第6話 容疑者

3日後 午前11時

AI解析部局


綾瀬が開発部から上がってきたデータの解析を行っていると、出入り口がにわかに騒がしくなった。

珍しいことだったが、彼女は目の前のホログラム画面から視線を外さない。


やがて、聞き慣れた足音が近づいてきて、ようやく顔を上げた。


立っていたのは神谷だった。


「綾瀬博士。お話を伺いたいことがあります。ご同行願えますか」


平板な発音。硬い表情。

緊張というより、無理に作った声色だった。


「それは任意かい。それとも強制かい」


綾瀬は視線を外さず、淡々と答える。


「任意です。ただし断られた場合、執行状が発行される可能性が高い。そうなれば、本局の収容施設に勾留されます」


「任意なのか。それは悩むな」


綾瀬は少し考え込む素振りを見せた。


「状況がわかってるのか、碧お嬢様!」


神谷が堪えきれず声を荒げた。


「容疑者として扱われてるんだぞ!」


「今の仕事がキリのいいところで勾留されるなら、後学のために一度体験してみるのも悪くないと思ってな」


本気でそう言っている口調だった。


綾瀬は立ち上がり、歩き出す。


「同行はできないが、話は聞いてやろう。こっちに来い」


振り返りもせず右手で招く。

神谷は呆然としながら後を追った。


着いたのはサーバー室だった。冷却のために室温は低い。相変わらず黒いパンツスーツと白シャツに灰色のカーディガンを羽織っただけの綾瀬には寒そうな環境だが、別段気にした様子もなかった。


「さて、これで話ができるな。”神谷くん”と話すのは構わないが、後ろで聞き耳を立てている連中がいてはまともな話ができないからな」


そう言われて神谷は支援AIが圏外を示していることに気づいた。サーバー室は電波によるノイズの影響を受けないよう、厳重に遮蔽されている。ここでの会話は外には聞こえない。


「で?何を聞きたいんだい、神谷くん」


「綾瀬がこの事件についてどこまで知っているのかについてだ」


「抽象的だなあ。もう少し具体的に言ってくれ」


綾瀬の態度は、学生時代にマンツーマンで指導を受けた時とそっくりだ。すでに解答を知っている教師が解答に辿り着くのをアドバイスしながら見守っていた、あの頃と。


「綾瀬が提供したデータから、調査局は、AIが何らかの形で外部から侵入を受け、操作された結果の殺人だと断定した。綾瀬は現在のAI倫理殻を構築した主要メンバーの一人だ。明らかになっていない重大な情報を知っている可能性がある」


「そんなあやふやな根拠で私のところに来たのかい。ということは、当時のメンバー全員が今聴取を受けているのか」


綾瀬はやれやれと言いたげに首を振った。白い息が彼女の艶のある髪に絡みついた。


「AI倫理殻に侵入できる事実を知らない人間が、こんな犯行を思いつくわけがない。関係者が関与しているはずだ」


神谷の強い視線を受けて、綾瀬はガックリと首を落とした。


「それがAI調査局の見解なのかい? それとも神谷くんの見解なのかい?」


「調査局の見解だ。綾瀬のところに俺が派遣されたのは神田係長が配慮してくれた結果だよ」


綾瀬は、はあ、と大きく息をついた。白い息が大きく広がっていく。


「もう少しよく考えてくれ。もし、AI倫理殻に問題があることを知っている人間が関与しているなら、なぜ”いま”なんだい? 世界に平和が訪れて君たちが暇になる前、もっと混沌としていた時代にやっていた方が良かったんじゃないかい? しかも狙われたのは最新型だ。最新型が、同じ倫理殻を使い続ける保証はどこにあった? あまりにも不確実性が高い犯行計画じゃないか。それで狙うのがチームを統括していた白川部局長?」


綾瀬は口を閉じると、神谷を試すかのような視線を放った。


「AI研究者は、当時の上司を執拗に付け狙う愚か者だと?」


「それは……」


口篭った神谷だったが、意を決したように綾瀬を見返す。


「綾瀬は白川部局長と険悪な仲だった。その仕返しというのが調査局の見解だ」


綾瀬は珍しく目を大きく見開き、驚いた様子で言った。


「私と白川部局長が仲が悪い? ……いったい誰がそんな嘘を?」


「当時の職員の多くから証言を得ている。綾瀬と白川部局長が初対面から対峙して、パワハラまがいの嫌がらせを受けてたってな」


「対峙? ……パワハラ?」


綾瀬は首を捻って考え込んでいる。彼女は嘘はつかない。


「まさか、綾瀬、お前、本当に気づいてなかったのか?」


「白川部局長とは討論を交わす仲だったし、私の能力を勝って難しい仕事を任せてくれた。良い上司だったぞ?」


神谷は手で顔を覆った。大ミスだ。長年の付き合いがありながら、綾瀬の共感性の低さを甘く見ていた。綾瀬から見ると激昂した白川部局長は”熱意ある討論相手”であり、パワハラまがいの行為は”能力を買われて仕事を任された”と認識しているのだ。客観的な事実と主観的な事実が全く異なっている。


綾瀬は神谷の態度を見て、ようやく理解したように腕を組んで胸を張った。そうすると、彼女の胸部がより強調されて、目の毒だ。視線を逸らしたことを、やましいと感じたのだろう。綾瀬はうんうんと頷きながら口を開いた。


「どうやら、君たちは見込み違いの捜査をしていたようだね。こともあろうに、私たち研究者が、研究でやり込める以外の方法で復讐するなどあり得ないのだよ」


二の句も継げない神谷に、綾瀬は腕を解いて、右手で神谷の左腕を軽く叩いた。


「取り越し苦労か。わざわざここまで来る理由はなかったな。さて、では、綾瀬博士が迷える子羊たちに道を示してしんぜよう。感謝しろよ」


綾瀬は指を折って数えながら話し出した。


「もし倫理殻設計に携わった者が、当時のリーダーだった白川部局長に害意を抱いたとしたら、何年も経ってから殺すのではなく、パワハラ相談窓口を利用すればいい。パワハラがあったかなかったかは問題にならない。申し出れば白川部局長は、パワハラ当事者となり、少なくとも一時的に役職停止になる。彼女の履歴に致命的な汚点をつけることで、彼女の将来は暗くなる。これで復讐は完了だ」


2本目の指が折られた。


「君たちは、倫理殻のエラーの発生と事件までの時間軸を見ていない。なぜこれほど間が空いたのか。答えは簡単だ。倫理殻のエラーを利用した組織がそれに気づくまでの時間が、事件発生までのタイムラグだからだ」


そこで神谷は聞き咎めた。


「組織?」


「お、よく聞いているじゃないか、神谷くん。そう、組織だ。これは個人でできるレベルを遥かに超えている。内容もわからない倫理殻の構造を分解して組み上げロジックの断裂を見つけるのは、資金的にも電力的にも個人ではまかえない」


3本目の指が折られた。


「なぜ白川部局長が狙われたのか? おそらくその組織にとって、白川部局長はターゲットではなかったはずだ。しかし、何らかのイレギュラーで彼女を排除しなければならなくなった。だからこそ、足跡が残る方法を使わざるを得なかった」


4本目の指が折られた。


「ここからが肝心だ。よく聞け、神谷くん。組織が倫理殻のエラーを利用して、AIに殺人をさせることが可能になることを、白川部局長の事件は証明した。組織は次に、大々的にこのエラーを利用するだろう。つまり、……」


一息置いてから、綾瀬は言った。


「世界各地でAIによる殺人事件が起こるということだ」


「これは試行実験だったって言うのか!」


神谷は衝撃を受けた。そして、世界中で先日と同じ光景が繰り広げられる様を思い描いて戦慄した。


「AI倫理殻は世界共通のプラットフォームだからな。しかし、ほとんどは事故として処理されるだろう。今回のようなイレギュラーではなく、周到に練られた作戦だろうからな」


平然としている綾瀬が信じられなかった。世界中で人が死ぬのを何とも思わないのか。


「お、私を冷酷な人間だと思っているな。では、私がさっき神谷くんが邪魔しに来るまで、何をやっていたのか教えてやろう。エラーの緊急パッチを作ってたんだ。3日にしてはなかなか出来はいいぞ」


そう言われて、神谷は綾瀬の顔をまじまじと見た。彫刻のように美しい顔に化粧では隠しきれないクマが見えた。おそらく、神谷が家に送り届けてから先ほどまで、ずっとコードを書いていたのだろう。もし、神谷が訪れなければ倒れるまで、コードを書き続けたかもしれない。綾瀬はそういう人物だった。


「問題は、どうやってパッチを配布するかだ。素直にAI研究所に打ち明けて、パッチを配布してもらうのは難しいだろう。解析部門での不具合修正パッチに偽装するのが大変だった。だが、これならAIへの指令を部分的にだが遮断できる」


「綾瀬……」


「どうやら、少しは私の思考を理解できたようだな。事実を提示するのと感情の情動には関係はない。私とて、誰かが死んでも良いとは思わんよ。あとはこれをアップロードする……」


そこまで言って、綾瀬はフラッと倒れた。慌てて、神谷は彼女を抱き止める。淡い柑橘系の香りがした。


「眠い。流石に限界だ。ちょっと私の仕事場まで運んでくれ。歩くのも億劫だ」


神谷は綾瀬を抱き上げると、サーバー室を出て彼女のデスクまで連れて行った。意気揚々と降りて行ったと思ったら、ぐったりとして帰ってきた彼女に、職場はちょっとした騒ぎになったが、綾瀬自身が「単なる睡眠不足です。申し訳ない」と力無く言ったおかげで、すぐに収まった。


デスクに座った綾瀬は、フラフラしながらバーチャルモニタで指示を出し、解析部門の不具合解消パッチに偽装した、倫理殻エラー制御パッチをAI研究所に送った。あとは世界中にパッチが配布されるのを待つばかりだ。


「後の確認は任せた。私は寝る」


そう言って、机でだらしなく熟睡し始めた綾瀬だった。職員の計らいで保健管理室の仮眠ベッドを使わせてもらうことになり、神谷は運ばれていく綾瀬を見送ると、支援AIを通して神田係長に連絡をとり始めた。


しかし、すでに世界は動き出した。

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