本日快晴につき

そうざ

Clear Skies with Good Visibility

 朝から暑い日だった。

 切れ端の雲を浮かした夏空が肌を容赦なく焼こうとする中、本日快晴につき、より一層の奮起を期待す――そんな挨拶が聞こえた。

 荒男あらおは、肩に担いだ木材を一旦地べたへ置き、腰の手拭いを引き抜いた。肋骨の浮いた上半身は、既に汗と埃とでどろどろになっている。

 作業は始まったばかりだというのに、気持ちはもう昼休みに向いていた。弁当の中身は、いつもの麦飯、芋、漬け物の三拍子だろうが、この陽気なら冷えていても気にならない。

「倒れるどぉ!」

 傍らで大人が声を上げた。程なく轟音が響き、たちまち埃が舞い上がった。

 或る者は鶴嘴つるはしを、或る者は大槌おおづちを、或る者はのこぎりを手にし、次々に家屋を解体して行く。空襲に備え、防火帯を作る為だった。

 中学生も動員されていた。荒男の通う第一中学校の他、第二中学校、女学校からも生徒が駆り出され、昭和二十一年の今、学業は二の次になっていた。


「女は楽でえの~てっ」

 遠くで揶揄からかいの声が響いた。

 荒男が目を遣ると、そこに女学生が集まっていた。木材から釘を抜いたり、箪笥の金具を外したりと、甲斐々々しく働いている。

 廃材は、軍需工場や兵舎の修繕、防空壕の補強や簡易住宅の建材として、または薪や炭の代わりに利用される。殊に貴重な金属類は、無駄なく集めるよう指示されている。

 何かと力仕事を任される男子が、軽作業にいそしむ女子を小馬鹿にしているようだった。

「あんなもん、飯事ままごとみたいなもんじゃけえ」

 男子の一団が行き過ぎるのを尻目に、荒男は或る女学生の存在に気付いた。

 セーラー服の上衣にもんぺを穿き、髪を三つ編みにしたその女学生は、皆が気忙しく働く中、瓦礫の陰で女座りをし、手元だけを動かしている。

 荒男の頭に血が上り始めた。それは暑さの所為だったのか、男子学生の揶揄やゆが影響したのかも知れなかった。

「そこのお前」

 深く考えるよりも先に行動に移していた。

「楽するんは良うないで」

 荒男が率直に注意すると、間を置かずに声が返って来た。

びっこじゃけえ、皆みたいに動けんのんよ」

 荒男を見上げた顔は、臆せず毅然きぜんとしている。

 予想外の切り返しに、荒男の目が泳ぐ。

「……怪我でもしたんか?」

「生まれ付きじゃ」

 荒男は継ぐべき言葉に迷った。じゃったら家で大人しゅうしとれ、は正論かも知れない。その一方で、進め一億火の玉だ、のご時世も理解している。

 女学生は、荒男の代わりに続ける。

「よく家で大人しゅうしとれ言われるんじゃけど、家っても気が滅入るだけじゃけえ、無理言うて手伝わせてもろうとるんよ」

「そりゃ……そりゃあ、立派な銃後の守りじゃ。うん、大和撫子やまとなでしこじゃわ」

 その場を取り繕おうと必死に捻り出した阿諛おべっか

 ところが、返って来た声は微笑を含んでいた。

うち、ようなでしこ・・・・って呼ばれるんじゃけど、同じ漢字でなでこ・・・言う名前なんよ」

 子供達は、異性と親しく口を利く機会に乏しかった。もとより学校は男女別学であり、滅私奉公の日々は子供に息つく暇を与えない。家事を手伝い、工場に勤め、竹槍訓練、防火演習、そして建物疎開。

 二人は、不図ふとしたきっかけに飢えていたのかも知れない。


「集めて来たで、ほいっ」

 汗だくの荒男が、撫子の前に障子戸を重ねる。

「ありがと。荒男君は力持ちじゃねえ。ほんま日本男児じゃわ」

「へへっ、さっき褒めたんのお返しか?」

 顔の赤味は日焼けか否か、荒男は手拭いを額に当て含羞はにかんだ。

 障子紙はほとんど破れているが、撫子はそれを丁寧に剥がして行く。

「なぁ、そろそろ教えてくれえや。紙なんか集めてどうするん?」

「……願掛がんかけよ」

「願掛け? 何の?」

「人に話さん方が効く言うけんねえ」

「手伝うたもんには言うても良えじゃろ。俺等わしらはもう共犯関係じゃけえ」

 妙な言い方に撫子は目を丸くしたが、ふうっと息を吐いた。

「……笑わんとってよ」


 撫子が三年前のその日を思い出す時、必ず激しい雨音が聞こえて来る。

 夜半の土砂降りは朝を迎えて尚、威勢を増し、町の全てを泥濘ぬかるみに閉じ込めていた。

 それでも、何処かで万歳が三唱されていた。町民にとってはハレの日・・・・だった。

 昭和十八年、戦争は長期化していたものの、出征の壮行会はまだ盛大に行われ、傘を掲げた人々に殊更の悲壮感は見受けられなかった。

 しかし、実の戦況は兵力の増強を余儀なくされていた。撫子の父が三十代で個人召集されたのも、その表れの一片だった。

 いよいよ出達の時刻になっても、雨脚に変わりはなかった。父は駅までの見送りを遠慮した。縋り付く娘を悪天候に晒したくなかった。

 一度も振り返らなかった父。よもやこれが今生の別れになろうとは、当の本人を始め誰もが考えなかった。否、考えたくなかったのだ。

 父は何時いつ戻るのか。娘の問いに、母は声を詰まらせるばかりだった。

 撫子はこの時、記憶の一つを失くしていた。去り行く父にどんな言葉を投げ掛けたのか。三年経った今も思い出せないでいる。


 黄ばんだ障子紙を丸め、それを別の障子紙でくるみ、固く捩じる。紙の余った部分を裾のように広げれば、不格好ながらもそれは完成だった。

「もしかして、てれてる坊主?」

 撫子が思い切って頷くと、荒男は天を仰いだ。幾分まだ朝の気配を含んだ空は、着々と炎天下へ向かっているようだった。

「雨なんか当分降りゃせんじゃろ」

 雨という単語が、撫子の脳裏をまたたかせた。

 次第に小さくなる父の姿。しかし、その背中は消え残っている。あの雨の日、皆で父を見送った。確かに見送った。なのに、見えなくなった瞬間の光景は思い出せない。

「爆弾が……」

「何て?」

「爆弾が降らんようにする願掛け」

 撫子は、荒男の反応を覚悟した。

 空襲がなくなれば、戦争は終わる――自分でも浅墓な少女趣味だと思う。部屋に閉じ籠っていると、詰まらない考えが浮かんでしまう。非国民なのかも知れない。誰にも言うつもりはなかった。一人で密かにてるてる坊主を作るつもりだった。そうすれば良かった。それで良かったのに、なのに、つい気を許してしまった。

「そう言や、夜中に空襲警報が鳴ったのぉ」

 空を眺めた儘の荒男に、あざけりの調子は見られない。

「……うん、皆でしばらく防空壕に隠れとった」

「作業が始まる頃には警戒警報もあったのぉ」

「そうね。さっき解除されたけど」

「ほんま……何時いつまで続くんかのぉ」

 主語のない呟き。それでも撫子には通じた。いただ雄々しい言葉が飛び交う日々に小さな穴が穿たれたような心持ちになった。

 この子もいずれ出征するんじゃろうか――不意にくらい思いが撫子を襲い掛けた。


「そこの二人っ、何をサボっとるんじゃ!」

 大人の怒声で二人は我に返る。偶さか通り掛かった憲兵だった。

 慌てて作業へ戻ろうとする荒男が、早口で言った。

「障子紙、もっと集めてやるけぇ、昼休みにもっと作ろうでっ。沢山ようけあった方が心強いじゃろっ」

 撫子は、自分の目に涙が込み上げている事に戸惑った。そして、近寄って来る憲兵を気にも留めず、大きく手を振った。

「ここで待っとるけえ、待っとるけえなぁ!」

 小走りの荒男が振り返る。その姿が撫子の父と重なった。

 待っとるけえ――父に向って叫んだ言葉。撫子はようやくその事を思い出した。


 時計の針は午前八時を回っていた。快晴の空にはまだ、雨の気配も爆弾の影も認められない。

 この日に作られたてるてる坊主は一つだけ。その行方はようとして知れない。

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