第31話 空の器とナナレの怒り
(苦しい……)
ほんのりと明るさを感じる闇の中。
ラーラマリーが最初に感じたのは、息苦しさと猛烈な倦怠感だった。
身体を包んでいる柔らかな感触と温かな空気で、自分が寝台に寝かされているのはわかる。
だがどうにも苦しく、瞼が開かない。
意識はゆっくりと浮上し、眠りから覚めようとしているが、指一本すら動かすのが億劫で、起き上がる気力が湧いて来ない。
どうしたものかと悩むラーラマリーの耳に、苛立ちを顕にする声が飛び込んできた。
「だーかーらぁ!! 俺はちゃんと親切に忠告してやっただろうが!! 早く森からこいつを追い出せって!」
低くも高くもない中性的な声と、この粗野な口調には聞き覚えがある。
(この声は……ナナレ?)
瞼を閉じたまま、動けないラーラマリーは仕方なく会話に耳を傾ける。
次に続いたのは、声を荒げ、ナナレと同じように苛立つジークヴァルトの声だった。
「あれのどこが忠告なんだ! お前はあの時、わかっていたんだろう? ラーラマリーが『空の器』だって事に! なぜ教えなかった!」
──
その言葉に、ラーラマリーは戸惑った。
(私が……何?
真剣な怒りを見せるジークヴァルトに対し、ナナレはさも面倒そうに答えた。
「そりゃわかるだろ。殺そうとした時に魔力がこいつの中を通ったからな。寧ろ何で俺が懇切丁寧に説明してやらなきゃならねぇんだよ。忠告してやっただけで充分だろう。何度も言ってるが、俺は人間が嫌いなんだよ。この人間の娘が死のうが、俺は心底どうでもいい」
「……ナナレ」
困ったようにオルフェに嗜められ、ナナレの声が甘く変わる。
「なあ、オルフェ。俺と一緒に行こう? 俺はお前が呼んだから、こうして駆け付けたんだぞ? ジークヴァルトや人間のためじゃない。わかるだろ?『
ナナレが言う『この馬鹿』とは、恐らくジークヴァルトのことだろう。
内容は理解できないが、自分に関わる話だと察し、ラーラマリーは猛烈な倦怠感に抵抗しながら、何とか起きあがろうと必死で身体に力を込めた。
「……ん……」
息苦しさに顔を歪め、呻き声が漏れると、それに気付いたメルナリッサが声を上げた。
「あ!! 姫様が起きた!!」
「本当か!?」
弾かれたようなジークヴァルトの声と同時に、力強い腕がラーラマリーの身体を支えゆっくりと上体を起こしていく。
瞼も開かず、ラーラマリーがされるがままにしていると、温かく固い陶器のようなものが唇に触れた。
抱きしめるように身体を支えられ、ジークヴァルトにそっと口を開けられる。
「ラーラマリー、薬湯だ。少しずつでいい。ゆっくりでいいから、全部飲むんだ」
ほんのりと温かいそれは、リュスタールの香りがする。
言われた通りに飲んでいくと、徐々に息苦しさと倦怠感が消え、ラーラマリーはゆっくりと瞼を開けた。
「……ジーク……私……」
状況を飲み込めないラーラマリーの瞳を、ジークヴァルトの優しい金の瞳が間近で見つめ返す。
安堵が滲む彼の腕に、頭を軽くもたれさせ、ラーラマリーはゆっくりと周りを見回した。
ラーラマリーが寝かされていたのは、与えられた自室の寝台だった。
窓から差し込む柔らかな日の光が、彼女を支えるために寝台に腰掛けているジークヴァルトの赤い髪を照らしている。
そのすぐ隣、ラーラマリーを覗き込むようにメルナリッサが大きな銀の瞳を心配で揺らし、二人の奥には、キースとオルフェ、それからナナレがいた。
全員にじっと見つめられ、戸惑いながらもラーラマリーは尋ねた。
「私……眠っていたの?」
「ああ、一日だけ。今は昼過ぎだ。……ラーラマリーは……どこまで覚えている?」
ジークヴァルトの声が、不安で僅かに震えている。
ラーラマリーは自分を支えるジークヴァルトの手にそっと触れ、やんわりと手を体から離させると、大きく厚い手のひらを見つめた。
そこには、短剣を受け止めたせいでできた傷が伸びていたが、まるで傷を負って数ヶ月は経った後のように、すでに塞がり傷跡すらも薄くなっていた。
人間ではあり得ないその消え掛かった傷跡が、ラーラマリーが知った事、そして起こった事の全てが、夢ではなかったと物語っていた。
「……全部。全部覚えてる。魔物が部屋に現れて、飲み込まれて……ジークを傷付けた事も……それに、あなたが……花喰い竜だってことも、全部」
傷を撫でながら呟くように静かに言うと、ジークヴァルトが大きく息を吐く。
「ジーク……あなたを傷付けた。本当にごめんなさい。私の事……嫌いになった?」
溢れそうになる涙を堪え、消えそうな程小さな声を絞り出せば、ジークヴァルトはラーラマリーを強く抱きしめた。
「嫌いになんてなる訳がない。お前が好きだ。本当に……どうしようもないくらい。ラーラマリーは……俺が恐ろしいか?」
祈るように尋ねたジークヴァルトの温もりに痛い程に包まれ、ラーラマリーは一粒涙を零し、クシャリと顔を歪めて笑った。
「ううん。全然怖くないわ。あなたはとっても、優しいもの」
そう言ってそっと抱きしめ返すと、ジークヴァルトはさらに一度彼女を抱く腕の力を強めた。
そして大きく息を吸い込むと、意を決したようにゆっくりと体を離し、真剣な瞳でラーラマリーを見つめた。
「……すまない。ラーラマリーと……それから、俺とナナレの三人だけで話したい」
ジークヴァルトがそう言うと、ナナレは「あーくそ」と悪態を吐き、ガシガシと頭を掻きながらドカリとソファに身を沈める。
キース達は三人の様子を気にしながらも、静かに部屋を出て行った。
三人だけが残るしんとした部屋で、最初に口を開いたのは、ラーラマリーだった。
「……ジーク、あなたは人の姿をしているけど……本当の姿は、竜ってことなの?」
ジークヴァルトは困ったように眉を下げ、わずかに微笑んでみせた。
「正確には……竜じゃない。竜を祖先に持つと言われる竜人だ。俺はその中でも一番魔力を持つ……竜王なんだ。魔力で翼を作ることはできるが、竜に変身できる訳じゃない」
「そうなの……。ジーク、お願い。何が本当なのか……ちゃんと教えて欲しい。私の国では……結界の中に閉じ込められているのは、魔物を従える悪い花喰い竜だって言われているの。でも、違うのよね?」
目の前の優しいジークヴァルトは、魔物を従えるどころか、魔物を狩るのが役目だと言っていた。
何か大きな誤解がある。
そう思って慎重に問いかけたが、ジークヴァルトが答えるより先に、ナナレが顔を歪めて罵った。
「おい、ふざけんなよ! 魔物を従えるだぁ!? だから人間は嫌いなんだ! 何でもかんでもすぐに忘れて捻じ曲げやがる!! この馬鹿が何のためにこれまでここにいたのか、知らずに生きてきたのかよ! 恩知らずどもが!」
びくりと肩を揺らしたラーラマリーを優しく守るように抱きしめながら、激昂するナナレをジークヴァルトが諌める。
「やめろ、ナナレ。お前は納得いかないだろうが、俺はこれでいいと思っているんだ」
「いいわけねぇだろ!! ここは元々俺の森だ!! てめえだから譲ってやったんだ!! 人間みたいなゴミ屑を助けるためにくれてやったんじゃねぇ!!」
ナナレの言葉に、ラーラマリーは眉根を寄せた。
「……助ける? どういうこと?」
ナナレは嘲るような表情でラーラマリーを見ると、吐き捨てるように言った。
「はは……本当に何もわかっちゃいねぇんだな。おい娘、教えてやる。この馬鹿はな、大昔に『空の器』と交わした約束をずっと守ってここにいるんだよ。知ってるだろう? ネロだよ。お前らの国の最初の王様だ。その血を守るために、四百年もの間、ずーーーーーっとここで、お前ら人間が垂れ流した魔力を集めて、一人でせっせと掃除してやってんだよ!! お前らを魔物から守るためにな!!」
一気に言われ、ラーラマリーは理解が追いつかない。
「魔力を……集める? 約束? 四百年って、どういうこと? それに……『空の器』って、一体何なの?」
整理するように、気になった言葉を全て繰り返していくラーラマリーを、ナナレは鼻で笑った。
「それも知らねえのか。『空の器』は言葉の通り、空っぽってことだよ。娘、お前もそうだ。お前は自分の魔力を全く持っていない。何も持ってない。それが『空の器』だ」
「魔力を……持ってない?」
ラーラマリーは驚きに耳を疑った。
持つ量に違いはあれど、人間は皆、魔力を持っている。
体を血液のように循環するそれは、使い道はなくとも、命を保つために必要なものだ。
それを持たない存在がいるということだけでも信じられないのに、ナナレはそれがラーラマリーだと言う。
ならばラーラマリーは、どうやって生きているというのか。
ジークヴァルトが、抱きしめるラーラマリーの薄くなった肩を優しく撫でる。
「……『空の器』は、自分で魔力を作れない。大気中の魔力と、食べ物に含まれる魔力だけで生きている。精霊と同じだ。この森に入った時、息苦しさを感じなかったか?」
「……感じたわ。でも緊張のせいだと……」
困惑するラーラマリーに、ジークヴァルトが首を横に振る。
「違う。それは取り込める魔力が減ったからだ。この森は自然から漏れ出る魔力が薄い。魔物の餌にならないように……俺がわざと魔法でそうしている。さらに食事の量もどんどん減ってしまっては、取り込める魔力が減って力が出ない。力が出ずに、さらに食事の量が減る。そうして、気付かない内に『空の器』は魔力が不足して……死んでしまうんだ」
悲しそうなジークヴァルトの瞳が、それが真実だと告げている。
「人間はクソ最悪だ。作り出した魔力を垂れ流して魔物を生み出す。だが『空の器』は違う。外から取り入れた魔力を消費するだけだ。ゲロみてぇな魔力を作り出さない。だから親切に忠告してやったんだ。死ぬ前に早く森から出て行けと」
不機嫌さを隠しもせずナナレが言い、ジークヴァルトは深いため息を吐いた。
「ネロも……ラーラマリーと同じ『空の器』だった。……最初から全部話そう」
ジークヴァルトはラーラマリーの淡い琥珀色の髪を優しく撫でると、そのまま彼女を自分の胸へと引き寄せる。
「……まだ言っていなかったな。俺の名前は……ジークヴァルト・フォレスタ。フォレスティア王国は……俺が作った国なんだ」
ラーラマリーの耳元で響いた穏やかな低い声には、もう戻れない遥か昔を懐かしむ寂しさが滲んでいた。
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