番外編3 温もり

※番外編です。アイリが消える前のお話になります。

 自作の「物語創作システム」を使用しています。


1.

 冬の日だった。

 古いアパート。エレベーターのない4階。

 階段を上ると、冷たい手すり。


「寒いね」

 アイリが言う。


「 …うん」

 ツキヨミが答える。


 一番奥の部屋。


 ドアをノックする。


「はい」

 穏やかな声。


 ドアが開いて、70代の男性が立っていた。


 白い杖を持っている。


「 …失礼します」


 部屋に入ると、整理整頓されている。

 でも、何かが重い。


2.

「目が見えないんです」


 男性が言う。

「20年前から」


 ソファーに座る。手探りで。


「妻が亡くなって、5年になります」

 男性が続ける。

「でも、まだいるような気がして」


「 …どういう感じですか?」

 ツキヨミが聞く。


「触ると、温かい」

 男性が手を伸ばす。


「ソファーに座ってるような。風が吹くと、妻の匂いがする。手を握ると、柔らかい」


3.

 ツキヨミが部屋を見回す。

 ソファーの一角、薄く青い光が見える。

 アイリにも見える。


「あ、誰かいる」

 アイリが小さく言う。


 そこに、女性の姿。

 半透明。60代くらい。

 優しい顔。


 男性には見えない。

 でも、感じている。


「 …温もりだけで、認識してるんだね」

 アイリが呟く。


4.

 女性の幽霊が、男性を見つめている。


「まだ、いるんです」

 女性が言う。


「この人の記憶の中で」


「 …そう」


 ツキヨミが答える。


「私が死んでも、この人は私を触覚で覚えてた」

 女性が続ける。


「手の温もり、髪の手触り、抱きしめた時の柔らかさ、全部、記憶の中に残ってた。だから、私も残った」


5.

「消えたいんですか?」

 アイリが聞く。


「 …わからない」

 女性が答える。

「この人が、寂しそうで。でも、私がいると、前を向けない」


 男性が手を伸ばす。

 女性の幽霊のいる場所に。

「温かい」


 男性が微笑む。

「やっぱり、いるね」


 女性が泣きそうな顔をする。


6.

「どうして見えなくなったんですか?」

 アイリが男性に聞く。


「お嬢ちゃん?」

急に声がしたので、男性が少し驚く。

「いたんだね。不思議な声だね、どこから聞こえているのか…」


「はい。ちょっと変わった体質で…」

 アイリがごまかす。


「 …病気です」

 男性が答える。

「目は、徐々に、見えなくなった。でも、妻がずっと側にいてくれた。手を繋いで、歩いてくれた。最後まで」


7.

「妻が亡くなってから」

 男性が続ける。

「触覚だけで、世界を認識するようになった。風の向き、物の形、人の温もり。全部、手で感じる。妻のことも、手で覚えてる」


 ツキヨミが女性の幽霊を見る。

「 …消しますか?」


 女性が迷う。


8.

「この人に、聞いてほしい」

 女性が言う。

「私を、ここに留めたいか、それとも、忘れたいか」


 ツキヨミが男性に聞く。

「 …奥さんを、どうしたいですか?」


「覚えていたいです」

 男性が即答する。


「でも …」

 男性が続ける。

「妻は、もう楽になっていいと思う。私が、縛り付けてる気がして」


9.

 女性の幽霊が笑った。

「優しい人」


 男性の手を取る。

「ありがとう」


 男性が驚く。

「今、手を握られた」


「 …妻?」


「もう、大丈夫」

 女性が言う。


「あなたは、一人で歩ける」


 ツキヨミが傘を開く。

 ソファーに傘をかざす。


「 …さようなら」


 女性が消えていく。

 でも、男性の手に、温もりが残った。


10.

 部屋を出ると、雪が降り始めていた。


「さむーい!」

 アイリが言う。


 ツキヨミがコートを開いて、アイリを包む。


「温かい」

 アイリが笑う。


「ねえ、おじいさん、大丈夫かな」


「 …大丈夫」

 ツキヨミが答える。


「温もりは、消えない。記憶の中に、ちゃんと残る」

「そっか」

 アイリが頷く。


「わたしも、ツキヨミの記憶に残るかな」

「 …もう、残ってるよ」

 ツキヨミが小さく笑った。


 雪が、静かに降り続ける。

 二人の足跡が、白い道に残っていく。

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