【さ行】
【さ】
サーカステントの装飾をしたトラックが止まっていた。いつもこんな場所にトラックなんて止まっていただろうか。いや、それよりもこんな毒々しい装飾のトラックなんてあるか?少しだけなら、と近付き覗いてみたのが運の尽き。
引きずり込まれてそのまんま。知らない街を転々と。歳もとらずに世界を巡る。心当たりのある方は。サーカストラックにご用心。
【し】
染みが広がる。どんどん広がっていく。あぁ、海を越えてしまった。陸地にあがりそうだ。どうしよう。どんどん黒く広がっていく。手で押さえるが指の隙間からまた流れていく。このままじゃ怒られてしまう。黒くなったら戻せない。そこにいるものはすべて消えてしまう。
そうだ、白だ。急いで白を上から流す。だが流してから失敗したと気付く。白だと消えないが、まっさらになってしまうじゃないか!気配がして後ろを振り返る。
「ごめんなさい」
ため息が聞こえた。
「やれやれ。また1から作り直しか」
【す】
透けている。手を蛍光灯に向けると確かに透けている。蛍光灯の形が見える。もう片方の手も薄っすら向こう側が見えているみたいだ。
体や顔を見ても透けてはいない。物はとれるのだろうか。テーブルの上のマグカップに手を伸ばす。
スルリと取っ手をすり抜けた。これはまずい。手が使えない。早くしないと。急いで地下室に走った。地下室のドアノブをひねろうとしてまた手がすり抜けた。
「痛っ!」すり抜けた手の先に腕をぶつけた。仕方ないので両腕を使いドアノブを無理やり開ける。危なかった……。
「えっと……。手、手、ここだ」ホルマリンに漬けられた右手と左手をまた腕を使い取り出す。消えかかっている手の付け根をホルマリンの中に浸す。
「間に合った。両手ももうなくなりそうだ。新しいのを仕入れなきゃ」
【せ】
「制限時間まであと少しです。皆さん答えは決まりましたか?」無機質な機械の声が部屋に響く。これが世に言うデスゲームってやつなのか?だが答えってなんなんだ。まず問いかけられていない。しかも皆さんって、どこを見ても俺しかいないじゃないか。
「決まったようですね。ではどうぞ!」無機質な声が言う。俺の疑問などにははなから答える気などないようだ。目の前にはそれらしきスイッチは置いてあるが問いがわからないのに押せるほど俺はすぐ行動にうつせるタイプではないし、決断するのもちゃんと考えた上での結果を出さなければ納得できない。いきなり話を進められ、決めた、はいスイッチオンなどと当然押せるわけもない。
「あらぁ、残念。さようなら」声はそこで途切れた。
目が覚める。体中になにか巻き付けられているように動けない。でも痛みはない。完全には開かない瞼だが、眼球は動く。真っ白な世界。たくさんのチューブ。どうやら病院のようだ。身体が動かないが痛みがないと言うことは鎮静剤などを打たれているのだろう。なにがあったのかは思い出そうとしても思いだせない。
その時、何か機械の一部に異常をきたしたのだろうか。ピーッと音が鳴った。
急に息が苦しくなり声を出そうとしたがうまく喋れない。喉の奥が熱い。手に何か握っている感触がある。ナースコールだ。俺は必死でボタンを押そうとしたが力が入らない。苦しい、苦しい……。そしてそのまま意識を失った。あの時の問いはこのボタンのことだったのか。慎重な性格も考えものだな……。
【そ】
その子、いやそいつと会ったのは雪解けの足元が悪い日だった。俺は久しぶりに外出をして古本屋でずっと探していた本を見つけ機嫌がよかった。オークションや色々な本屋を見て問い合わせしたりもしたが見つからず、もう手にすることは叶わないと思っていた時にたまたま入った近所の古本屋で見つけるとは。靴に染み込む雪水も今日はイライラしない。
「その本……譲っていただけませんか」不意に声がし振り返る。誰もいない。
気のせいかと前を向くと、そこには赤いコートにフードをかぶった人が立っていた。小さいが子供ではなさそうだ。俺よりは若いだろうといった印象。だがそれよりもいきなり声をかけられたのと赤いフード付きのコートを目深に被っているのが目に付き不気味だ。関わるとまずい人間だろう。俺は横を通り過ぎようと道路わきのまだ雪が少し残っている場所を歩き先に進もうとした。
「本、譲ってくれないんですね」そいつはまだそんな事を言っている。無視して歩いていくと人の気配がなくなったので後ろをチラリと振り返るとそいつは消えていた。
「気持ち悪いな……。せっかくいい気分だったのに台無しだ……」
だがそんなことよりも貴重な本を手に入れたことが嬉しく、譲ってほしいと言われるくらいの価値があるのだなと思いまた気分が良くなった。
家の近くに差し掛かった時、鍵を出そうとカバンの中に手を入れながらアパートの方を見て
それにしてもそんなに貴重な本なのか?自分で言うのもなんだが、俺のような少し変わった人間が欲しがるような本だぞ?流行のものでもなんでもない古書だ。ふざけて怖がらせようとしているに違いない。
早く青になれ、早く青になれ……。信号が変わるのを待つ。追いかけられているわけではないのになんで俺がこんな思いをしなければならないんだ。
その時急に背後から悪寒がした。振り返っては駄目だ。振り返ったら居る。だが頭とは裏腹に体が自然と後ろを見てしまう。そこには赤いコートの人間が立っていた。驚き叫んだ時にはもう遅い。赤信号の横断歩道に飛び出した俺は猛スピードで入ってきたトラックに轢かれた。
「いただいていきますね」薄れていく意識の中、手にしっかりと握っていたはずの本はいつの間にかそいつの手の中にあった。
気が付くと俺は病院のベッドの上にいた。奇跡的に意識をとりもどしたようだ。リハビリは必要だったが後遺症もなく体を動かすことはできる。だが一人暮らしに戻るのは難しく、しばらく実家で過ごすことになった。父は再婚していて義理の母と子供がいる。なんとなく居心地が悪いので年末年始以外は帰っていない。父と会うのも正月以来だ。
「やることがないならアルバムの整理でもしてくれないか?ほら、お前の母親の昔のアルバム。もうこの家には必要ないが、お前の母親だからな。好きに持っていくか処分してくれ」そう言って
「……。必要ないって。俺の母親以前にお前が愛した女だろうが」
俺は父が正直大嫌いだ。自分勝手に母親と俺を引き離して勝手に再婚を決めて偉そうな口をきき命令口調で自分の言うことはすべて正しい、自分の言うことは絶対だと言うような奴。そりが合わない。嫌いにならない方がおかしいだろ。納戸に手をかけ開けると埃とカビの臭いがして咳き込んだ。マスクが必要だな……。それにしても少しは掃除くらいしろよ。
乱雑に小さい頃遊んだおもちゃや食器が置かれた奥にアルバムはあった。昔ながらの透明なフィルムの間に写真をはさむタイプのキャラクターの絵が描かれた重たいものが一冊とその上に本が一冊。いや、日記か?ダイアリーと表紙に書いてある。その二冊を抱えて部屋を移動した。アルバムを一ページずつめくり懐かしさにひたる。
とはいっても俺が物心つく前に男と出て行った人だから顔もあまり覚えていないしその後なにをしているのか全くわからないのだが。
砂浜で母に抱かれ泣いている写真。公園でよろけながら歩いているであろう俺に寄り添う母を後ろから撮った写真。ほとんどの写真を父が撮ったのだろう。幸せそうな写真ばかりだ。最後のページをめくるとそのページにはなにも貼っておらず、巻末にはアルバム付属のファイルがついていた。ふっくらしていたので何か入っているのだろう。中に手を入れると何枚かの写真と母子手帳が入っていた。すべて取り出し並べる。写真はエコー写真だろうか。
次に母子手帳を見ると俺の名前が書いてある。中を見ると出産前のことや身長、体重といった内容。その他メモのような欄にいつもより体温が高く、熱があるようだ。夜泣きが最近多くて心配、お医者様に要相談など細かく書かれている。愛されていたんだな。そう思えるような内容だった。覚えていない記憶が蘇ってくるようだ。少し涙が滲み目をこする。
「これは……日記、だろうな」アルバムと一緒に置いてあった本を手にとる。分厚くてシンプルだが高級感がある。なんだか既視感を覚えたが気のせいだろう。似たようなものはたくさんあるしな。そう思いながら中身をめくろうとした。
「おい。整理は進んでいるか」声に驚きそちらを見ると父が立っていた。驚いて日記を閉じた。
「あぁ。大体終わったよ。整理しなきゃいけない程たくさんあるわけじゃなかったし、アルバムはこの一冊だけ。だから持って帰るよ」父は頷いた。
「昼飯が出来たから食え。これから家族で出掛けるからお前は好きにしろ」父はそう言い階段を降りていく。
「家族……ね」俺は家に帰ることにした。ここは息苦しい。まだ完治したわけではないが身の回りのことはできるだろう。一度家に帰ると言って実家を出た。
「あー、疲れた!」家に帰り布団に倒れこむ。
「痛ってぇ!」布団にダイブするにはまだ早かったようだ。
窓を開け空気の入れ替えをする。少し家を空けただけでも埃っぽくなるものだ。
カバンにチラリと目を向ける。母の日記が気になった。早く読まなければいけない気がして日記に手を伸ばす。ズシリと重みを感じ、こんな重かっただろうかと不思議な気持ちになった。表紙を開く。
〇月〇日ここに生きた証を記す。なんだか大げさだな。古い本の匂い。一日も欠かさず書かれたなんの変哲もない日記。俺のことや父のことが書かれていたり、どこかへ出掛けた、初めて俺が海を見た時に大泣きしたなどと写真とリンクすることもたくさんあった。自然と笑顔になる。
だけどその笑顔はすぐに曇った。自分ではどうすることもできない感情に振り回されていると書かれているページ。母が家を出る何日か前に書かれたであろう日付。
「どうすることもできない感情……」きっと新しい男との出会いだろう。ページをめくる手が止まる。愛する人ができたとか、俺をおいてでもその男と居たいなどと書かれているのを見るのが怖かった。恐る恐るページをめくる。だが意外にもそのページ以降はなにも書かれていなかった。そりゃそうか。父や大きくなった俺がこの日記を見た時、浮気相手のことを事細かく書く必要なんてない。だって日記に記さなくても母は出ていったのだから。それにしてもここに生きた証を記す。なんて大袈裟に書いておいてその大事な日記をおいていくなんてどういうつもりだったのだろう。なにか伝えたいことが書いてあるってわけじゃなく俺や父との思い出話ばかりだけど。そう思いながらページをめくる。ここから最後までは白紙なのだろうか。残っているページをペラペラとめくった。真ん中を少し過ぎたくらいでなにか文字が書いてあるのが目に入りページを戻す。
〇月〇日―事故で意識不明の重体から目を覚ましリハビリの為、実家に帰宅。お父さんとは相変わらずそりが合わない様子。エコー写真と母子手帳を見つける。居心地が悪く調子も戻ってきたのでアルバムと日記を持って自宅へ戻る。埃っぽい部屋に入り窓を開ける。布団に飛び込み痛みを感じたみたい。
「なんだよ、これ……」今日の出来事が書かれている。日付も今日だ。
自分しか知らない行動。実家に戻ったのは父も義理の母も知っているだろうがそれ以外のことは俺しか知らないだろ……。しかもどこかで俺の行動を見ていないとわからないようなことまで。俺は現実離れした出来事に頭を抱えた。だがその先になにが書かれているのかも気になる。何度かページをめくったがさっき見たページは見つからなかった。見間違えか?いやでもこの目で見たのは確かだ。それから時間をおいてまた日記に手を伸ばしページをめくるがなにも見つからなかった。
次の日の朝。体の痛みで目が覚めた俺はテーブルの上に置かれた母の日記を見た。昨日の予言?は見間違いか。久しぶりに動いたから疲れていたのか。日記を見ながらコーヒーを入れ、片手でめくる。
〇月〇日―体の痛みでいつもより早く目が覚める。テーブルの上の日記に目を向け、コーヒーを入れて中身を見る。やっぱり気になるみたい。驚いてむせる。
コーヒーはシミになりやすいから気を付けて。……それから。家族を亡くすのは悲しいこと。それがどんなに嫌っていた相手でも。でもあなたは前の向き方を知っている強い子だから。大丈夫よ。
俺は盛大に飲んでいたコーヒーを吹き出しむせた。幸い日記にはかからなかったが着ていたシャツにコーヒーがかかる。
「な……これ……ゲホッゲホッ」日記の通りシャツにはコーヒーのシミがついた。これはとれそうもない。
「昨日は何も書かれてなかったのに……。しかもなんだよ、この物騒な文章」俺はもう一度日記を見る。
「家族を亡くすのは悲しいこと、それがどんなに嫌っていた相手でも……。なんなんだよ、これ」その時携帯電話が鳴った。知らない番号だ。嫌な予感が頭をよぎる。
「はい」
「〇〇署の者ですが〇〇さんのご親族の方でしょうか」
「……はい」
「親族の方が事故で病院に搬送されました。〇〇病院へ今すぐお越しいただけますか?」
「……わかりました」
もう何も聞かなくてもわかる。あの日記の通りのことが起きたのだろう。朝は晴れていたのに今は雨が降っていた。病院に着くとそこには警察官が立っていた。俺を見て頭を下げる。医師の話を聞く前に病室を覗き込むとそこには大袈裟だろうと思うくらいの包帯を巻かれた父が横になっていた。だが大袈裟などではないと医師の話を聞いたあと部屋に入った。
「お母様と娘様は残念ながらお亡くなりになりました。手の施しようがありませんでした。今は霊安室にいらっしゃいます。お父様とはこれが最後になるかもしれません」そう言って医師は残念そうな顔をした。
「あぁ。お前か」病室に入ると父は薄目でこちらを見て声をしぼりだした。
「無理して話さなくていいから。大丈夫だから」そう言うがさっきの医師の言葉が頭をよぎる。
「俺がもう駄目なのはわかっている。自分の体だからな」そう言って父は小さく咳をした。
「弱気になるなよ」そう言ったがかける言葉が見つからない。
「お前に言っておかなきゃいけないことがあるんだ。聞いてくれ」そう言って父は苦しそうに言った。
「お前の母親は男をつくって出ていったんじゃない。その逆だ。俺が女をつくってお前の母親を追い出した」ポツリポツリと細い声で父は言った。
「は?」突然の告白。俺はなにがなんだかわからなくなり自分の手を握りしめた。
「お前には本当に悪いことをしたと思っている。お前の母親はいい母親だったしいい妻だったよ。俺にはもったいないくらいに……」そう言って父は少し目を閉じた。母の事を思い出しているようだった。
「出会った時は雪が降っていてな。春先だけどまだ寒くて。母さんは赤いコートを着ていた。それがとても可愛らしくて似合っていた。小さな体で赤ずきんちゃんなんてあだ名で呼ばれていたな……。笑顔が可愛くて誰からも好かれていた……」
赤いコート。俺は事故の日を思い出す。
「母さんはたくさんの男に好意を寄せられていたから必死だったよ。俺を選んでくれた時はこの先ずっと彼女に人生すべて捧げて生きていこうと思った」
目を閉じ笑顔を浮かべ話す父。こんな父を見ることなんて今まであっただろうか。
「だが俺は彼女を裏切ってしまった。母さんを愛し過ぎてしまい毎日が不安でたまらなくなってしまったんだ。俺は見た目がいいわけでもなく不器用なことしかいえずに相手を不快にさせてしまうこともある。だから自分にはもったいないくらいの母さんがもしも自分以外の人間とどこかへ行ってしまったら。そう考えただけで苦しくて不安で母さんに酷く冷たい態度もたくさんとってしまった。母さんはどんな時でも俺から離れることなどない、俺のこともお前のことも愛し続けると言ってくれたが、弱い俺にはどんな言葉も耐えられなかった。いくら頭を下げても許されることではないだろう。お前にも母さんにも。そして心の弱さから母さんを悪者にして家を追い出した」父の目から涙が流れる。
「許してくれとは言わない。すべて俺が悪い。今更と思うかもしれないが、母さんのことは誤解しないでほしい。他に男をつくるような人では決してない、一途で純粋で愛情深い人だ。もちろんお前のこともとても愛していた。だが俺がお前と離れたくなかったんだ。お前がいなくなるのが怖かった。ただすまなかった。お前と母さんを俺の身勝手で弱い我が儘で引き離してしまった。最後にこれだけは言わせてくれ。お前といた毎日は幸せだった。お前を愛している。俺が言うことではないかもしれないが、幸せになってくれ」静まる病室。父は目を閉じている。
「父さん?」声をかけても返事がない。肩を揺するが息が浅くなっている。ナースコールを押すとすぐに医師と看護師が駆け付けた。ベッドの横のモニターを見る。数値がどんどん下がっていく。俺でもわかる。別れの時だ。
そこからあっという間に毎日が過ぎた。一気に家族を亡くしたものだから手続きが大変で父の勤めていた会社や妹の学校への連絡に葬儀会場の手配。書類提出などやらなければならないことは山ほどあり、やっと落ち着いたと思えば家の相続だのなんだの今度は金の整理。実家に戻る気はなかったから家は手放すことにした。実家と言っても俺の居場所ではない。それにあそこはあの三人の思い出の家だ。
四十九日が過ぎ、実家で寝泊まりしていたがやっと自分の家に帰る時間ができた。合間に帰ってはいたが着替えを取りに行く程度だった。また少し家を空けるが今日はこっちで休もう。外は雪がちらついていた。久しぶりの自分の部屋。布団に顔をうずめると少し埃っぽい。やっぱり人がいないと家も駄目になるな。テーブルを見ると母の日記があの日のまま置いてあった。
そういえば母の日記を持って帰ってきたんだっけ。予言するようなことが書かれていてそれから……。今まで忙しく悲しんでいる暇などなかった。これからまだその日々は続くだろう。だが一気に気が抜けたのか涙が溢れ出して止まらなかった。
嗚咽しながら呼吸すら苦しいのに止まらない涙。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をティッシュで何度も拭いた。目も鼻も痛い。冷たい水で顔を洗いテーブルの上の母の日記に手を伸ばした。母から伝えたいことがまだあるだろうと。
〇月〇日―少し落ち着いたみたいですね。今まで経験したこともないことを
一人で考え解決し、忙しい毎日を必死に生きているあなたのことを想い誇りに思います。小さい頃から何事も我慢して泣かない強い子でいようとしていたあなた。今、心の底からちゃんと泣けるあなたで安心しました。涙を我慢し続けることは
辛くて苦しい事だから。知らなければよかったと思うこともあったと思います。知りたくなかったことも。だけどこれだけは忘れないで。お父さんもお母さんもあなたをいつまでも愛しているということを。幸せを願っているということを。最後にお願いがあります。この日記を持ってあの日会った場所に来てもらえませんか?雪解けの日に会ったあの場所に。
俺はコートをとり走り出す。あの時のあの場所。事故にあったあの場所だ。母の日記を片手に持ち、雪が降り積もる道を走った。さっきまで泣いていたのと疲れがたまっているのか頭がくらくらする。立ち眩みがしてひざに両手を置く。
もう少し、もう少しだ。だけど足が動かない。流した涙が冷たい風にあたり乾いていく。
「来てくれたのね」顔をあげるとあの時会った赤いコートの奴。
いや、彼女は……。
「今度はその本、譲ってくれる?」そう言って赤いコートの袖から指をさす手は華奢で白い。
「うん」本を彼女に渡す。その時、風が吹き、雪が舞った。赤いコートのフードが外れる。腕で覆った顔の隙間から見えた顔はとても可愛らしい笑顔だった。
父の言う通りだったな。そう思いながら彼女を見つめる。別れの言葉は言わない。彼女に背を向け歩き出す。コートのポケットに手を入れるとくしゃくしゃになったレシートが入っていた。あの日、本を買った店のレシート。
=《過去へ戻る方法》100円=
そのレシートは風に吹かれちらつく雪の空へと飛んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます