第32話 昔々あるところに 1

 ラーラマリーが生まれる、遥か前。

 四百年前にフォレスティア王国が建国されるよりも、さらに百年も昔の話。


 広大な森の中に、不機嫌な声がこだました。


「おい!! てめえ、本当にに残るつもりかよ」


 森の中に湧き金色に淡く光る、真新しい竜の道の泉の横。


 リュスタールの花畑で、頭の後ろに両手を組み仰向けで寝転がっているジークヴァルトを、上から跨いで見下ろしながら、ナナレが不機嫌そうに言った。


「この辺も人間が増えてきた。てめえも、じきに住みにくくなるぞ」


「まあそうだが……俺が住みにくいのは、結局どこへ行っても同じだ。俺はここに残る」


 諦めたような瞳で見上げてくるジークヴァルトに、ナナレは盛大に舌打ちをする。


「この森は俺の気に入りの別荘だったが……しょうがねえから、お前にくれてやる。……気が向いたら俺の森へ来い。じゃあな」


 ナナレはそれだけ言い捨てると、ジークヴァルトの返事も聞かずにパッと小さな白い光に変わり、そのままどこかへ消えてしまった。


「……相変わらず、いい奴だな」


 消えたナナレの顰めっ面を思い出し、一人空を見上げながら笑うジークヴァルトは、三百歳を過ぎたばかり。

 膨大な魔力を使って竜の道を開け、竜人国を逃げ出しこの森に辿り着いていた。


 偶然出会った森の主ナナレは、「てめえの魔力は煩くてしょうがねえ。主従契約を結んでやるから、早くその魔力を何とかしろ!!」と物凄い剣幕で迫り、無理やりジークヴァルトに契約を結ばせた。

 契約でジークヴァルトの従者になる事より、自分が彼の強大な魔力に本能的に怯えてしまう事の方が、どうしても気に食わなかったらしい。


 ジークヴァルトは、自分の魔力を恐れながらも、それを全く見せず不遜な振る舞いをするナナレの事を存外気に入っていた。


 ナナレは気分屋で滅多に姿を現さなかったが、遠い精霊の国にある世界樹が魔力核の精霊だ。

 

 人間嫌いのナナレは、行動範囲を森の方まで伸ばしてきた人間達を避けるため、森を捨て、精霊の国へ共に行こうとジークヴァルトを誘ってくれた。

 だが、他の精霊達を怖がらせる訳にはいかないと、ジークヴァルトはそれを断り、一人で森に残る事に決めた。


 人間達は時折森へやってきたが、ジークヴァルトの姿を見ると、その魔力にあてられて恐怖に慄き、そのまま泣き叫びながら逃げ帰って行く。


 いつしかナナレから譲り受けた森は『竜の森』と呼ばれるようになり、ジークヴァルトはひっそりと孤独に、だが平穏に暮らしていた。







 ジークヴァルトが森に来て、一人で暮らし始めてから約百年が経った、ある日のこと。


 高い木の上、枝に座って足を伸ばし、幹にもたれてただ空を眺めていたジークヴァルトは、動物とは違う、ガサガサと茂みを掻き分け近付いて来る音に眉根を寄せた。


(……人間か?)


 ジークヴァルトは息をひそめ、できるだけ気配を消してじっと音の方を見つめる。


 人間が自分に何か攻撃をしてくる事はないし、もしそうでも負ける事はないのだが、己に向けられる恐怖に強張った表情は、何度見ても慣れる事はなく、ジークヴァルトの心に傷を作っていく。


 今動けば逆に見つかる可能性が高いと判断し、ジークヴァルトは身を固くし、見つからない事を祈りながら緊張で息を殺していた。


 ──ガサリ。


 茂みを大きく揺らして眼下に現れたのは、淡い琥珀色の髪を後ろで一つに編み下ろし、甘やかな水色の瞳をしたヒョロリと背の高い優男だった。


 少し垂れた目尻のその男は、何故か、ジークヴァルトは興味を引かれて思わず微かに身を乗り出してしまう。


 微かに枝が軋み、カサ……と葉が揺れる。

 

 ジークヴァルトが「しまった」と思った瞬間には、上を見上げたその男としっかり目が合ってしまっていた。


(また怖がらせてしまう)


 瞬間的に心が冷え、ジークヴァルトは身構えた。

 しかし見上げる男が彼に向けたのは恐怖に強張る視線ではなく、からりとしただった。

 

「おーい、すみませーん!! ちょっとお尋ねしたいんですけどー!!」


 口の横に手を添え、もう片方の手をブンブンと振りながら大声で話し掛けてくるその男に、ジークヴァルトは困惑した。


「ねえー!! ちょっとー!! え、聞こえてない? おーーーーーーい!!!!!!」


 固まって返事をしないジークヴァルトに、男はさらに声を張り上げてくる。


 ジークヴァルトは眉根を寄せて目を丸くしたままだ。

 まるで警戒する獣のようにぴくりとも動かず、じっと男に視線を固定した状態で、恐る恐る答えた。


「……何の用だ」


 短くも返事が返って来た事に気を良くした男は、ニカっと歯を見せて笑うと言った。


「ちょっと聞きたいんですけどー!! この辺で、を見ませんでしたー!? 私、ちょっとんですー!!」


 その言葉は、ジークヴァルトを心底驚かせた。


(どういうことだ? 俺が竜に見えていないのか?)


 は皆、ジークヴァルトの持つ魔力を感じとり、そのまるで次元の違う強さに恐怖する。


 彼を包む、圧縮された膨大で濃い魔力は、まるで恐ろしい竜や、神の御使みつかいが目の前に現れたかのようにのだ。


 だが目の前のヘラリと笑う男の瞳には、恐れなど


 ジークヴァルトは訝しげな表情のまま尋ねた。


「お前は……俺が何に見えている?」


 予想もしていなかった問いにきょとんとした男は、水色の瞳をきらりと細めまたもや笑う。


「なんだ、その質問。何かの遊びかい? そうだなー、けどー!!」


 悩む事なくさらりとそう言われ、「それで、何て答えるのが正解なんだ?」と楽しげにしている男を眺めて、ジークヴァルトの口角はみるみる高く持ち上がった。


 するりと木から飛び降り男の目の前に軽く着地すると、ジークヴァルトは金の瞳を輝かせ、揶揄うように言った。


「俺はだ。お前が探しているというのは俺のことだ。それでお前は? 何をしにここへ来た」


 ネロは一瞬、驚きに目を丸くしたが、また再びニカっと笑うと、ジークヴァルトを真っ直ぐ見据え、穏やかな声ではっきりと言った。


「やあ、赤髪の竜人。私はネロ。ここへは──君と来たんだ」


 そう言って何でもないことのように「よろしく」と薄い手を差し出され、ジークヴァルトの心は喜びに震えた。


 これが、ジークヴァルトとネロの出会いだった。

 

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