第7話 月の傘と赤いリボン
1.
冬の朝だった。
澄んだ空気。白い息。
ツキヨミとアイリが、住宅街を歩いている。
アイリの実家に向かう道。
「どんな顔すればいいかな」
アイリが緊張した声で言う。
「 …そのままでいい」
ツキヨミが答える。
「わたし、消えちゃうかもしれないんだよね」
「 …かもしれない」
アイリが立ち止まる。
深呼吸。でも息は出ない。
「怖いけど、行く」
顔を上げる。
「リョウタを、楽にしてあげたいから」
ツキヨミが頷いた。
2.
白い壁の一軒家。
ツキヨミがインターホンを押す。
「はい」
母親の声。
「前回、お邪魔した者です。もう一度、お話を」
ドアが開く。
「 …どうぞ」
ツキヨミが家に入る。
アイリは外で待つ。
「ちょっと待ってて」
「うん」
アイリが庭から、窓を見ている。
リビングに、母親、父親、リョウタが集まる。
「 …お母さん。お父さん」
アイリが小さく呟く。
涙が出る。
3.
居間で、ツキヨミが話し始めた。
「12年前の事故について、調べました」
三人が緊張する。
「実は …」
ツキヨミが鞄から、書類を出す。警察の事故調書。
「アイリさんは、弟さんをかばっていません」
静寂。
「普通の、交通事故でした」
母親が息を呑む。
「え …?」
「でも、葬儀で …」
父親が混乱する。
「 …嘘、ですか?」
リョウタの声が震える。
「誰かが善意で美化した話が、広がっただけです」
ツキヨミが静かに言った。
「アイリさんは、ただ事故に遭った。それだけです」
4.
母親が泣き崩れた。
「じゃあ、アイリは …」
「ただの、事故で …」
リョウタが立ち上がる。
「僕のせいじゃない …?」
混乱している。
でも、少しずつ。
「 …僕のせいじゃ、ない」
肩の荷が、下りていく。
リョウタが泣き出した。
「姉さん …」
父親が、壁の額を見る。
弔辞の文面。
「アイリは …どんな子でしたっけ」
ツキヨミが静かに言う。
「 …思い出してください」
「本当の、アイリさんを」
5.
母親が笑いながら泣いた。
「わがままで」
「よく泣いて」
「でも、笑顔が可愛くて」
父親も笑う。
「いたずらばかりして」
「叱ると拗ねて」
「でも、すぐ機嫌直して」
リョウタが、おぼろげな記憶を辿る。
「 …覚えてる」
小さな声。
「一緒に、遊んだ」
「優しかった。でも、普通のお姉ちゃんだった」
三人が、泣いている。
でも、笑っている。
ツキヨミは傘を開いた。
部屋の空気に、傘をかざす。
青い光が見える。「美化された記憶」の執着。
光が、ゆっくりと消えていく。
家族の表情が、穏やかになった。
6.
外で、アイリが窓を見ていた。
家族が笑っている。
泣いているけど、笑っている。
「 …良かった」
アイリの身体が、薄くなり始めた。
でも、まだいる。
ツキヨミが外に出てきた。
「 …入るか?」
アイリが頷く。
「 …うん」
7.
アイリが、玄関を通り抜ける。
リビングに入る。
母親、父親、リョウタ。
誰も、アイリを見ることはできない。
でも。
リョウタが、ふと風を感じた。
「 …姉さん」
母親も、何かを感じる。
「 …アイリ?」
アイリが泣きながら笑っている。
「 …ありがとう」
小さく呟く。
「さようなら」
8.
アイリの身体が、キラキラと光り始めた。
星屑のように。
まるで、月の光を浴びているように。
「ツキヨミ、ありがとう」
アイリが笑顔。
「楽しかったよ」
ツキヨミは何も言わなかった。
ただ、じっとアイリを見ていた。
「また、会えるかな」
「 …会える」
ツキヨミが、初めて笑った。
アイリの身体が、光になって消えていく。
最後に、赤いリボンが、ふわりと落ちた。
ツキヨミが拾う。
アイリは、もういなかった。
9.
春が来た。
公園のベンチに、ツキヨミが座っている。
桜の花びらが舞っている。
ポケットに、赤いリボン。
リョウタが友達と通りかかる。
明るい表情。笑っている。
前を向いて、生きている。
ツキヨミのスマホが鳴った。
新しい依頼。
立ち上がる。
春の風。
ふと、隣に誰かがいるような気がした。
振り向く。
誰もいない。
でも、ツキヨミは小さく笑った。
「 …そうだね」
傘を持って、歩き出す。
桜の花びらが、ツキヨミの後ろ姿を追いかけるように舞っていた。
終わり
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