第6話 首輪

1.

 数日が過ぎた。

 アイリが、変わった。

 会話の途中で、ふっと消えかける。一秒、二秒。すぐ戻る。でも、また消えかける。


「あれ、また」


 アイリが笑う。でも、笑顔が弱い。


「 …大丈夫?」


「うん。平気」


 でも、元気がない。

 あまり笑わなくなった。


「ねえ、わたし、もうすぐいなくなっちゃうの?」


 小さな声。


「 …わからない」


 ツキヨミは、答えられなかった。


2.

 依頼の場所は、古いアパートだった。

 階段を上ると、木の軋む音。古い油の匂い。

 80代の老人が、ドアを開けた。


「ありがとう。来てくれて」


 部屋に入る。狭い一室。窓から冬の光。

 テーブルの上に、古い犬の首輪。

 茶色の革。金具が錆びている。

 ツキヨミには、薄く青い光が見える。


「15年、一緒だったんだ」


 老人が首輪を見つめる。


「これを見ると、思いがこみあげてくる。でももう、前を向きたい」


 老人の声は穏やか。もう泣いていない。


「 …わかりました」


 ツキヨミが頷く。


3.

 ツキヨミは傘を開いた。

 首輪に傘をかぶせる。

 光が消えていく。

 首輪は残る。でも、もう光っていない。


「ありがとう」


 老人が微笑む。


「良い子だった」


 老人がアイリを見た。


「君も、同じなのかい?」


 アイリが驚く。


「 …同じ?」


「消えられないでいる」


「 …はい」


 アイリが小さく答える。


「でも、自分で納得するまでは、きっと消えないから大丈夫」


 老人が優しく言った。

 アイリが、じっと老人を見ている。


4.

 仕事帰り、公園を通った。

 いつもの公園。ベンチに、見覚えのある背中。

 学生服。黒いリュック。

 リョウタ。


 アイリが立ち止まった。


「 …あの人」


 頭が痛くなる。でも、近づきたい。


「ツキヨミ、あの人と話していい?」


 ツキヨミが迷う。

 長い沈黙。


「 …いいよ」


5.

 アイリが、リョウタに近づく。

 リョウタには見えない。

 でも、アイリは隣に座った。


「ねえ」


 リョウタは反応しない。当然。見えないから。


 アイリがじっとリョウタを見ている。


「 …誰かに、似てる」


 なぜか、涙が出る。

 理由が、わからない。


 リョウタが、ふと風を感じた。

 冷たい風。でも、優しい。


「 …姉さん?」


 リョウタが周りを見回す。

 でも、誰もいない。

 リョウタは、また空を見上げた。


 ツキヨミが遠くから見ている。

 傘を強く握っている。


6.

 アイリが戻ってきた。


「 …不思議だった」


 アイリが小さく言う。


「あの人、わたしのこと知ってるのかな」


「 …知ってる」


 ツキヨミが答えた。


「え?」


 アイリが驚く。


「 …アイリの、弟だ。リョウタという」


 静寂。

 風の音だけ。


「 …弟?」


 アイリの声が震える。


「私、弟いたの?」


7.

 ツキヨミが話し始めた。


「12年前に、事故があった」


 アイリが、じっと聞いている。


「アイリは、5歳で亡くなった」


「弟は、3歳だった。今、15歳になった」


 アイリが混乱している。


「わたし、事故で死んだの? でも、覚えてない。何も、覚えてない」


 アイリが頭を抱える。


「 …家族が、アイリを忘れられない」


 ツキヨミが続ける。


「だから、アイリは消えられない。でも、このままだと …」


 言葉が続かない。


8.

 アイリが泣いている。

 でも、聞く。


「わたし、どうすればいいの?」


「 …家族に、忘れてもらう」


 ツキヨミが静かに言う。


「そうすれば、アイリは楽になる」


「でも、それって …」


 アイリの声が震える。


「わたしが、いなくなるってこと?」


 ツキヨミが頷く。


「怖い」


 アイリが小さくなる。


「でも …」


 顔を上げる。


「弟…、リョウタは、苦しんでるの?」


「 …苦しんでる」


 アイリが唇を噛む。


9.

「 …会いたい」


 アイリが言った。


「家族に、会いたい」


「覚えてないけど、会いたい」


 ツキヨミがアイリを見る。


「 …わかった」


 ツキヨミが頷く。


「明日、行こう」


 夜の公園。

 二人が歩いている。

 街灯の光。

 アイリの手が、少し透けている。


 でも、アイリは、しっかり前を向いていた。


第6話 終わり

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