第5話 写真

1.

 晴れた日の午後だった。

 カフェのテラス席。冬の始まりの、少し冷たい風。コーヒーの香り。

 ツキヨミがカップを持っている。アイリがテーブルに頬杖をついて、ツキヨミを見ている。


「飲めないけど、一緒に来るの好き」


 アイリが笑う。


「 …そう」


 ツキヨミがスマホを見ている。何かを調べている。

 アイリが覗き込む。


「ツキヨミ、何か考えてる?」


「 …ちょっとね」


「わたしのこと?」


「 …うん」


 ツキヨミが頷く。

 アイリが黙り込む。

 風が吹いて、テーブルのナプキンが揺れた。


2.

 依頼の場所は、古いマンションの一室だった。

 50代の女性が、ドアを開けた。穏やかな顔立ちだが、目が疲れている。


「ありがとうございます。不思議な仕事をされている方がいると聞いて」


 部屋に入ると、壁一面に写真が飾ってあった。

 全部、笑顔の写真。旅行、食事、記念日。

 夫婦の写真。幸せそうな瞬間ばかり。


「わあ、すごい」


 アイリが目を輝かせる。


「夫が、3年前に亡くなって」


 女性が静かに言う。


「写真を整理しようとしても、できなくて」


 テーブルの上に、古い革のアルバム。

 ツキヨミには、薄く青い光が見える。


「このアルバム、重くて...持つと息が苦しくなるんです」


 女性の手が震える。


「捨てたいのに、捨てられなくて」


 女性の声が震える。


3.

 ツキヨミがアルバムを開く。

 全部、笑顔。楽しそうな瞬間。

 でも、何かが足りない。


「みんな笑ってる」


 アイリが言う。


「でも、なんか変」


 アイリが首を傾げる。


「本当はもっと、色々あったんじゃない?」


 女性が顔を上げる。


「 …そうなんです」


 女性が泣き出しそうな声で言う。


「喧嘩もしたし、つまらない日もあったし」


 女性がアルバムを見つめる。


「でも、完璧な思い出にしたかったんです」


「 …完璧じゃなくても、それが本当」


 ツキヨミが静かに言った。


「おばさん、本当のこと思い出したら?」


 アイリが無邪気に言う。


「喧嘩したことも、笑ったことも、全部」


 女性が涙を拭く。


「そうですね」


4.

 ツキヨミは傘を開いた。

 アルバムに傘をかぶせる。

 光が消えていく。

 でも、アルバムは残っている。写真も残っている。


「ありがとうございます」


 女性が微笑む。


「これで、本当の夫を思い出せます」


 部屋を出ると、アイリが考え込んでいた。


「わたしも、誰かに『完璧』にされてるのかな」


 小さく呟く。


 ツキヨミは何も言わなかった。


5.

 カフェに戻ると、ツキヨミが言った。


「 …ちょっと、一人で行きたい場所がある」


「えー、わたしも行く!」


 アイリが立ち上がる。


「 …今日は、一人で」


 ツキヨミが真剣な顔。


 アイリが拗ねた顔をする。


「 …わかった」


 でも、不安そう。


「すぐ戻る」


 ツキヨミが頭を撫でた。


6.

 住宅街の一軒家。

 白い壁。小さな庭。

 ツキヨミがインターホンを押す。


「はい」


 女性の声。

 ドアが開いて、40代後半の女性が出てきた。アイリの母親。


「あの、新聞の取材で」


 ツキヨミが言う。嘘だった。


「12年前の事故について」


「 …どうぞ」


 母親が部屋に案内する。


 リビング。仏壇がある。写真立て。5歳のアイリの笑顔。

 壁に、額に入った弔辞の文面。


「弟を守って亡くなった、天使のような子」


 ツキヨミが読む。

 傘を握る手に、力が入る。


7.

 父親も出てきた。50代。穏やかだが、疲れた表情。


「アイリは、本当に良い子でした」


 母親が言う。


「優しくて、賢くて、弟思いで」


「 …本当は、どんな子でしたか?」


 ツキヨミが聞く。


「え?」


 母親が困惑する。


「わがまま言ったり、泣いたり、そういうことは?」


「それは …でも、基本的には良い子で …」


 母親が言葉に詰まる。


 本当のアイリを、忘れかけている。


 階段の上から、気配。

 リョウタが、こちらを見ている。

 すぐに、部屋に戻った。


8.

 スクラップブック。

 新聞記事が貼られている。


「幼い姉が弟をかばって」


 地元新聞の記事。

 でも、実際は普通の事故だった。

 葬儀で誰かが美化して語った言葉が、そのまま記事になった。


「 …やっぱり」


 ツキヨミが小さく呟く。


「アイリさんの部屋、見せていただけますか?」


 二階の部屋。

 5歳当時のまま、保存されている。

 おもちゃ、服、絵本。

 でも、整理されすぎている。

 まるで博物館。


「毎日、掃除してるんです」


 母親が言う。


「アイリが帰ってきた時のために」


 ツキヨミは何も言わなかった。

 ただ、部屋を見ていた。


9.

 カフェに戻ると、アイリがベンチで待っていた。


「おかえり!」


 でも、ツキヨミの表情を見て、


「 …どうしたの?」


「 …何でもない」


「嘘。何かあった」


 アイリがツキヨミを見つめる。


「わたしのこと、調べたの?」


 ツキヨミが頷く。


「わたし、どうなるの?」


 アイリの声が震える。


「消えちゃうの?」


「 …まだ、わからない」


 ツキヨミがコートの前を開いてアイリの頭を抱いた。


「でも、考えてる」


「怖い」


 アイリが初めて、本当に怖がっている。


 夕暮れの空。

 二人のシルエット。


 決断の時が、近づいている。


第5話 終わり

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