【や行】
【や】
「闇夜に広がる我らの同志よ!力をかしたまえ!今ここに!我の元へ降臨したまえ!」
静まり返る屋上。
「またやってんの?」
屋上のドアを開けて女が入ってくる。
「あ!女!入ってくるな!」
そう言って男子生徒は両手の手のひらを広げこちらに近付くなと威嚇する。
「女って。いい加減男とか女で人を呼ぶのやめなよ」
「うるさい、女!」
ふっと女は笑う。
「どうせクラスメイトの名前覚えられないからそんな呼び方してんでしょ」
男子生徒はカッとなる。
「そんなわけないだろう!呼ぶに値しないだけだ!」
「へぇ、そう。それでなにしてんの」
女が近付き神聖な儀式とやらを覗き込む。
「く、来るな!ずかずかと入ってきやがって!帰れ!」
女は不思議そうな顔をする。
「帰れ?呼び出そうとしてるんじゃないの?」
女はそう言って円の中に入る。
「や、やめろ!そこに入ったら降臨できなくなるだろう!」
女の腕を引っ張る。
「なによ。降臨したじゃない、ほら。降臨で合ってるのかわかんないけど」
そう言った女は背中の羽を見せた。
「……。へ?」
男子生徒はなんとも間抜けな声を出してその場に座り込んだ。
【ゆ】
夢の中と全く同じような出来事が起こり、現実と夢がわからなくなる。今日もそうだ。目が覚めるとそこはたくさんの振り子時計が壁にかけられている部屋だった。出口は見当たらない。あぁ、夢の中のことが現実でも起きている。寝る前にやったゲームの世界と同じだ。いや、夢の中でやっていたゲーム?最近ではどちらが現実の世界か、どれが本物かわからない。
だが今の僕はそれでいい。現実になんて戻りたくない。どうせ現実に戻っても僕はいてもいなくてもいい存在なのだから。
たくさんの時計の中を一つずつ覗き込む。振り子の奥には人が丸まっている。夢と一緒。そっちが現実かもしれないけど。さながら狼と七匹の子山羊。ここが一番安全なのだろうか。ぐるりと見て歩いたが老若男女、色々な影が見える。
ふと長はしごの上を見るとひと際目を引く振り子時計がある。はしごを一段一段登り時計の扉を開ける。あぁ。僕にぴったりの大きさだ。時計の中に入り扉を閉める。ひざを抱えて眠りにつく。
【よ】
幼少期から僕は男子の中でも弱虫でいつもぐずって泣いていた。そんなだから男子のグループにも入れてもらえないしクラスの女子にも笑いものにされていた。
女子の中でもバカにされている子はいた。彼女は僕とのことを冷やかされたり黒板に相合傘を書かれたりしていて気分も悪かっただろう。だけど彼女はそんなこと気にもしていない様子でなにもかもこの世のものに興味がないように自己を貫いていた。陰口を言われているとわかるはずなのに何食わぬ顔で本を読んでいたり、花壇の花に水をやっていたり。小学生にしては大人びた子だったと思う。それがかえって同級生からすれば気に食わなかったのだろう。
その日は雨で朝から憂鬱な気分だった。
傘を差して行きたくもない学校へ向かう。教室に入ると湿った空気が充満していて色々な臭いが混ざり気持ちが悪くなった。席に着くには彼女の席の横を通らなければいけない。僕はできるだけ急いで通り過ぎるように横切ろうとしたのだが、彼女は立ったままハンカチで髪の毛や肩についた水滴を拭いていて、それに気付いた女子の一人が彼女を押し、体勢を崩した彼女は僕の肩に思い切りぶつかった。
あまりにも勢いよくぶつかってきたものだから僕は転んで尻もちをついてしまった。鈍い痛みが全身に伝わったが、それよりも驚いたのが彼女だ。床に座り込む僕を見て目を見開き、気がふれたように叫び泣き喚いた。クラスメイトは驚いてなにもできず棒立ち。あまりの乱心ぶりを見て泣いてしまう子もいた。その騒ぎで先生が駆けつけたが、その後彼女が教室に戻ってくることはなかった。
その日からクラスメイトもその子の気味悪さを僕と共有しようとする一体感みたいなのが生まれて僕に意地悪する人間はいなくなり、何事もなかったように小学校を卒業した。
それから中学生、高校生になり大学へ行き目当ての会社へ就職した僕は忙しい毎日をおくり、彼女のことなど思い出すこともなかった。
今日も仕事が終わり、コンビニで買った酒が入った袋を持って歩いていた。
この辺りは電灯も薄暗く、今日は雨も降っている。傘を持たずに出てきてしまったので、雨が当たらないようにカバンを頭に乗せ少し早足で歩いた。
トンネルが近づく。いつもは気味が悪いので避けているのだが、ここを通れば近道なので今日はこの道を選んだ。短いトンネルだがやはり長居したい場所ではない。一層足早になる。オレンジ色の明かりがトンネル内を照らす。
幸い雨はしのげるのでカバンを下ろしスーツについた雨水を落とす。その時、
コツコツとトンネルの反対側から音がした。
誰かがトンネルの向こう側から歩いてきたみたいだ。僕と同じように近道を選んだ、もしくは雨を避けてこの道を通っている人間だろうと気にせず出口を目指す。
コツコツと靴音が近付く。ハイヒールのような音だ。こんな時間に女性であろう人が暗いトンネルを通るなんて危なっかしいなと思いチラリと姿を見る。傘を差したままで雨粒がポツポツと
都市伝説に出てくるような見た目だな。などと思いながらすれ違いざまに無意識に頭を軽く下げる。営業職の性だな。その時顔を見たのだが、ひどく驚いた。彼女だ。小学校の時突然いなくなったあの彼女だ。僕は驚き立ち止まる。小学生の時と変わらない顔。あの時の思い出が一気に蘇る。彼女も立ち止まり上から下まで僕を見る。そして僕の顔を見ると目を細め嫌悪するような顔をし、眉をひそめた。僕はあの時と同じように彼女が叫び出すのではないかと思い怖くなって目をそらし歩き出そうとした。
「まだ連れて歩いてる。このままじゃのまれるよ。あぁ。もう遅いか。でも今回は助けてあげる」彼女はそう言って歩き出した。何のことかわからず僕は彼女を引き止めようとしたが声が出ない。足も動かない。金縛りにあったようだ。
どのくらい時間が経ったのだろうか。振り返ると彼女はいなかった。
急いで来た道を戻っても彼女を見つけることはできず、トンネルを抜けた時。大きな音を立ててトンネルが崩れた。一瞬の出来事だった。あの中にいたら確実に死んでいただろう。
彼女は僕を助けてくれたのだろうか。何にのまれるのか、何が遅いのか。聞きたいことはたくさんあるし、助けてくれたお礼もしたい。
だがその後トンネルに何度訪れても危険というテープが貼られたままで今度こそもう二度と彼女に会うことはなかった。
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