番外編2 ピアノ

※番外編です。アイリが消える前のお話になります。

 自作の「物語創作システム」を使用しています。


1.

 秋の午後だった。

 静かな住宅街。落ち葉が舞う。

 ツキヨミとアイリが歩いている。

「ねえ、歌っていい?」

 アイリが聞く。

「 …どうぞ」

「ら〜ら〜ら〜♪」

 アイリが鼻歌を歌う。

 ツキヨミが小さく笑う。

「音痴だね」

「ひどい!」

 アイリが拗ねる。

 スマホが震える。

「仕事?」

「 …うん。この近く」


2.

 古い洋館。

 重厚な扉。石造りの壁。

 ドアを開けたのは、50代の女性。背筋がピンと伸びている。無表情。

「どうぞ」

 声も平坦。

 部屋に入ると、グランドピアノがあった。

 埃をかぶっている。

 ツキヨミには、強い青い光が見える。

「このピアノを、消してほしい」

 女性が言う。

 感情がない。


3.

「ピアノ、弾かないの?」

 アイリが聞く。

「弾けません」

 女性が答える。

 でも、目が少し震える。

「 …弾きたくない?」

 ツキヨミが聞く。

 女性が黙る。

 長い沈黙。

「弾くと、悲鳴が聞こえるんです」

 小さな声。

「 …悲鳴?」

「全ての音が、悲鳴に聞こえる」

 女性がピアノを見つめる。

「音楽が、苦痛になりました」


4.

 女性が話し始めた。

「昔、ピアニストでした」

 壁に、古い写真。若い女性がピアノを弾いている。

 でも、顔に表情がない。

「厳格な家庭で育ちました」

 女性が続ける。

「感情を出すことは、許されなかった」

「笑っても、泣いても、怒っても」

「叱られました」

「 …罰を受けた?」

 ツキヨミが聞く。

「はい」

 女性が頷く。

「だから、無表情でいることを学びました」


5.

「ピアノは、唯一の逃げ場でした」

 女性がピアノに触れる。

「感情を、音に変えられた。喜びも、悲しみも、怒りも、全部、音楽にできた。でも …」

 女性の手が震える。

「ある日、演奏中に泣いてしまった。舞台の上で。それが、許されなかった」

「 …それで?」

「ピアノを取り上げられました」

 女性の声が途切れる。

「二度と弾くなと」


6.

「それから、音楽が悲鳴に聞こえるようになった」

 女性が言う。

「自分の感情を出したことへの罰。音楽への執着と、恐怖。全部、混ざって」

 アイリがピアノに触れようとした。

 女性が「触らないで!」と叫んだ。

 初めて、感情が出た。

 でも、すぐに女性は顔を押さえる。

「 …すみません」

 また、無表情に戻ろうとする。

「いいんだよ」

 アイリが言う。

「怒ってもいいんだよ」


7.

 ツキヨミがピアノの蓋を開けた。

 鍵盤が見える。

 青い光が強くなる。

「 …弾いてみますか?」

「弾けません」

「 …でも…」

 女性が迷う。

「 …試してみます」

 女性がピアノの前に座る。

 震える手で、鍵盤に触れる。

 一つの音。

 女性が顔を歪める。

「やっぱり、悲鳴が …」

「 …もう一度」

 ツキヨミが言う。


8.

 女性がもう一度、鍵盤を押す。

 一つ、また一つ。

「悲鳴 …」

 でも、続ける。

 簡単な旋律。

 子供の頃に習った曲。

 涙が流れ始める。

「泣いてもいいんだよ」

 アイリが優しく言う。

 女性が泣きながら弾き続ける。

 悲鳴が、少しずつ、音楽に戻っていく。

「 …聞こえる」

 女性が言う。

「音楽が、聞こえる」


9.

 ツキヨミは傘を開いた。

 ピアノに傘をかざす。

「 …消すのは、恐怖だけ」

 小さく呟く。

 青い光が消えていく。

 でも、ピアノは残る。

 女性が弾き続ける。

 今度は、笑いながら。

「ありがとうございます」

 女性が初めて、笑顔になった。


10.

 外に出ると、落ち葉が舞っている。

「良かったね!」

 アイリが嬉しそうに言う。

「 …うん」

「感情出せるようになって」

「 …大切なことだね」

 ツキヨミが答える。

「ツキヨミも、もっと感情出していいんだよ」

「 …出てるよ」

「全然出てない!」

 アイリが笑う。

 ツキヨミが小さく笑った。

「 …これでも、出てる」

 遠くから、ピアノの音が聞こえてくる。

 優しい、温かい旋律。

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