第2話 揺らぐ街、響きあう二つの音
アークヘクサの夕暮れは、どこか切なさを含んでいる。
高い塔の最上部から蒸気が噴き、
魔導管の通る大通りには青白い魔光が走る。
街はまるで巨大なオーケストラのように、
それぞれの設備がそれぞれの音を奏でながら夜を迎える。
そんな街の中心にそびえるのが――
《グランドオペラホール》。
今夜は“調律の魔女”と呼ばれるアリシア=フロウライトの公演日だ。
街中が彼女の歌を楽しみにしていた。
◆
控室で、アリシアは椅子に座り、深く息を吐いた。
喉を整えるための温かいハーブティー。
舞台衣装の軽いきらめき。
魔導照明がわずかに揺れ、その光の揺らぎが胸に引っかかる。
(……やっぱり。今日の魔力の流れ、おかしい)
街全体の魔力の“調子”は、
調律士であるアリシアの耳には敏感に聞こえる。
六塔魔導網、
賢者の石、
魔力脈流――
本来なら全てが一つの“曲”として調和しているはずなのに。
(誰かが、外から触ってる……そんな感じがする)
だが観客を不安にさせるわけにはいかない。
アリシアは胸に手を当て、息を整えた。
そのとき――
「よぉ、姉ちゃーん。生きてるか?」
ノックもせず扉が開き、
ミレイユ=フロウライトがひょいと顔を出した。
短い金髪、油と蒸気の匂いが混ざった風、
そして咥えた煙草。
控室の空気と正反対の子が乱入してきた。
「ミレイユ……お願いだからノックしてって」
「心の中でしたよー。ほら差し入れ。甘いのだ」
「……ありがとう。そういうのは嬉しい」
アリシアが笑うと、
ミレイユは満足げに胸を張る。
「しかしまぁ……今日の街、変じゃね?」
その言葉に、アリシアは一瞬だけ表情を曇らせた。
「……気づいたの?」
「そりゃあな。バイクで魔導管の真下通ったら、
振動がズレてんだよ。
あのリズム、いつもの街じゃねぇ」
ミレイユは椅子に腰かけ、足をぶらぶらさせながら続ける。
「ま、そんなに心配はしてねぇけどな。
姉ちゃんが歌えば、全部整うんだからよ」
「……乱暴な信頼の仕方しないでよ」
「真実だろ?」
ミレイユは煙草を軽く指で弾き、
魔術で煙を霧散させる。
「はい。問題なし」
「控室で煙草自体が問題なの!」
アリシアの口調は叱っているのに、
どこか優しさが混じっている。
◆
一方、ホール裏の 魔導制御室。
技師たちの叫びが飛び交う。
「主任! 塔3からの魔力流が不安定です!」
「こっちは塔5から逆流が入ってる! 負荷が異常!」
「調整弁、限界まで開いても波形が揃いません!」
「外部干渉ログは!?」
「……出てます! 干渉元は不明!」
主任技師は舌打ちしながら魔導盤を睨みつける。
「今日に限って……誰だ……?
誰が街の魔力体系をこんなふうに触るんだ……!」
しかし“誰か”はすでに目的を果たしており、
気づかれない程度の“揺さぶり”だけが残されていた。
◆
開演十五分前。
ミレイユは客席後方に腰を下ろしていた。
場内はアリシアの公演を待つ期待と興奮で満ちている。
「へぇ……やっぱデカいな、ここ」
見上げる天井の魔導灯。
何度来ても、そのスケールに圧倒される。
しかしミレイユの中では、ざわつきが収まらない。
(……街の魔力が“びくっ”て震える。
これ……姉ちゃん気づいてるよな)
胸の奥がざわざわする。
まるで、
何か大きな“前兆”の真ん中にいるような――そんな感覚。
そのときだった。
バチンッ!
ホール全体の魔導灯が一瞬にして消える。
「えっ――」
観客のざわめきが一気に膨らむ。
「停電!?」「まさか事故!?」「魔導炉の故障か!?」
すぐに赤い非常灯が点滅し、
アナウンスが無機質に告げる。
《警告:魔力流路 異常波形》
場内は混乱し、
誰もが不安そうに声をひそめる。
だが――
その混乱を裂くように、
ステージ中央だけが白い光で照らされた。
そこに立つのは、
アリシア=フロウライト。
魔力の乱れに包まれながらも、
彼女だけは静かだった。
「ご安心ください。
魔力の流れが少し乱れています。
これより――調律を行います」
その声は、
不思議なほど落ち着いていた。
アリシアはそっと目を閉じ、息を吸う。
(聞こえる……街の“鼓動”が怯えてる……
大丈夫。落ち着いて。私が整えるから……)
そして歌う。
柔らかく、澄み渡り、
空気に触れた瞬間に色を変えるような――
そんな響きだった。
乱れていた魔導灯がひとつ、またひとつと落ち着きを取り戻す。
魔力の波形がまっすぐ揺らぎを正していく。
◆
ミレイユは、息を飲んだまま動けなかった。
(……ほんと、姉ちゃんは……)
姉の歌は、ただの音じゃない。
胸のざわつきも、
体の奥で暴れそうになる魔力も、
まるで“撫でられる”みたいに静まっていく。
(なんなんだよ……
あたしの魔力まで……整っちまうじゃねぇか……)
姉の歌声が響くたび、
街の魔力とミレイユ自身の魔力が、
同じ波で揺れ始める。
アリシアの歌が――
街と、妹と、世界をつないでいく。
この時、誰も知らない。
このわずかな“異変”が、
後に都市全体を巻き込む巨大な運命の兆しだということを。
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