第3話 絵馬
1.
秋晴れの日だった。
小さな神社の境内に、落ち葉が積もっている。赤や黄色や茶色。風が吹くたびに、からからと乾いた音を立てて舞う。
アイリが落ち葉を拾おうとして、手を伸ばす。
でも、手がすり抜ける。
「あれー、つかめない!」
アイリが何度も挑戦するが、やっぱり掴めない。
ツキヨミが落ち葉を一枚拾って、アイリに見せてあげた。光に透かす。
「わあ、きれい!」
アイリが目を輝かせる。
風が吹いて、落ち葉が舞い上がった。
「神社、好き?」
アイリが聞く。
「…嫌いじゃない」
ツキヨミが答える。
境内の奥、小さな本殿の前に、白い髪の神主が立っていた。
2.
「ありがとうございます。来ていただいて」
神主が頭を下げる。70代くらい。穏やかな顔立ち。
「絵馬を、消していただきたくて」
本殿の奥に案内される。古い木の匂い。線香の香り。
絵馬掛けに、たくさんの絵馬が吊るされている。
その中の一つだけ、薄く青い光を放っていた。
「これが、消すべきもの」
ツキヨミが静かに言った。
絵馬を手に取る。20年前のもの。だいぶ古びている。
「娘が幸せでありますように」
名前が書いてある。でも、その子は10年前に事故で亡くなった。
神主が説明する。
「親御さんが、今も毎月お参りに来られるんです」
神主の声が小さくなる。
「この絵馬を見て、少し安心されてるように見えて」
アイリがじっと絵馬を見ている。
めずらしく、静か。
「これ、消しちゃうの?」
アイリが小さく聞いた。
3.
アイリが絵馬に近づいた。
その瞬間。
ふっと、身体が半透明になった。
「あれ?」
でも今度は、戻らない。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒 …
「あれ? あれ?」
アイリの声が震える。
十秒。まだ戻らない。
身体がどんどん薄くなっていく。
「ツキヨミ …?」
不安そうな声。
ツキヨミが傘を落とした。
駆け寄って、アイリの手を掴む。
「 …大丈夫」
やっと、アイリの身体が元に戻った。
「びっくりした …」
アイリがツキヨミにしがみつく。
「今のちょっと怖かった」
めずらしく、アイリが怖がっている。
ツキヨミはアイリの頭を撫でた。何も言わず。
神主が心配そうに見ている。
4.
境内に出ると、参拝客が一人。
学生服の少年。15歳くらい。黒いリュック。
小さな花束を持って、本殿の前に立っている。
花束わきに置いて、手を合わせる。
長い時間、祈っている。
少年の肩が、小さく震えていた。
ツキヨミが本殿の陰から見ている。
アイリを見る。
また少年を見る。
傘を強く握る。
少年は祈り終えると、ゆっくりと石段を下りていった。
うつむいたまま。
アイリは絵馬を見ていて、少年に気づいていない。
5.
「ねえ、この子の家族、今どうしてるのかな?」
アイリが絵馬を見ながら聞く。
「 …多分、まだ悲しんでる」
ツキヨミが答える。
「会えればいいのにね」
「 …アイリは、自分の家に行かないの?」
アイリがびっくりして、ツキヨミを見る。
「え?」
「 …家族、いるんじゃない?」
アイリが黙り込む。
風が吹いて、落ち葉が舞う。
「 …わかんない。でも、なんか、行きたくない」
小さな声。
「 …そっか」
ツキヨミは何も聞かなかった。
6.
神主が、迷った表情で言った。
「この絵馬を消してほしいと思ったんですが …」
絵馬を見つめる。
「でも、やっぱり迷ってます」
神主が続ける。
「親御さんが毎月来られるんです。この絵馬を見て、少し安心されてるように見えて」
ツキヨミがじっと絵馬を見る。
長い沈黙。
風が吹いて、絵馬がかすかに揺れた。
「 …消さない方がいい」
ツキヨミが静かに言った。
「えっ?」
アイリが驚く。
「執着が、まだ必要な時もある」
ツキヨミが絵馬を元の場所に戻す。
「 …無理に消すと、もっと苦しくなる」
神主がほっとした表情になる。
「そうですか。ありがとうございます」
アイリがツキヨミを見上げる。
「優しいね」
「 …そうかな」
ツキヨミが小さく答えた。
7.
石段を下りながら、アイリが言った。
「今日は消さなかったね」
「 …うん」
「消さなくていいこともあるの?」
「時と場合による」
落ち葉を踏む音。からから。
「ふーん … でも、いつかは消すの?」
「 …自然に消えることもある」
アイリが少し黙る。
そして、小さく呟いた。
「わたしも、いつか消えちゃうのかな」
ツキヨミは聞こえたが、何も言わなかった。
ただ、そっとアイリの頭に手を置いた。
夕暮れの神社。
石段を下りていく二人の後ろ姿。
落ち葉が舞っている。
風が、少し冷たくなってきた。
第3話 終わり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます