第2話 揺らぐ街、響きあう二つの音

アークヘクサの夕暮れは、どこか切なさを含んでいる。

 高い塔の最上部から蒸気が噴き、

 魔導管の通る大通りには青白い魔光が走る。

 街はまるで巨大なオーケストラのように、

 それぞれの設備がそれぞれの音を奏でながら夜を迎える。

 そんな街の中心にそびえるのが――

 《グランドオペラホール》。

 今夜は“調律の魔女”と呼ばれるアリシア=フロウライトの公演日だ。

 街中が彼女の歌を楽しみにしていた。





 控室で、アリシアは椅子に座り、深く息を吐いた。

 喉を整えるための温かいハーブティー。

 舞台衣装の軽いきらめき。

 魔導照明がわずかに揺れ、その光の揺らぎが胸に引っかかる。


(……やっぱり。今日の魔力の流れ、おかしい)


 街全体の魔力の“調子”は、

 調律士であるアリシアの耳には敏感に聞こえる。

 六塔魔導網、

 賢者の石、

 魔力脈流――

 本来なら全てが一つの“曲”として調和しているはずなのに。


(誰かが、外から触ってる……そんな感じがする)


 だが観客を不安にさせるわけにはいかない。

 アリシアは胸に手を当て、息を整えた。

 そのとき――



「よぉ、姉ちゃーん。生きてるか?」



 ノックもせず扉が開き、

 ミレイユ=フロウライトがひょいと顔を出した。

 短い金髪、油と蒸気の匂いが混ざった風、

 そして咥えた煙草。

 控室の空気と正反対の子が乱入してきた。


「ミレイユ……お願いだからノックしてって」


「心の中でしたよー。ほら差し入れ。甘いのだ」


「……ありがとう。そういうのは嬉しい」

 アリシアが笑うと、

 ミレイユは満足げに胸を張る。


「しかしまぁ……今日の街、変じゃね?」


 その言葉に、アリシアは一瞬だけ表情を曇らせた。


「……気づいたの?」


「そりゃあな。バイクで魔導管の真下通ったら、

 振動がズレてんだよ。

 あのリズム、いつもの街じゃねぇ」


 ミレイユは椅子に腰かけ、足をぶらぶらさせながら続ける。


「ま、そんなに心配はしてねぇけどな。

 姉ちゃんが歌えば、全部整うんだからよ」


「……乱暴な信頼の仕方しないでよ」


「真実だろ?」


 ミレイユは煙草を軽く指で弾き、

 魔術で煙を霧散させる。


「はい。問題なし」


「控室で煙草自体が問題なの!」


 アリシアの口調は叱っているのに、

 どこか優しさが混じっている。





 一方、ホール裏の 魔導制御室。

 技師たちの叫びが飛び交う。

「主任! 塔3からの魔力流が不安定です!」

「こっちは塔5から逆流が入ってる! 負荷が異常!」

「調整弁、限界まで開いても波形が揃いません!」

「外部干渉ログは!?」

「……出てます! 干渉元は不明!」

 主任技師は舌打ちしながら魔導盤を睨みつける。

「今日に限って……誰だ……?

 誰が街の魔力体系をこんなふうに触るんだ……!」

 しかし“誰か”はすでに目的を果たしており、

 気づかれない程度の“揺さぶり”だけが残されていた。



 開演十五分前。

 ミレイユは客席後方に腰を下ろしていた。

 場内はアリシアの公演を待つ期待と興奮で満ちている。


「へぇ……やっぱデカいな、ここ」

 

 見上げる天井の魔導灯。

 何度来ても、そのスケールに圧倒される。

 しかしミレイユの中では、ざわつきが収まらない。


(……街の魔力が“びくっ”て震える。

 これ……姉ちゃん気づいてるよな)


 胸の奥がざわざわする。

 まるで、

 何か大きな“前兆”の真ん中にいるような――そんな感覚。

 そのときだった。

 バチンッ!

 ホール全体の魔導灯が一瞬にして消える。


「えっ――」


 観客のざわめきが一気に膨らむ。


「停電!?」「まさか事故!?」「魔導炉の故障か!?」


 すぐに赤い非常灯が点滅し、

 アナウンスが無機質に告げる。



《警告:魔力流路 異常波形》



 場内は混乱し、

 誰もが不安そうに声をひそめる。

 だが――

 その混乱を裂くように、

 ステージ中央だけが白い光で照らされた。

 そこに立つのは、

 アリシア=フロウライト。

 魔力の乱れに包まれながらも、

 彼女だけは静かだった。



「ご安心ください。

 魔力の流れが少し乱れています。

 これより――調律を行います」



 その声は、

 不思議なほど落ち着いていた。

 アリシアはそっと目を閉じ、息を吸う。




(聞こえる……街の“鼓動”が怯えてる……

 大丈夫。落ち着いて。私が整えるから……)





 そして歌う。

 柔らかく、澄み渡り、

 空気に触れた瞬間に色を変えるような――

 そんな響きだった。

 乱れていた魔導灯がひとつ、またひとつと落ち着きを取り戻す。

 魔力の波形がまっすぐ揺らぎを正していく。






 ミレイユは、息を飲んだまま動けなかった。



(……ほんと、姉ちゃんは……)



 姉の歌は、ただの音じゃない。

 胸のざわつきも、

 体の奥で暴れそうになる魔力も、

 まるで“撫でられる”みたいに静まっていく。



(なんなんだよ……

 あたしの魔力まで……整っちまうじゃねぇか……)



 姉の歌声が響くたび、

 街の魔力とミレイユ自身の魔力が、

 同じ波で揺れ始める。

 アリシアの歌が――

 街と、妹と、世界をつないでいく。

 この時、誰も知らない。

 このわずかな“異変”が、

 後に都市全体を巻き込む巨大な運命の兆しだということを。

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