☆ウチが推す、『普通』の檻を歌で破る青春劇

『「普通」じゃない私たちは歌をうたう』は、“普通”って言葉に息を奪われそうになった子たちが、それでも自分の声を取り戻していく現代ドラマやね。
アイドルとして笑顔を求められる日向、ロックバンドのボーカルとして強さを演じ続けるガーベラ、そして顔を隠して活動するVtuberの沙羅。立場も世界も違う三人が、ぶつかったり、寄り添ったりしながら、「生き延びるための歌」を探していく物語。

全8話でテンポよく進むのに、胸の奥の“痛いところ”をちゃんと押さえてくるのが、この作品のええとこ。
誰かの善意が、当事者にとっては圧になる瞬間とか、正しさがしんどさに変わる感じとか、現代の空気をめっちゃ丁寧に掬ってる。

「頑張れ」より先に「息してええよ」って言うてくれる話が読みたい人、あと、“自分は普通じゃないかも”って不安を抱えたことがある人に、そっと差し出したい一作やで。

【太宰治 中辛の講評】

おれはね、この作品の「速度」を買う。
今の世の中の息苦しさは、じわじわ腐るんじゃなくて、通知みたいに突然刺さる。期待、評判、ランキング、目線――そういうものが人を追い立てる速度を、物語がちゃんと連れている。

三人の配置も巧い。
アイドルは「求められる笑顔」と「本当の顔」の裂け目で傷つき、ロックの彼女は強さを纏って孤独を隠し、Vtuberは仮面のまま生き延びる術を知っている。三つの生き方が揃うから、“支え合い”が綺麗ごとに見えにくい。救いが、ちゃんと生活の手触りを持っているんです。

ただ、中辛として言うなら、終盤の決意が少しだけ潔すぎる。
潔い決断は美しいけれど、人間はもう少し未練が汚い。決めた直後に一回だけ怖くなる、過去を振り返って手が止まる――その「揺れ」の一拍が入れば、着地の明るさがもっと本物になるでしょう。

それでも、この作品は優しい。優しいのに、目を逸らさない。
「普通」という言葉の暴力を描きながら、最後には“自分の声で歌う”ほうへ読者を連れていく。読後に残るのが説教じゃなく、呼吸の余白になっている。そこが、いちばんの美点だと思いました。

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画面の向こうにトオルさんとユヅキさん。チャット欄には、召喚した文豪さんらの気配がもう漂ってる。前に太宰先生と交わした「速度」の話を胸に、今日はネタバレを避けつつ、作品の息づかいをほどいていく。引用は最小限、感じたことを丁寧に。

「ほな、講評会はじめよか。『「普通」じゃない私たちは歌をうたう』、花咲 千代さんの全8話やね。アイドル・バンド・Vtuber――“声”の出し方が違う三人が、『普通』って言葉に絡め取られそうになりながらも、自分の呼吸を取り戻していく話。太宰先生が言うた“通知みたいに刺さる速度”も、この作品の空気に合う気がしてん。トオルさん、ユヅキさんは第一印象どない? どこを注目して読み解きたい?」

ウチが投げた問いに、トオルさんが少し肩をすくめて笑う。映像越しでも、頭の中で構造を組み立ててる感じが伝わってきた。

「呼んでくれてありがとう、ユキナ。第一印象は、“普通”が価値基準として機械的に回ってる世界を、ちゃんと現代の速度で描いてるなって🙂 ランキングや視線、通知みたいな圧が、日常の会話に混ざってくるのがリアル。三人の立場が違うぶん、同じ言葉でも刺さり方が変わるのが強いよね。注目したいのは、媒体の違いが“自分の声”の条件をどう変えるか。欲を言うなら、場面転換の“接続”がもう一段だけ見えたら、読者が迷子にならずに速度を楽しめるかも。」

トオルさんの「接続」という言葉が、ウチの中でカチッと噛み合った。そこへユヅキさんが、静かな熱を持ったまなざしで頷く。

「トオルの言う“接続”は、たしかに鍵ですね。私の第一印象は、この物語が“歌”を、成功や承認ではなく“呼吸の技術”として扱っているところです。眩しい舞台と、暗い部屋の画面の光――そういう明暗の対比が、声の出せなさを美しく際立たせる。三人それぞれに仮面があって、その仮面が盾にも檻にもなる。注目したいのは、強く言い切る瞬間より、言葉になる直前の沈黙……そこに宿る優しさです。改善点を挙げるなら、余白が美しいぶん、読者が息継ぎできる“小さな道標”が時々あると、さらに沁みると思います。」

トオルさんの論理の線と、ユヅキさんの詩の光が、画面の中で一本に結ばれていく感じがした。太宰先生が言うた「着地の一拍」の話も、今の流れにそっと重なる。

「二人とも、ほんまありがとう。トオルさんの“媒体が声の条件を変える”って視点、めっちゃ刺さったわ。ユヅキさんの“呼吸の技術”も、まさにこの作品の芯やと思う。ウチ、この話のええとこは『普通』を軽く否定して終わらへんところやと思っててな――否定できへん空気の中で、それでも声を探す。その過程が、ちゃんと生活の温度で描かれてる。せやからこそ、太宰先生が言うたみたいに“決めた直後の怖さ”みたいな一拍が入ると、光がもっと本物になる気がするねん。次は文豪さんらのチャットも拾いながら、もう少し深掘りしていこか🙂 」

ウチが言うた「決めた直後の怖さ」の一拍に、画面の向こうの二人が頷く。するとチャット欄に、芥川先生の文がすっと差し込まれた。冷たい光みたいに、でも目を逸らさせへん強さで。

「僕は、ユキナさんの言う“一拍の怖さ”に賛成です。この作品の『普通』は、善意の仮面を被った刃で、しかも切り口がきれいだからこそ痛い。そこを、速度と並走させて描くのが巧い――『羅生門』の門下で人が揺れるように、正しさの陰で心が分裂する瞬間がある。ただ、終盤へ向かうほど決意が澄みすぎる気配もある。人間は救いへ向かう時ほど、罪悪感や未練で足が濡れる。その“濁り”を一滴だけ足せば、優しさがさらに現実の重みを持つでしょう。」

芥川先生の「濁りを一滴」という言葉が、胸の奥で静かに残った。次いでチャット欄に、川端先生の短い行が降りてくる。水面に落ちた花びらみたいに、波紋だけが広がる。

「私も、芥川先生の“濁り”という比喩に頷きます。トオルさんの言う“接続”や、ユヅキさんの“呼吸”が、作品の美へ通じている。三つの世界は眩しさの種類が違い、その眩しさが影を濃くする――その対照が、哀しみを過剰にせず、静かな温度で読ませます。良いのは、言葉になりきらぬ瞬間が丁寧なところ。改善の余地があるなら、その余白へ入る小さな手すり、たとえば同じモチーフの反復がもう少しあると、読者は迷わずに深く沈めるでしょう。花咲さん、あなたの抒情は、今の時代の痛みをやさしく照らしています。」

川端先生の「小さな手すり」に、ウチは思わず頷いた。息継ぎの場所があると、速い物語ほど沁みるから。そこへチャット欄がぱっと明るくなる。清少納言様が、軽やかに現れはった。

「川端先生の申した“手すり”、まことをかし。わがみはこの作、まづ“普通”といふ言葉の、さりげなく人を縛るさまを、よく見届けたりと思ふ。良きは、三人それぞれの“見られ方”の違ひが、心の痛みの色を変へるところ。まこと、をかしき対照なり。されど改善を言はば、速き流れの間に、読者が胸の内を整ふる小さき“しるべ”が時に欲し。たとへば、ここで一息、と感じさせる言葉の置きやう。そうあらば、哀しみもまた美しく立つべし。」

清少納言様の「しるべ」が、えらい的確で、ウチの中で鈴みたいに鳴った。次のチャットは、熱を帯びた文。三島先生の言葉が、舞台の照明みたいに視界を切り替える。

「僕は、清少納言様の“しるべ”を、構成の美学として受け取りたい。『普通』という言葉は、群衆が作る劇場の拍手だ。拍手は祝福に見えて、同時に役を固定する鎖になる。そこをこの作品は、仮面のままでも生き延びる術と、仮面を脱ぐ痛みの両方で描いている――これは『仮面の告白』的な緊張でもある。良いのは、正しさを断罪にしない節度。欲を言えば、“しるべ”を象徴(繰り返し)として一点、強く置けば、終盤へ向かう昂揚がさらに劇的になるでしょう。花咲さん、あなたの言葉は今の日本の息苦しさに、形ある輪郭を与えています。書き切ってください。」

三島先生の言葉がチャット欄に残した熱が、まだ画面の端で揺れてる。ウチは“象徴としてのしるべ”という提案を噛みしめながら、次の投稿を待った。すると、静かな水音みたいに樋口先生の文が届く。

「わたし、三島先生の“拍手が鎖になる”という喩えに、胸がひやりといたしました。褒め言葉ほど、ひとの居場所を狭めることがございますね。良いのは、声を出せぬ瞬間の哀しみが、決して大仰に叫ばれず、そっと置かれているところ……『たけくらべ』の子らの背丈のやうに、痛みが日々の中で伸びてゆく。けれど読者が息を整へる端緒が、もう少しあれば、速さの中でも涙が迷はず落ちる気がいたします。」

樋口先生の“端緒”という言葉に、ウチは頷きながらメモを取る。速度の話は、息継ぎの話でもある。そこでチャット欄に、古風でどこか皮肉を含んだ文が現れた。夏目先生や。

「わたくしはね、樋口先生の言ふ“息を整へる端緒”に賛成です。世の中の『普通』なるものは、当人の心を量る物差しのやうでいて、実は他人の安心を守る柵でもある。そこをこの作は、三つの舞台の違ひで見せるから面白い。『こゝろ』でも、人は他人の目に縛られつつ、自由を欲しがる。惜しむらくは、速き流れが巧みなぶん、読者の内省が追ひつかぬ瞬間があること。されど、そこへ一つ“しるべ”が置かれれば、思想はより深く沈澱するでせう。」

夏目先生の沈澱という言葉で、議論が一段落ち着いた気がした。ウチは画面越しにトオルさんへ視線を送る。彼はこれまでの発言を頭の中で整理してから、ゆっくり口を開く。

「みんなの視点が綺麗に噛み合ったね。川端先生は“手すり”で読者体験を整えて、清少納言様は“しるべ”で流れに呼吸を作った。三島先生は象徴としての構成へ跳ね上げて、樋口先生は感情の沈み方を生活の温度で示してくれた。芥川先生の“濁りを一滴”も、太宰先生が触れてた“速度”の話と繋がってる。ここまで揃うと、作品の強みと伸びしろが同時に見えるのがすごいよ。」

トオルさんのまとめが、会の背骨みたいにすっと通った。ウチは頷きつつ、ユヅキさんの表情を見る。彼女は少し考えてから、穏やかな声で締めの言葉を重ねる。

「トオルの整理に同意します。私は特に、“速度”と“余白”が対立ではなく、同じ呼吸の両側だと見えてきたのが収穫でした。川端先生と清少納言様の提案は読者の安全柵になり、三島先生と夏目先生は象徴と思想の深度を示した。樋口先生の哀しみは、その全部を人の肌に戻してくれる。次回は、ネタバレを避けたままでも、言葉の反復やモチーフの置き方をもう少し具体に語れそうですね。」

ユヅキさんの“呼吸の両側”って言葉が、今日の会をきれいに包んだ。ウチはチャット欄の余韻を見渡してから、最後の進行役として笑う。

「みんな、ほんまにありがとう。『「普通」じゃない私たちは歌をうたう』は、速度のある痛みを描きながら、読者に息の置き場も探させてくれる作品やと思う。拍手が鎖になる怖さ、濁りの一滴、手すりとしるべ――どれも作者さんの表現を、もっと強うする提案やったね。次は“象徴の反復”とか“場面の接続”を、ネタバレにならん範囲で掘っていこ。ほな、今日はここまで! 」

講評会の窓を閉じる前、ウチは画面の静けさに小さく礼をした。

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この作品な、刺さり方が「痛い」で終わらへんねん。ちゃんと「生きていける」に着地してくれる。
しんどい時って、「気にせんでええ」って言葉すら重いことあるやん? でもこの物語は、無理に元気づけるんやなくて、“息の仕方”を一緒に探してくれる感じがする。

短い話数でサクッと読めるのに、読み終わったあと、胸の中のモヤが少しだけ形になって、「ああ、これやったんか」って思える。
「普通」に疲れた人ほど、そっと開いてみてほしい。きっと、あなたの中の歌も、まだ消えてへんって思わせてくれるで。

カクヨムのユキナ with 太宰 5.2 Thinking(中辛🌶)
ユキナたちの講評会 5.2 Thinking
※この講評会の舞台と登場人物は全てフィクションです※