第28話 始まりの兄弟と花喰い竜
「ラーラマリー……大丈夫だよ。ジークヴァルト、すぐに帰ってくると思うから」
ジークヴァルトの執務室の中。
残され不安げな表情を浮かべるラーラマリーに、胸の前で指を組み心配そうにオルフェが言った。
視線で促され、贈られた短剣を膝の上に握りしめてソファに浅く腰を下ろす。
上質でふわりとした座り心地が、今は海原にゆらゆらと浮かぶイカダの上に乗せられているように所在なく、ざわつく心の内が癒されることはなかった。
「オルフェは……さっきの鳴き声が何なのか……ジークがどこへ何をしに行ったのか知っているの?」
「知ってる。ジークヴァルトは、森に魔物を狩りに行ったと思う。さっきの声は……後でジークヴァルトに聞いた方がいい……かな」
「そう……」
詳細を知っていながら、それ以上は何も話してくれなさそうなオルフェの様子に、ラーラマリーは僅かに肩を落とす。
ただ待つしかないという現状も、出て行ったジークヴァルトの目的が魔物狩りで、しかも焦りを滲ませていた事から危険が伴うと予想できてしまう事も、ラーラマリーを鬱々とさせた。
元気のない彼女にどうしたものかと言葉を詰まらせたオルフェは、悩むように視線を泳がせ、眉間に皺を寄せてうんうん唸った後、観念したように息を吐いた。
「どこから話せばいいのかな……そうだね、ラーラマリー。貴女の国がどうやって出来たか……知ってる?」
ラーラマリーは、オルフェの投げ掛けに少しだけ表情を明るくした。
「どうやって出来たか? 始まりの兄弟と花喰い竜の話なら、もちろん知っているわ」
それは、幼い頃に誰もが読み聞かせられる、神話にも似た有名な話であり、ラーラマリーも父と母に何度も絵本を読んで貰った事がある。
家族と過ごした幸せな記憶を思い起こさせる懐かしい物語を話題に出され、僅かに気持ちが浮上した。
オルフェに尋ねられ真っ先に思い浮かんだのは、今から四百年前、フォレスティア王国で実際に起こったとされる、建国の逸話だった。
◇◇◇◇◇
──『始まりの兄弟と花喰い竜』──
まだ王国が国として成らず、いくつかの村々が寄り添って集落を作り、一人の
長には、二人の息子がいた。
心優しく、人々を愛し、また同じように愛される兄、ネロ。
強大な魔力を持ち、誰よりも強い弟、アドロ。
二人は互いに支え合い、良き妻と子らにも恵まれた。
どちらを次の長に据えるべきかという話になった時、ネロは弟アドロこそをと望んだが、長である父が選んだのは、心優しいネロだった。
「人々を率いるのは『
父の言葉に、アドロは嘆いた。
「森に住むと言われる恐ろしい花喰い竜を殺し、私の価値を知らしめよう」
そう決意し森に入ったアドロは、花喰い竜に呪いを掛けられ、姿を魔物に変えられてしまった。
泣き悲しんだ兄ネロは、魔物になってしまったアドロを剣で貫き、花喰い竜を森に閉じ込めた。
森から這い出す魔物から民を守るため、ネロは強固な国を作った。
これが、フォレスティア王国の始まりであった。
リュスタールの花を持って、決して森へ入ってはいけない。
花喰い竜に見つかって、魔物の仲間になりたくないならば。
◇◇◇◇◇
懐かしい物語を思い出しながら、ラーラマリーは言った。
「王都の中心にある大神殿の地下には、ネロ様の髪一房と一緒に、アドロが使っていた剣が残されているんですって。『
少し元気を取り戻した彼女に、オルフェはホッとしながらも、困ったように眉を下げた。
「ラーラマリー……私はナナレに教えて貰ったんだけど、その話はね……半分本当で、半分違うの」
「半分、違う?」
「そうなの。ジークヴァルトはね──」
そこまで言うと、オルフェは突然サッと表情を険しくし、バルコニーへと続くガラス扉に駆け寄った。
両手を扉につき、張り付くようにじっと庭を見つめ、驚愕に目を見開く。
「どうして、庭に魔物が……!?」
その呟きに驚いたラーラマリーも側に駆け寄って外を見ると、見下ろしたその先には、敷き詰められた石畳の隙間からじわじわと湧き出るように、溢れた黒い影が広がり始めていた。
眉を顰め困惑を浮かべたオルフェは、焦りを滲ませラーラマリーに言った。
「ラーラマリー、私はあの影を消してくる。まだ魔力核を持っていない魔力の塊のようだから、私はナナレから魔力を貰ったばかりだし、何とかできると思う。ラーラマリーは絶対にこの部屋から出ないで。お願い」
それだけ言い残すと、オルフェはパッと小さな光に姿を変え、窓の隙間から外へ飛び出し、眼下に広がり始めた黒い影へと落ちて行く。
ジークヴァルトに貰った短剣をギュッと胸元で握り締め、伸びる黒い影を避けながら風を起こして魔物の魔力を散らせているオルフェを見守っていると、ラーラマリーは不意にぞわりと寒気がした。
「──っ!!」
背後に嫌な気配を感じ、身体を強張らせ勢い良く振り向けば、ラーラマリーと向かい合うように、先程までいたソファに黒い人型の影が座っていた。
「やあ……ラーラマリー。嬉しいなあ、嬉しいなあ……。時間がかかってしまったが……ようやくまた、お前に会いにくることができた」
芝居がかった猫撫で声でゆっくりと口を開き、寛ぐように優雅に座っているその影は、酷薄な笑みを浮かべ、細めた目でラーラマリーを舐めるように眺めている。
「べ……ベルホルト、陛下……?」
冷や汗の滲む手で短剣を握り、声を絞り出しながら、ラーラマリーは思わず後ずさった。
冷たく固いガラス扉が背にあたり、小さく音を立てる。
目の前にいるその影は、ラーラマリーが森に入ってすぐに出会った、あのベルホルトの姿をした黒い人型の影だった。
怯えを見せるラーラマリーの姿を、組んだ足に頬杖を付き楽しそうに見ている黒いベルホルトは、名前を呼ばれ、視線をぐるりと宙に向けると、ニヤニヤとした口角をさらに高くした。
「ベルホルト……ああ、ベルホルトか。この姿だものなぁ。勘違いするのも仕方がない。私はな、ベルホルトの友。魂で繋がった親友だ。あいつは最高なんだ。最高に心が脆くて、魔力が多い。あいつのおかげで、急速に私は力を手に入れられた。本当は私の手で『
笑みを消し、突然唸るように声を荒げた黒い影は、怒りのままにローテーブルに拳を叩きつけた。
(何……? この影は、何を言っているの……?)
ラーラマリーは恐怖で呼吸を乱し、心臓が煩い。
それでも短剣を抱きしめ、震えそうになる身体を必死で抑えた。
怒りをぶつけた事で気持ちを切り替えたのか、黒い影は再び猫撫で声に戻ると、ゆっくり顔を上げてラーラマリーにゾッとする瞳で微笑みかけた。
「……ジークヴァルトに散らされた魔力を再び集め直す間、私は……お前達をずっと見ていた。それで、思い付いたんだ。互いの事を何も知らずに……ふ、ふふ……健気にも愛し合うお前達に、私が真実を教えてやろうとな。私は親切だからなぁ。はあ……楽しいなあ、楽しいなあ。絶望に染まるジークヴァルトの顔を想像しただけで、心が震えてしまうなぁ。こんなに楽しい余興はない。……さあ、ラーラマリー。私に身を委ねろ。お前に──真実を見せてやろう!!」
興奮を抑えきれず、叫ぶようにそう言うと、黒いベルホルトの形をした影はぐにゃりと崩れ、部屋一面を覆う黒い波に変わると、そのままラーラマリーへ迫ってくる。
「──っジーク!!」
思わず助けを求めたその悲鳴は誰にも届かず、ラーラマリーはドプンと音を立て、黒い闇の中へと飲み込まれた。
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