第4話 消える音

アークヘクサの夜は、本来なら穏やかだ。

 六本の塔から放たれる蒼い“夜間安定光”が、

 街の魔力網を静かに落ち着かせ、

 蒸気の粒が鈍く輝く空気をゆっくり冷ましていく。

 けれど今夜の光は――

 心臓の鼓動のように、脈動していた。

 まるで街そのものが、胸を押さえて苦しんでいるかのようだった。





 ミレイユは全力でホールへ向かっていた。

 蒸気路地を抜け、魔導街灯の下を駆け抜けるたび、

 胸の奥にか細い針が刺さるような感覚が走る。


(姉ちゃんの魔力が……乱れてる。

 こんなの初めてだ……!)


 アリシアは“調律の魔女”。

 本来なら魔力の乱れとはもっとも遠い存在だ。

 そのアリシアの魔力が濁るなんて――ありえない。

 不安が、冷たい霧のように背中を締めつけていく。



 グランドオペラホールに着いたとき、

 ミレイユは思わず息を呑んだ。

 建物全体が、うっすらと蒼光に包まれていた。

 ただの魔力漏れではない。

 “内部から押し広げられている” のだ。


(これ……姉ちゃんの魔力だけのはずない……誰かが干渉してる……)


 嫌な確信が喉を締めつける。

 ミレイユは扉を――叩きもせずに蹴り開けた。


「姉ちゃ――!」


「来ないで!!」


 アリシアの悲鳴が、空気を切り裂いた。

 衝撃と共に、廊下の魔導灯が一斉に弾け飛ぶ。

 アリシアの魔力が“暴走”している。

 いや──暴走させられている。



 控室前の廊下は、ほとんど“泡立つ光の海”と化していた。

 アリシアの調律魔力が波のように広がり、

 壁も床も軋むように揺れている。


「姉ちゃん!!」


 ミレイユは腕で顔を覆いながら突き進む。

 肌を刺すような強い魔力。

 気を抜けば、意識が飛びそうになる。

 そんな中、ようやく視界に“異物”が映った。

 控室の中心に座り込んだアリシア。

 そしてその前に――

 空気の歪みの中から滲み出るように立つ男。

 フードを深くかぶり、顔のほとんどは闇に沈んでいる。

 だが、その存在だけで、空間の温度が数度下がった。


「……来たね。フロウライト家の“第二の器”」


「何だよ……お前……!」


 ミレイユの声は震えていた。

 恐怖ではない。怒りでもない。

 理解できない“気配そのもの”に対する、本能の拒絶だ。

 男は静かに笑む。



「君の魔力は……いや、“魔力”と呼ぶべきかどうか。

 賢者の石の核に限りなく近い。

 やはり、“始祖の賢者”の器は君だったか」



「ふざけんな……そんな話、知らねぇよ!!」


「知らなくて当然だ。

 核が眠ったままだったのだから」


 男の言葉に、アリシアが呻いた。


「ミレイユ……逃げて……っ……!

 この人……頭の奥に……入ってくる……!」


 アリシアの瞳が揺れ、蒼い光がにじんでいる。

 まるで“別の人格”がそこから覗いているようだった。


「ミレイユを……守れない……!

 私……今……私じゃなくなる……!!」


「姉ちゃん!」


 ミレイユが駆け寄ろうとした瞬間、

 アリシアの体から蒼光が噴き出し、空間がゆがんだ。


 光の衝撃波がミレイユを吹き飛ばす。





 床に倒れ、息を整えると、

 フードの男がミレイユの方を悠然と向いた。


「近づかない方がいいよ。

 “調律の賢者”は今、意識の主導権を奪われかけている」


「誰が……誰が姉ちゃんにそんなことを……!」


「“六賢者の始祖”。

 君と彼女、二つの器を通して目覚めようとしている存在だよ」


 男が指を鳴らすと、アリシアの瞳が蒼く揺れた。


「う……あ……っ……来ないで……ミレイユ……!」


「姉ちゃん!!」


 ミレイユの胸の奥が熱くなり、蒼い光が漏れ始める。

 それを見た男の笑みが深まった。


「ほら……反応した。

 始祖の核が、姉を守ろうと目を覚まし始めた」


「黙れ!!」


 ミレイユが叫ぶと、周囲の蒼光が共鳴した。

 まるで彼女自身の感情が魔力として噴き出しているようだ。

 だが──。

 男は微動だにしない。


「感情に呼応して力が溢れる。

 君は完全な“器”だ。

 この街にある賢者の石よりも……はるかに純度が高い」


 ぞくり、とミレイユの背骨が粟立つ。


(純度……? 賢者の石より……?

 私、そんな……)


 思考が混乱するミレイユへ、

 アリシアが必死に叫んだ。


「聞いちゃダメ……!

 ミレイユ……逃げて……!

 私、もうすぐ……“押し出される”……!!」


「押し出される……?」


 フード男は静かに言った。


「彼女の魂が排除されて、

 “調律の賢者”そのものが前面に出るということだよ」


「っ……!」


 アリシアが頭を抱え、床に伏せた。

 その背中が細かく震えている。

 汗が落ち、髪が乱れ、それでも必死に抵抗していた。



「いや……やだ……!

 ミレイユ……ミレイユ……私を……置いていかないで……!」



「置いてくわけねぇだろ!!」



 ミレイユの声が届いた、その一瞬。

 アリシアの体から膨大な魔力が弾けた。

 光が爆発する。

 床が割れ、窓が砕け、空気が裂ける。

 ミレイユは吹き飛ばされながらも、

 必死に手を伸ばした。


「姉ちゃん!!」


 だが、その手が届く前に――。

 フードの男だけが、

 静かに光の中央に立っていた。



「始祖の器、調律の器。

 二つそろえば“扉”が開く。

 やはり、この街は間違えていない」



 そして、世界は蒼光に包まれた。


「楽しみにしているよ。次の“覚醒”を」


 声だけを残して、男は霧のように掻き消えた。

 ミレイユが手を伸ばしたまま叫ぶ。


「アリシア!!」


 蒼光が視界を飲み込み、

 全ての音が――消えた。

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