【た行】

【た】


旅に出ることなど田舎に住む年老いた両親と一緒に住んでいる僕には一生縁のない事だと思っていた。

四十歳を過ぎた独り身の男。最近両親が他界した。病院などは近場になく、町医者を呼ぶにも車で一時間はかかる。暑い日だった。母は熱中症になったのだろう。畑で倒れていた母を見つけ、慌てて駆け寄った父が側溝に足をとられ転倒。

帰りが遅いと心配になり畑を見に行った時に僕は二人の亡骸を見つけた。父は母に手を伸ばし息絶えていた。きっと最期まで母を助けようとしていたのだろう。

町医者が来ても手のほどこしようがなかったので病名も死亡時刻も曖昧。

葬儀やお世話になった人達への挨拶も終え、祭壇を見る。二人の笑顔の写真がそこにはあった。急に一人になった寂しさが襲う。僕はこれからの人生をどう過ごしていくのか。年老いていく両親が体調を崩したり体が動かなくなるようであれば支えていく。それが僕の役目であり生きる意味だと思っていたから。

両親は僕が数年働かなくても生きていけるほどの貯金を残していた。家も土地も僕名義になっている。質素な生活を送っていた両親が僕の為にここまでしてくれていたのかと考えると目頭が熱くなる。だが残してくれたお金をどう使っていいのかわからない。趣味と言えるものもない。遊びも知らない。住む家もあるから困らないし、車や高級品にも興味がない。ただあるのは時間だけだった。ゆっくりこの先のことを考えるか。ありがたいことに食べるのには困らない。家の整理を少しずつしながら畑でとれた野菜を収穫し食事をして寝る。両親がいる時と同じ毎日を過ごした。


今日は父の部屋を少し片付けようか。バケツと雑巾を持ってふすまを開ける。

父の部屋には本がたくさんある。本棚に入りきらず床に積んだ本は何冊あるのだろうか。父は本を読むのが好きで買い物に行った時には必ず古本屋に寄り山ほど本を買って帰ってきた。老後は本を毎日読んで過ごしたいと言っていた。歴史の偉人や推理小説に現代小説。ジャンルは様々。積み上げられた本の一番上を手にとり、パラパラとめくってみる。一冊一冊積みあがった本をとっては置き、次の本に手を伸ばす。やはり僕は父の様に本を趣味にはできないかもなぁ……。どの本を手にとっても今ひとつ良さがわからない。読み始めれば面白いのかもしれないのだが。積みあがった本の半分くらいを手にとった時、少し気になる本が目に入った。文豪の生誕地や記念碑、資料館や記念館をまとめている本だ。全国のゆかりの地が写真付きで載っていて見ていて飽きない。今すぐにでも足を運びたいと思う場所ばかりだった。今まで名前だけは知っているが本は読んだことがなかった文豪の私生活が豆知識で書いてあったり、小学校の時に国語の授業で習った詩がこの文豪のものだったのかと感心したり。ここまで心動かされることは今までなかった。そしてこの先もそれはないだろう。僕はその本を手にとり荷造りをした。

ここに戻ることはないだろう。気に入った場所があれば終の棲家にするのも悪くない。両親と過ごした思い出の場所に別れを告げ家を出た。まだ健在だった祖母に家を出ると伝えると駅まで見送るという。いつでも戻っておいでと笑う祖母を抱きしめる。遠くから電車の走る音がする。無人駅で僕以外に乗る者はいない。

電車が駅に着き、手紙を書くからと言い祖母の手を握る。その時祖母はポケットに何かを入れ達者でなと言った。目にはうっすら涙が滲んでいた。電車に乗り窓から手を振る。祖母の姿が遠ざかる。いつまでも祖母は手を振っていた。僕も見えなくなるまで手を振り続けたが、しんしんと降り続ける雪ですぐに祖母の姿は見えなくなった。

ガラリと空いた車内の窓際の席。荷物を置き外を見る。そういえば祖母は別れ際にポケットの中に何かを入れていたな。飴玉かなにかだろうか。手を入れるとそこには綺麗に四つ折りされた一万円札が入っていた。突然この地を去ると訪れた孫に餞別として渡そうと急いで用意したに違いない。田舎で生活するには必要のない大金だ。僕はそのお金を首から下げているお守りの中に入れて握りしめた。


北の地から始まった旅は新鮮で毎日が驚きの連続だった。夜は零時を過ぎても街中が明るい。たくさんの人間がいる。僕は宿に泊まると日記にその日あったことを書きだした。一方的だが、旅先で見つけた綺麗な柄の千代紙や栞、ご当地のポストカードを同封して祖母に贈った。元気で過ごしていると短い便りを添えて。

飛行機に乗るのは旅行に慣れていないのもあり少し怖かったので電車と船の移動ばかりだった。ゆっくりとした旅路だ。父の本は付箋だらけになり終わりが近付いていた。まだ終の棲家にするには心惹かれる場所を見つけられていない。ページ通りには回っていなかったので行く場所はバラバラだったが最後に残ったのは東北方面だった。何年か旅を続けていたが冬にさしかかり懐かしさを覚える季節だ。旅立った日を思い出す。

とうとう最後の地か。この地を最後にしたのには理由がある。最期を迎えたいと思える場所が他の地で見つからなければここにあるだろうという期待だ。紅葉が少し残る山の中。父の遺した本にはこの山の中に、あるモノの石碑があると書いてあった。ただしすべての人間が見つけられるわけではない。そのまま迷ってしまい二度と山から出られなくなるといった伝承もあるらしい。それでも僕はそこへ行かなければいけないと思った。

登山口とざんぐちから外れ木々が生い茂る。アスファルトの道などない。まだ昼間だというのに空を覆う木々が辺りを暗くしていたが、その反面で太陽の光をやわらかな暖かさに変えていたので嫌な心地はしなかった。

どれくらい歩いただろう。汗が頬をつたう。水を飲もうとリュックを下ろすと

ガサガサと草むらから音がした。熊だろうか?山育ちの僕は野生の生き物に敏感だ。熊なら危険だ、焦っては駄目だ。僕はゆっくりと周りを見回した。また音がしてそちらを見ると狐がそこに座っていた。他に音は聞こえない。狐か。僕はカバンの中から何か食べられそうなものを探すとふもとで買ったパンが出てきたので狐に投げた。狐はパンの匂いを嗅いでパクパクと食べた。

それにしても綺麗な狐だ。昔話に出てくるような白い毛並みにスラっとした体。神々しささえ感じる。故郷でたまに餌を求めに来ていた狐はみんな痩せこけていたからな。よく遊びに来ていた親子狐を思い出す。子供は親狐にまとわりついて飛び跳ねていて可愛かった。

「ねぇ、もうないの?」カバンの中にパンをしまおうとした時に声が聞こえた。なんだ?気のせいか?

「ねぇってば。そのカバンにしまったの。ちょうだいよ」僕は目をこすった。確かにその狐の方から聞こえた。そうか。僕だっていつまでも無知じゃないぞ。都会もそれなりに知っているし、喋るロボットがあるのも知っている。狐型のロボットか。それならこんな美しい容姿をしていても納得がいく。きっと誰かがドッキリみたいなものをやっているのだろう。テレビカメラがどこかにあったり……。僕は木の上や岩の影を見た。驚かそうとしているならどこかに人がいるに違いない。

「ねぇ。ロボットなんかじゃないよ。信じないなら証明してあげる」そう聞こえた次の瞬間。目の前の狐は美しい女性に変わった。が、今どきのというよりは江戸時代の浮世絵美人みたいな。今の美人とは少し……。その姿を見ている僕の顔が変身したことに驚いたと狐は思ったのだろう。

得意気にしなをつくりくねくねしている。そんな様子におかしくなり僕は思わず吹き出してしまった。狐はそんな僕を見て顔を赤くした。

「なんだよ!人間はこういうの好きだろ?!」そう言って狐に戻った姿を見てまた笑ってしまう。

「失礼」びとしてカバンにしまおうとしたパンを袋ごと狐の前に持って行った。

「これ全部くれるのか?!」狐は目を輝かせた。そんなに美味しかったのだろうか。人間の味覚とさほど変わらないのだな。

「お礼にお前のほしいものをあげるよ!着いてこい!」そう言ってパンの袋を咥え森の中に入る狐。だがその先に道などない。とてもじゃないが多少の山登りの装備ではあるものの、あの中に入るには軽装すぎる。戻ってくる狐。咥えたパンの袋を下ろして言う。

「俺について来れば大丈夫だって!ほら!」そう言って狐は服を引っ張る。強引に引っ張るので僕は言われるがまま狐の後に続く。すると不思議なことに狐が歩いたところの草が分かれ、道になった。

「あ!ちょっと待った!」狐がそう言うと置いてきたパンの袋を咥え戻ってきた。狐がぼくから離れると周りの草が一気に伸びて溺れるかと思った。

「待たふぇたな。ふぁあ行くぞ」狐はパンの袋を咥えたまま話すから間抜けな喋り方になっていて、見た目とのギャップにまた笑いそうになる。が、狐の機嫌を損ねたらここに置いていかれるかもしれないと思い我慢した。

ここまではそんなに歩いていないはずだ。振り向いたらそこにさっきの道が見える。それがこんなところにこんな大きな家があるなんて。昔ながらの日本家屋。

こんな立派な家なかなかないぞ。しかも人が行き来できる道のすぐ側に。山を登っている時にはこんな家は見えなかった。こんな立派な家なら絶対に目に入っていただろう。

狐はなんらおかしなことはないといった感じで家に入っていく。敷地内と言うのだろうか。僕も狐の後に続きそこへ足を踏み入れると何かを通り抜ける感覚が体中にはしった。

「わっ!」驚いて振り返るがそこに何かあるわけではなさそうだ。入ってきた辺りに人差し指を伸ばす。

「おい!早く来いよ!」狐はそう言って飛び跳ねている。故郷で見たあの子狐みたいだな。もう最初の時のような不信感はなかった。狐のロボットではないみたいだ。狐に呼ばれたがこんな立派な家、家主がどこかにいるだろう。

挨拶が先だと玄関を見るがインターホンはない。入口を恐る恐る叩く。そんな僕を見てまた狐が近付いてきた。「なにしてるんだよ!こっちだよ、こっち!」そう言って狐はまた僕の服を引っ張った。狐が案内する先には縁側があり、そこにはお茶を飲んでいるナニカが座っていた。

「連れてきたよぅ!」狐はそう言うとそのナニカに近付いて行った。なんだろうか。人であるのは間違いなさそうだが、どこかで見たような……。こんな場所にいるのだから妖怪の類だろうか。この世のものではなさそうだ。喋る狐を見た後なので驚くことはなかったが、近付くにつれてそれは懐かしさに変わる。小柄な容姿。柔らかな空気感。こちらに気付き向けた顔。


「おかえりなさい」そこには去年亡くなったはずの祖母がいた。祖母のまわりには色とりどりの千代紙で折られた手鞠や栞が置いてあった。それらは僕が旅先から贈ったものだとすぐにわかった。今までのすべてが走馬灯のように頭を巡った。止まらない涙を拭い鼻をすすりながら笑顔で答える。


「ただいま、おばあちゃん」





【ち】


小さい頃の遊びはどこからどうやって広まるのか。各地でルールは違えど色々な遊びがある。ゲームや携帯電話もないような時代。石灰で道路に円を書き、その中を飛んだり缶を蹴って遊んだり。成長した今も昔ながらの遊びをやっている子供達を見ると微笑ましく思うのだが、僕が今も鮮明に頭に残っているのは『白線歩き』だ。

都会過ぎず田舎過ぎずの場所。

学校からの帰り道には白線が引いてあり、道路わきに真っすぐ一直線に引いてあったり、途中途切れていたり。ルールとしては白線からはみ出して歩いたら地獄行きというシンプルなものだ。クラスメイトの人数も少ないし、互いの家庭事情もわかっている。男女意識なく仲が良い。だから僕らはみんなで一緒に帰宅することが多かった。

そんな遊びが度胸試しに使われるのは当然と言うべきか。いつもみんなで一緒にこの遊びをやっていたが、みんなでやると白線からはみ出さないように歩く方に必死で誰がちゃんと最後まで歩けたのかわからない。

「今日は俺の番だな!」クラスメイトのあだ名は大将。小柄だが声は大きく、ガハハハと笑う声は明るくて憎めない性格。困っている生徒がいたら手を差し伸べ、先生に頼まれたことは進んでやる。頼りがいのある兄貴分といった感じの人物。

毎日一人ずつ歩いて誰が一番か決めようぜ!そう提案したのは大将だった。みんなもそれに賛成し、その日から男子も女子も白線歩きに挑戦したが、いいところまで行ってもどこかでふらついて白線から落ちてしまう。僕も例外なく最後までは行けなかった。難関は白線が途切れている場所。ここをジャンプして向こう側にいかなければいけないのだがこの距離が難しい。

そして今日、大本命の大将の番だ。みんなはワッと湧き上がる。大将は得意げに人差し指を空に伸ばしスタートラインに立った。最初は順調。大将も鼻歌なんか歌いながらはみ出すことなく白線の上を歩いている。かといってふざけることはしない。調子に乗って走り出し白線から落ちた人間が何人もいるのだ。大将はそこも慎重だった。

いよいよ最後の途切れた白線。緊張がはしる。大将も真剣な顔だ。そして一気にジャンプ!大将はふらつくこともなくぴったりと向こう側の白線に飛び移った。歓声と拍手喝采。今まで誰もできなかった白線歩きを大将が成功させた!

みんなが飛び上がる。「俺がこの学校で一番だ!」大将はガッツポーズをして満足気だ。誰もが大将はやるだろうと思っていたが目の前でそれを見届けられて嬉しい。

大人からすればそんなことと思うかもしれないが、子供としてはオリンピックで金メダルをとるくらいすごい事なのだ。

あの場所はひやひやした、最初から安定していたよねなど大将を囲みみんなで帰路に着く。大将はそんな僕らを見て自分のやり遂げたことよりもみんなが楽しそうで嬉しいといった感じでガハハハハと笑った。

みんなと別れ夕食の食卓では今日あった大将の勇姿を家族に話す。きっとあの場にいた誰もが今日のことを話題にしているだろう。その夜は遠くで鈴虫の鳴く声が聞こえ、優しい眠りについた。

次の日、昨日のことを讃えようといつもより早く家を出て学校へ向かった。教室には僕と同じ考えの生徒が多く、大将の登校を今か今かと待ちわびていた。だが登校のチャイムが鳴り終わっても大将は来なかった。

「もう先生来ちゃうね」

「大将、興奮して寝れなかったんじゃないかな?」そう話しているとまたチャイムが鳴り先生が教室に入ってきてみんな席に戻る。

「起立、礼!着席」学級委員がそう言った後、一人の生徒が立ち上がり話を切り出した。

「先生!大将がまだ来てないみたいなんですが……」大将と呼ばれている生徒は先生ももちろん知っている。そして大将の席を見てから出席簿を見る。欠席や遅刻などは書いていないらしい。ホームルームが終わった後に家に電話してみるといい教室を出ていった。

休みか遅刻かもわからないなんて。あんなすごい事をしたんだから興奮して帰ってから熱がでちゃったのかもよ。みんなが思い思いに話す。先生が一限目の授業が始まる前に大将の家に電話をしたが誰も出なかったらしい。今日はお休みか。明日は学校に来るだろうから、その時白線歩きの話をしよう。

だがその後も大将は学校に来なかった。連絡もとれないらしい。僕らは心配で、先生と一緒に大将と特に仲がよかった何人かで家を尋ねたが結局大将にも家族にも会うことはなかった。

大将がいなくなってから一ヶ月。未だに大将家族の行方はわからない。警察がきて家の中を調べたが家具はそのまま。だが身の回りに必要そうなものだけは持ち出している形跡はあったので、夜逃げしたのだろうというところで落ち着いたようだ。

大将の家が大変だったのはみんなが知っている。仕事を何度も変えては昼間から酒を飲んでいる父親と朝から晩まで働いていた母親。だが大将は愚痴を言ったりめそめそ泣いたりしなかったから、なにかを抱えているなんて誰も心配していなかった。大将なら大丈夫だと誰もが思っていた。

小学校を卒業し中学生になり、僕らは男女を意識する思春期を迎え、昔みたいにみんなでつるむことはなくなった。学区も変わりこの白線を通って帰るのは僕と何人かの生徒。だけど誰かと帰りを一緒にすることもなく僕はいつも一人でこの道を歩き大将が飛び越えた白線を毎日見ていた。今頃大将はどこにいるのだろうか。

今日も白線沿いを歩いて帰る。大将が白線歩きを成功させてから白線の上を歩く者はいなくなった。大将が偉業を成し遂げたのだ。それを汚すことは暗黙の了解で皆しなかった。

角を曲がったところで人影が立っているのが見えた。真っ白な長い髪。飛び越えた白線の先にいる。

服装を見て驚く。

あの日大将が着ていた服だ。短パンにボーダーのシャツを着ていた大将。小柄な体型は変わらない。というよりもあの時のままだ。だが違うところはシャツから出た両腕と短パンから伸びた両足。

外を駆け回っていた大将は冬でも日焼けした褐色の肌だったがその手足は干乾び白くシミだらけだ。くるりとその人影がこちらを見る。その顔を見てまた僕は驚いた。大将だ。だがあの時一緒に過ごしていた大将の面影はあるものの、同じ人物とは思えない。老人みたいだ。同じ歳にはとても見えない。

「ここから動けないの」その人は僕を見てそう言った。泣いているのだろうか。しぼりだす涙も出ないほど目のまわりはくぼんでいる。

「大将……?」僕が問いかけるとその人は頷く。

「なにがあったの?あの日から大将がいなくなってみんな心配してたんだよ」

大将は僕を見る。

「私、この先へ行けないの。ここで終わりだから」そう大将が言った時、遠くからトラックの音がして白線の上を通り過ぎた。トラックを避けて後ろに下がる。トラックが遠ざかり白線の上を見ると大将の姿はどこにも見当たらなかった。


【つ】


「繋がりというものはいつの時代もどの国でも大事なものなのよ。それは血の繋がりだけではなく人とのご縁も同じ。全くの他人でも繋がりができてご縁ができてみんな幸せになるの」

「はぁ……」僕は女を見る目がなかったのだと酷く後悔した。目の前に広がるよくわからない言葉が書かれた札や数珠、パンフレットの数々。

「私にプロポーズしてくれたということはきっとそれが伝わったのね。私の心の内側が」

そう。僕は彼女にプロポーズをした。一目惚れだった。清潔感のある容姿に明朗快活な人。彼女の周りには人がいつも集まっていた。彼女の事を悪く言う人間はいなかったし、そんな彼女と付き合えて羨ましいとみんなから言われ僕は内心得意気になっていた。彼女となら一生添い遂げて愛せる自信があったし、彼女も僕の素敵なパートナーになってくれるだろうと。それは間違っていなかったと思う。プロポーズの返事はイエス。指輪をはめてもらう姿は両親に見てもらいたいと彼女が言うので親思いの優しいところもたまらなく好きだと思った。

都心からは車でかなり時間はかかるがドライブも兼ねてと彼女の実家へ向かう。彼女の両親は僕を笑顔で迎え、お茶を飲みながら馴れ初めを話したりして、とても楽しい時間を過ごした。素敵なご両親だ。この両親なら彼女のような完璧な子に育つのも納得できる。

外も暗くなってきた頃。そろそろ帰る準備もしないと日をまたいでしまうと思い、ポケットに入れていた指輪を出そうとした。その時インターホンが鳴り、彼女の母親が受け答えをしている。

「はい。来ていますわ。えぇ。ではそちらに向かいますね」そう言って僕らの方を見る。

「それじゃあ行きましょうか」母親がそう言うと彼女も父親も同じようなカバンを持ち、家を出る準備をした。

「あの、これからお出掛けですか?そろそろお暇しないと」僕がそう言うと彼女は僕の手を引く。

「なに言ってるの!まだアレを見せていないでしょ?」両親だけではなく身内にも見てもらう気でいるのだろうか?結婚式でもないのにそんな大袈裟な……。彼女の両親の後を手を引かれ歩く。少し歩くと町外れの集会場のような場所に着き、中からは人の話す声が聞こえて賑わっているようだ。

「さぁ、主役のご登場だ!」恰幅のいい男性が玄関から顔を出し僕らを迎える。酒と料理が並べられた宴会準備のされた部屋。今日はもう泊まりだな……。それを見てそう思ったが、その部屋を通り過ぎ六畳間程の部屋に通される。真ん中にはテーブルが一つと座布団が二枚。そこに座るように促され訳も分からなく腰を下ろす。向かいには彼女が笑顔で座っている。

そして冒頭に戻る。どう切り出せば平和的にここを立ち去れるか。なぜそんなことを考えるのかって?考えたくもなるさ。家族どころか親戚やご近所さんが勢ぞろいしたような人数にこの狭い部屋で囲まれて無表情で見下ろされてみろ。すぐにでも逃げ出したくなるさ。

それだけじゃない。小さな木彫りの小刀がついた数珠を全員が手に持ちガシャガシャと揉んでいる。


あぁ……。どうしたものか……。


【て】


「テープとって」そう母に言われ僕は急いでガムテープを探す。

「早くしなさい」少し苛立った声で母は僕を急かす。

「はいっ」明るい声の優しい笑顔で薄茶色の髪のお姉さんが僕にガムテープを渡してくれた。

「あ、ありがとう……」お姉さんは笑顔で作業に戻る。

「こっちはこれで大丈夫か?」少し年配のおじさんが母に声をかけている。

「えぇ、大丈夫だと思うわ」母はそう言いながら額の汗を拭う。

「あー!」声がする方を見ると二、三歳くらいの男の子がお姉さんの足元にまとわりつき、危ないからあちらで遊んでなさいねなどと言われ土いじりをしている。

「おぉーい!」遠くから若い男が二人歩いてきて手を振っている。手には荷物がいっぱいだ。

「ご苦労様、荷物が多くて大変だったでしょう」母は二人に言葉をかける。

「いやぁ。途中までタクシーで来たんですがね、金がもったいないなと思って。

こんな時ですけどケチな性分は変わるもんじゃないっすね」そう一人の男が言う。もう一人の男は無言だ。

「本当に助かるわ」母はそう言って笑顔を見せた。久しぶりに笑った顔を見た気がする。僕はそんな事を考えていた。

「なに言ってんですか、今更そんな仲じゃないでしょうよ。ねぇ」そう若い男の

一人が言うと他の人も笑顔で頷いた。小さな男の子も「きゃー!」と嬉しそうに声をあげたものだから、みんな声を出して笑っていた。

「それにしてもとてもいい場所ですね、ここ。空気もおいしい」お姉さんがそう言い小さな男の子を抱く。手は土だらけでお姉さんの頬が少し汚れた。ピクッとお姉さんの顔が少し険しくなる。だがすぐに手の甲で土を拭き男の子の髪をとかした。

お兄さん達が持ってきた大量の袋に入っていたお酒やお菓子をみんなで食べる。明るいお兄さんは酔っているようで、お姉さんにたくさん話しかけていた。

お姉さんも上機嫌だ。みんなラムネのようなお菓子みたいなものを食べていたが、それが何かわからなかった。母にあなたも食べなさいと言われ手の上にざらざらとのせられたが一粒だけ食べて後はポケットにしまった。


「冷えてきたな……。そろそろお開きにしてもいいか?全員同意なら車に乗ってくれ。場所は好きなところで構わないが……。子供は親と一緒がいいよな?」辺りは少し薄暗くなり、ワンボックスカーの前でおじさんが言った。お姉さんは私は後ろにと言い男の子を抱きながら後部座席に座る。

「俺は綺麗なお姉さんの隣ゲット!」明るいお兄さんがお姉さんの隣に座る。

無口なお兄さんはお姉さんの前の席に座った。残ったのはおじさんと母と僕。どうしたものかね……。と言っておじさんは頭をかいた。

「兄ちゃん。その席、このご婦人に譲ってくれないか?」おじさんが無口なお兄さんに言う。お兄さんは顔をあげた。

「私は助手席に座りますわ。あなたは一人でも平気でしょ?」母はそう言って助手席に乗り込んだ。おじさんは驚いた顔をしたが、なにか事情があるのだろうとそれ以上なにも言わなかった。僕も何も言わず無口なお兄さんの横に座った。

無言の車内。誰も口を開かない沈黙に耐え切れなかったのか、明るいお兄さんが口火をきった。

「なんか湿っぽいですね。当たり前ですけど。ここで身の上話って感じでもないし。それにしてもあっついなぁ……。しりとりでもします?」そう言って明るいお兄さんは笑う。

「本当にこれで大丈夫かしら……」お姉さんが不安げな声で言う。車内は静まる。

「大丈夫よ。そうじゃなきゃ困るわ」母が冷たい声で返す。

それにしてもこれだけの人がいるからか本当に暑いな……。いっぱい食べたせいか眠くなってきた。久しぶりにあんなにいっぱいご飯を食べたな……。

どれくらい時間が経ったのだろう。僕は目を開ける。みんな寝ているみたいだ。ジュースをいっぱい飲んだからかな。トイレに行きたい。でも車から降りたらお母さんに怒られるかも……。手を動かそうとすると無口なお兄さんと手を繋いでいることに気付く。なんだか懐かしい気持ちだ。父や母と最後に手を繋いだのはいつだっただろうか。



ピクリと手が動く。無口なお兄さんはあくびをして片方の腕を伸ばした。

「あ、起きたか」会ったのは今日が初めてだったし、短い時間だったからありえない事ではないが、今初めて声を聞いた気がする。

「行くか」そう言って無口なお兄さんは車のドアを開けようとする。

「待って!」僕は慌てて言う。大きな声を出したら母に怒られるだろうと思い小さな声で。

「どうした?トイレ行きたいんだろ?」無口なお兄さんはまたドアを開けようとするがロックがかかっているみたいだ。

「くそっ。運転席でロックしてるな」そう言って前のめりになり運転席に手を伸ばす。カチッと音がしてロックが外れた。

「よし。降りるぞ」ドアを開けると澄んだ風が車内に流れ込む。気持ちいい。無口なお兄さんは車から降りる。

「ほら」そう言ってお兄さんは僕に手を伸ばしたが、手を掴み車から降りた瞬間めまいがして足に力が入らなく崩れ落ちてしまった。

「おいおい、大丈夫か?」そう言って無口なお兄さんは僕を抱き上げる。

「勝手に車から出て大丈夫かな。トイレに行ったらすぐ戻らなくちゃ」

「……。どうして?」無口なお兄さんが聞く。

「だってお母さんに勝手に外に出ちゃ駄目だっていつも言われてるから。お母さんから離れたら怒られちゃう」そう言うと無口なお兄さんは僕の頭を撫でた。

「もうお前を怒る人間はいないよ。ほら」そう言って車の中を指差す。

恐る恐る中を覗くとみんな寝ているみたいだ。お姉さんと小さな男の子。お姉さんは明るいお兄さんと手を繋ぎ、お兄さんの肩に頭をのせてみんな下を向いている。運転席を見るとさっき無口なお兄さんがロックを外す為体をずらしたからかおじさんはそのまま助手席の方に傾き寝ているようだ。

母の方を見ると……。母もみんなと同じく眠りについているみたい。新聞紙を貼った窓に頭をもたれている。だけど誰一人として動くことはない。母の顔を少し覗き込むと口からよだれが垂れていた。僕は怖くなって車を降り無口なお兄さんの後ろに隠れた。

「言っただろ?もうお前を怒るやつはいないんだ。これからは好きに外に出ていいし好きなものも食べていい。こんなポケットに入れてるものなんて食べなくていいんだ」そう言って無口なお兄さんは僕のズボンのポケットに手を入れ引っ張る。

ジャージのポケットがめくれ、中から母に渡された白いラムネのようなものがばらばらと土の上に落ちた。

「さて、行くか」車のドアを閉め無口なお兄さんは僕に手を差し出す。僕は振り返らずお兄さんと手を繋ぎ歩き出した。


【と】


通りすがりの蚤の市。

大きなイベントで毎年この時期になると盛大に盛り上がっているのは広告などで知っていたが、来たのは初めてだ。人混みは嫌いだし、近所のイベントだからいつでも行けるといった感じで今日通りかかったのはたまたま。友人とランチをしようと言っていたが急に仕事が入ったとのことで待ち合わせ場所と近かったのもあり寄ってみたのだ。

そのバッグと出会ったのは屋台やステージがあるずっとずっと端の日陰の木の下に店を広げているおばあさんの店だった。海外のアンティーク布やアクセサリーが並べてある趣味のいい店。バッグもいくつか並び、どれも上質な生地を使ってそうだ。柄もお洒落で古いものとは思えない。

「そのバッグはとても可愛らしいからあなたに似合うわよ」店先を見ているとおばあさんが話しかけてきた。

「えぇ。とても素敵ですね」私は笑顔で返す。

「持ってみなさいな」そう言っておばあさんはバッグを私に手渡す。手に持つと今まで使っていたバッグとは比べものにならない程しっくりと手になじんだ。柄もデザインも申し分ない。小さな金具の装飾も凝っていて、がま口部分はウサギの耳になっていたり遊び心もある。私はすぐにこのバッグが気に入った。

「このバッグ、とてもいいものだと思うんですがお値段も高いですか?」おばあさんはニコリと笑い、あなたの好きな値段でいいわよと言う。そう言われると難しい。こんないいバッグなのにワンコインなんて失礼な気もするし、だからと言って何万円も払うのは蚤の市としては違う気もする。そこで私は今日のランチ代に使おうと思っていた二千円を財布から出した。

「これだと少なすぎるでしょうか」二千円を差し出すと、おばあさんは笑顔でそのお金を受け取った。

「このままでいいかしら?」私は頷きバッグを受け取る。やっぱりとても素敵だ。腕に掛けたり肩に掛けたりしながらバッグの持ち味を楽しんだ。

「そうそう。脅しではないけどこれだけは話しておくわね」私はドキリとしておばあさんを見た。お金を払った後になんの話?!このバッグの前の持ち主は酷い殺され方をしたとか?身構えた私がなにを考えているか察したようで、おばあさんは違う違うと手を振った。

「なんてことはないんだよ。そのバッグはモノがよく消えてしまうんだ。だから逃げられないように気を付けて使うといいよ」

なんだ、そんなことか。私は自慢ではないが普段から物をよくなくす。さっきまで使っていたペンなのに次使おうと手を伸ばすと同じ場所にはなく、机から落ちたのかと下を見ても見つからない。財布だって何度なくしたことか。それにおばあさんが言うように物が消えるにしても理由はあるだろう。ペンの話にしても結局、机の奥の隙間に転がってたり。消えてはいないのだ。おばあさんのジョークのようなものだろう。私は店を後にした。

次の日から私は買ったバッグを毎日持ち歩くようになった。周りの友人もすごく可愛いと褒めてくれて、いい買い物をしたとますます気に入った。

物がなくなると言っていたけど今のところなくしたものはない。それどころか忘れ物が減った気さえする。

だがしばらくして異変は起こり始めた。いつもバッグのポケットに差していたペンがない。鏡がない。今日は日傘が見当たらない。最近は同じバッグばかり使っていたから入れ忘れたということはないと思うんだけど……。

その頃から私は友人の紹介で知り合った人とお付き合いを始めた。とても素敵な人で私がなにか言う前にすべてをわかってくれるような、そんな居心地のいい人。

デートにはいつもこのバッグを使っていた。彼がそのバッグ、とても気に入っているんだねと言う。私はバッグを買った経緯を話した。物がなくなるバッグだと言われたけど大袈裟なのよねと冗談交じりに話す。


「それ、どこで買ったの?」急に彼の声色が変わる。

「え?だからあの公園で定期的に開かれている蚤の市だって。さっきも言ったよ?」

「……。そうか」なんだか怒っているようだ。

「どうしたの?」私はくだらない話をして彼を怒らせてしまったのかと心配になった。

「いや、なんでもないよ。さぁ食事に行こうか」彼はいつもと変わらない笑顔で言った。

次の週末。蚤の市が開かれるということでまた掘り出しものが見つかるのではないかと公園へ向かった。バッグを買ったおばあさんが今日も日陰で店を開いている。

「こんにちは。今日も掘り出しものはありますか?」私はおばあさんの前に顔を出す。私の声を聞いて顔をあげたおばあさんだったが笑顔が急に消えた。

「あなた、持っていかれてしまったわね」そう言って悲しそうな顔をする。

「え?なんのことですか?あぁ!このバッグ!そう言えば物がなくなるって言っていましたよね。確かにペンとか鏡とかなくしちゃったんですけど……。でもいつものことっていうか」そう言ってバッグをなでる。

「そういうなくすじゃないんだよ……。巻き込んでしまったみたいだ。私の責任だ。バッグを返せとは言わない。その代わりこのペンダントをバッグに入れて持ち歩いてくれないかい?なに、悪いものじゃない。あなたを守ってくれるものさ」渡されたペンダントは見たこともない、吸い込まれるような美しい石がついていた。

「こんな高価そうなもの、買えるお金なんてないです」私はおばあさんにそのペンダントを返そうとした。

「お金なんかで解決できないことに巻き込んでしまったんだ。どうか老婆のお願いとしてこのペンダントをバッグに入れておくと言っておくれ。お願いだから……」そう言っておばあさんは手を合わせる。

私は断り続けてもきっと受け取らなければおばあさんは納得しないだろうと思い、すぐにそのペンダントをバッグに入れた。おばあさんは安心した顔をした。

「よく聞いてほしい。こんなことになるとは思わなかった。ただの噂話だと私も思っていた。だがそうではなかった。いいかい。消えるということは反対に現れるということでもある。もうそのバッグはあなたから離れることはない。気に入られてしまったからね。だからせめて、私にできるのはこれしかない。本当に申し訳ない、申し訳ない……」そう言っておばあさんは丸まり声をかけても顔をあげてくれなかった。

仕方なくその場を後にし公園を歩く。なんだかファンタジーみたいな話をしていたけど……。私そういうの、信じてないんだよねぇ。バッグに入れたペンダントを取り出し光にあててみる。すごく綺麗だ。首からさげてみようか……。

ブーブー。バッグの中に入れていた携帯電話が鳴る。彼だ。今日は彼がドライブに連れて行ってくれると言っていた。私はそういうのに詳しくないが、流星群がくるらしく穴場があるから連れていきたいと言われていたのだ。そんなところもロマンチックで素敵な人。仕事が終わりそうだからいつも待ち合わせしている駅で待っててとのメッセージ。ちょうどいい時間に着きそう。

待ち合わせの場所に着くと彼が先に待っていた。流星群が見える場所へは少し遠いから道中軽く食べようかという話になり車に乗り込む。流星群が見えるという場所へはそんなに遠くないと感じた。彼といると時間がすぐ過ぎてしまうからかもしれないけど。

「ここだよ。ほら空気が綺麗だから星がよく見えそうだろう?」

確かに。空を見上げると満天の星空だ。時間がくれば流星群というものが降り注ぐのだろう。

「あのベンチに座ろうか」そう言って彼は車から毛布と暖かい飲み物が入ったポットを持ってきた。

「あ、待って」そう言ってベンチに座ろうとした私にクッションを置いてくれた。

「ちゃんと時間通りに流星群が来るかわからないし少し冷えるからね。それに服も汚れちゃう」なんて完璧な人なのだろう。女性が喜ぶことを何もかも知り尽くしているような人。ベンチに座った私に彼は毛布を掛けてくれた。

「そのバッグ、こっちに置いとく?」そう言われたが、私は大丈夫といい、ひざの上にバッグを乗せた。もう少しで流星群が流れる。彼が持ってきた小型ラジオから各地の観測台の中継が切り替わる。

「もう少しだ……」彼は空を見上げる。掛けていた毛布が肩から落ちる。彼は私の方を見る。落ちた毛布を掛け直してくれるのだろうか?だが彼の目線は私のバッグに向いていた。

「やっぱりそのバッグ、僕があずかるよ」そう言って彼は手を伸ばす。

「そんな重いもの入ってないし大丈夫だよ」そう言って私は軽く断った。

「いいから!流星群が流れてる間だけでも僕が持つよ!」強い口調に驚く。

「なに?!どうしたの?!」流星群が夜空を流れ始めた。

「いいから貸せよ!今しかないんだ!」そう言って彼は私からバッグを奪った。

「痛い!」

「手間かけさせやがって……」そう言って彼はバッグを開けようと手をかけた。バッグを開いた瞬間、中から光がもれる。

「なんだよこれ!」そう言って彼はバッグを投げ捨てた。私は急いでそのバッグを取りに走った。

「お前その中に何入れてやがる!」彼は目をおさえながら言った。

「なにってそっちこそなんなのよ!急に引っ張ったりバッグを投げたり。おかしいわよ!」バッグが壊れたり中身がなくなっていないか確認する。

「もう時間がない、時間がないんだ!そのバッグじゃなければもう二度と……この機会を逃したら!」そう言って彼は私に掴みかかる。

「苦しい、離して!」彼は片手で私の首を掴み、もう片方の手をバッグに入れる。人間の力じゃない!空を見上げると流星群は終わりを迎えようとしていた。

「ギャアアアアア!」すさまじい声がした。首の締め付けが弱まる。私は彼を突き飛ばす。その時彼はバッグの中に腕までのまれていた。

「助けてくれ!な?俺の事、愛してるだろ?あんなに尽くしたよな?なぁ、聞いてんのかよ!早くここから引っぱり出せよ!あぁ、すまない。こんな言い方酷いよな。愛してるよ君の事。だからはやくここから出せ!」

彼はあっという間にバッグの中に吸い込まれていった。空を見ると流星群はもう消えていた。残ったのはバッグ一つ。彼の痕跡は一切なくなっていた。

「なんだったのよ、あれ……」バッグに近づき中を見る。財布にメイク用品に。あ、ペン?鏡?それに日傘?なくしたと思っていたものがすべてバッグに入っている。

「そうだ、ペンダント」カバンのどこを見てもペンダントは見つからなかった。「物。モノが消える……。そういうことね。それにしてもここからどうやって帰ればいいのよ……」彼の持っていた毛布も飲み物も車も全部消えてしまった。ここから街までどれくらいかかるのだろう。お洒落してヒールなんて履いてくるんじゃなかった……。


次の蚤の市が開催されるとポスターが駅に貼られている。私はあの時あったことやおばあさんになにもなかったと伝えようと公園へ向かった。だがその日もまた別の日も蚤の市であのおばあさんに会うことはなかった。

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