ。
この街にある賢者の石よりも……はるかに純度が高い」
ぞくり、とミレイユの背骨が粟立つ。
(純度……? 賢者の石より……?
私、そんな……)
思考が混乱するミレイユへ、
アリシアが必死に叫んだ。
「聞いちゃダメ……!
ミレイユ……逃げて……!
私、もうすぐ……“押し出される”……!!」
「押し出される……?」
フード男は静かに言った。
「彼女の魂が排除されて、
“調律の賢者”そのものが前面に出るということだよ」
「っ……!」
アリシアが頭を抱え、床に伏せた。
その背中が細かく震えている。
汗が落ち、髪が乱れ、それでも必死に抵抗していた。
「いや……やだ……!
ミレイユ……ミレイユ……私を……置いていかないで……!」
「置いてくわけねぇだろ!!」
ミレイユの声が届いた、その一瞬。
アリシアの体から膨大な魔力が弾けた。
光が爆発する。
床が割れ、窓が砕け、空気が裂ける。
ミレイユは吹き飛ばされながらも、
必死に手を伸ばした。
「姉ちゃん!!」
だが、その手が届く前に――。
フードの男だけが、
静かに光の中央に立っていた。
「始祖の器、調律の器。
二つそろえば“扉”が開く。
やはり、この街は間違えていない」
そして、世界は蒼光に包まれた。
「楽しみにしているよ。次の“覚醒”を」
声だけを残して、男は霧のように掻き消えた。
ミレイユが手を伸ばしたまま叫ぶ。
「アリシア!!」
蒼光が視界を飲み込み、
全ての音が――消えた。
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